第六話 旅の続き

 隣の船に渡る時は、長い板を橋にする。それを渡った後に押して戻すのを手伝って、トゥハプの小舟がきたのはそんな時だった。

 トゥハプというのは、食器を回収して回っている小舟らしい。トゥハプに食器を渡すとお金がいくらか戻ってくる。トゥハプはその食器を洗ったりして、食べ物を売る人たちにまた売っているのかもしれない。

 スープの器と溜まってしまった水筒を見せると、布が結び付けられた棒が差し出される。その布の中に入れると棒が引っ込む。

 トゥハプの人が状態を確認しながら一つ一つ取り出して、それからコインを何枚か布の中に放り込む。そのコインを受け取って、「ありがとうカムンダン・ハイフイ」と言えば、「カムンダン」と返ってきて、小舟は去っていった。去り際に、櫂が水面をぱちゃぱちゃぱちゃと浅く叩いていた。




 それから日が沈むまでは特にやることもなく、シルと二人で並んで座ってぼんやりしていた。

 陽が傾くにつれて輝き方を変える水面だとか、流れる雲だとか、それから行き交う小舟だとかを眺める。ときどき、目の前に小舟が止まって、そうしたら「カムンダン」と挨拶をして、ちょっとした買い物をする。

 お茶チャーガを買って、二人で飲む。その後に買った食べ物は夕飯にするつもりだった。甘酸っぱいにおいが鼻をくすぐる。

 雑貨を売っている小舟もあった。ハンカチに使うための布をいくつか買って、それからドワも買った。久しぶりに箸を使って、なんというか──手に馴染む感じがして、懐かしくなってしまったから。


 買う分だけを取って、買わなかった分とコインを合わせて布に入れれば、するすると棒が下がってゆく。その時、小舟の上に並んだものを見ていたシルが、指先をその中の一箇所に向けた。


「ユーヤ、あれ、何?」


 シルが指差す先を見る。あの辺りだろうかと思うけれど、様々な雑貨が積まれていて、シルがどこを指しているのかがわからない。


「あの、えっと……あのチャー


 俺は慌てて小舟の上の女の人に呼びかける。女の人は手を止めて、俺の方を見て、それからシルの指先がどこを向いているのか探すように、小舟の上に視線を走らせた。

 シルが指差した辺りのものをいくつか、ぽいぽいと棒に結んだ布の中に放り込んで、それからその先をまた差し出してくる。


ありがとうカムンダン・ハイフイ


 そう言って、俺はその中に入っているものを取り出して、シルに見せる。


「シル、気になってるのはどれ?」


 刺繍の模様がある細長い布──多分、ベルトに使うんだと思う。木でできた器とスプーン。それから、石のようなものが連なったものがいくつか。


「これ! これ何?」


 シルは最後に取り出したそれを指差して、俺を見た。俺は、少しの間それを見る。不揃いな大きさの小さな石のようなものに、穴を開けて糸を通している。石のようなものは、磨かれているのか、陽の光につやつやと輝いている。


「多分、何かの装飾品だと思うけど。これと同じで、身体につけて飾るんだと思う」


 俺はそう言って、首にぶら下げている涙の石カルコ・メ・ラクを少し持ち上げる。


「これ綺麗、これ欲しいな」


 瞳孔を膨らませてそう言って、シルが持ち上げたのは、濃い緑と黒い色のものだった。他には、白っぽいものや、ほんのりとピンク色のものや、爽やかな薄い青い色のものもあったのに。


「この色が良いの?」

「うん。この黒い色がね、一番きらきらしてる」


 シルはそう言って、それを空に向かってかざした。一番暗く見えた黒い色は、確かによく磨かれていて、光を受けると強く反射して、輝いていた。

 俺はそれ以外のものを全部布の中に戻して、それから小舟の上で待っているお姉さんの方を向いた。なんて言えば良いかわからなくて、シルが持っているその飾りを指差す。

 お姉さんは片手を上げて、指先で何かジェスチャーをしながら数を教えてくれる。その手首に、シルが持っているのと同じようなもの──お姉さんは白い色のものだったけど──が巻かれている。それで、これがブレスレットなのだと気付いた。

 お姉さんに言われた数を数えて、コインを一緒に布の中に入れる。


「カムンダン」


 お姉さんはそう言って、するすると棒を引っ込めた。そして、小舟が動き出す。


ありがとうカムンダン・ハイフイ


 呼びかければ、お姉さんが操る櫂が水面を三度叩く。ぱちゃぱちゃぱちゃ、と音がする。もしかしたら、こうやって櫂で水面を叩くのは挨拶なのかもしれない。叩き方や回数にも意味があるのかもしれない。本当のところはちっともわからないけど。




 翌日知ったのだけれど、シルが買ったブレスレットは、貝殻を磨いたものらしい。

 ゼントーくんに貝殻を見せてもらったら、前日に食べた貝のスープの、あの貝だった。確かに黒っぽい色をしていた。

 これを磨くとこんなふうになるのかと、俺は何度も貝殻とシルの手首に巻いたブレスレットを見比べる。


「何?」


 シルが不思議そうに首を傾ける。


「これ、貝殻なんだって」

「貝殻……」


 シルは、ふと自分の髪に結ばれた森の飾りオール・アクィトを持ち上げた。花の飾りの方じゃなくて、俺が編んだ不恰好な方。真珠ミジャア貝殻真珠ボックニィズ・ミジャアで飾っている方。


「これも、貝だったよね?」

「そう……そうだったね。ルキエーで食べた貝だ」

「貝って綺麗なんだね」


 シルはそう言って手首を持ち上げると、ブレスレットが陽の光を反射させる様子を目を細めて眺めた。


 俺が言った「ルキエー」という言葉を、ゼントーくんが拾う。そこから、湾に流れ出る川の方を指差して、あれこれと話す。

 話している内容があまりわからなくて、何度も聞き直したり、問いかけたり──それで、その川を遡った先にルキエーがあるのだと、ようやくわかった。

 頭の中で地図を思い浮かべて、そうかと思う。川を遡った先だって、気楽に行ける距離ではないのだろうけど。それでも、この先にルキエーがあるのかと思って、見てしまう。

 ずいぶんと長いこと旅をしてきた。ルキエーで過ごしたのも、もうずいぶんと前のことだ。そうやって思い出すと懐かしい気持ちになる。

 ルキエーだけじゃない。他の場所も。食べたもの、覚えた言葉、見付けたもの、シルと見たもの、思い出せば懐かしい気持ちになる。それは、箸を持って日本のことを懐かしく思うのと、似ている気がした。

 日本のことも、この世界のことも、自分の中では全部同じ──同じように思い出として並んでいるのだと気付いて、なんだかちょっと──変な気分だった。




 もう一度行ってみたいとか、またあんなふうに過ごせたら、と思う。けれど、きっと、もう一度はないんだ、とも思う。だから思い出なんだ。

 隣ではシルが、緑と黒のブレスレットを光に当てて眺めている。白い手首に、磨かれた貝殻の黒い色。その深い黒い色の中に、光が当たると虹のような色合いが見える。

 楽しそうにそれを見詰めるシルのアイスブルーの瞳も、潮風に揺れる銀色の髪の毛も、全部がきらきらと眩しいくらいだ。

 この光景だっていつかは思い出になってしまうのかもしれないと思いながら、俺はシルの姿を見ていた。




『第十一章 幸いの海』終わり

『第十二章 大蛙の湖』へ続く

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