第三章 女神の島々
第一話 ポルカリは酸っぱい
港町からは、内海を奥に──持っている地図上で右に向かう船と、内海を入り口の方に──同じく地図上で左に向かう船、それと、地図上で下──内海の向こう岸に向かう船がある。
細かな行き先はもう少し枝分かれするらしいけど、とりあえずざっくりとした把握では、そんな感じだ。
内海の奥の方には、いくつかの島がある。一番手前の細長い島。その次に歪んだくの字の島。その奥に三角の島があって、そこから小さな島が二つ並ぶ。
シルがいたあの部屋で見付けた地図のバツ印は、一番手前の島に付けられていた。
フィウ・ド・チタで買った地図を港で見せて──あの部屋から持ち出した地図は、人には見せないことにした──「
内海の奥に向かう船で、お金を払えば途中まで乗せてくれる、らしい。食べ物や水は自分で用意しろ、と言われた気がする。
その人は、島に行きたいと告げる俺とシルを見て、それから俺たちの胸元の
行き先をシルに告げると、シルはいつものように「ユーヤに付いていく」と言った。
俺がシルの首輪を壊すまで──壊そうと思って壊したワケではないので、本当に俺が壊したのか自信はないのだけれど、シルはそう思っている──部屋に閉じ込められていたシルが船に乗るのは、当然初めてのことだった。
そもそも海も初めてだ。
海は、俺の知っている海とそんなに変わらなさそうだった。塩っ辛い潮風。ざわりざわりとした波の音。
俺は船には詳しくないけれど、そんなに物珍しい形には見えなかった。船と聞いてイメージするのに似た、大きな船。
大きなマストが三本あって、大きな布で帆が張られている。
作り付けの簡素なベッドがある客室っぽい部屋を使って良いらしい。夜はそこで眠る。
昼間のうちは、甲板の隅っこに二人で座っていた。シルが外で海を見たがったのが理由の一つ。もう一つの理由は、俺が外の空気に当たりたかったから──気分が悪かったのだ、船酔いで。
シルは初めての海と初めての船に興奮しっぱなしで、俺の手を引いては「あれ、何?」と聞いてきた。
俺はと言えば、なんとなくの気分の悪さをごまかしながら、シルの隣に座っている。
吐くほどではないけど、胃の奥がもやもやとして、目の奥がぐらぐらして、めまいのようで気分が悪い。我慢できないほどじゃないし、今は座っている以上にやることがないので、ただ座っている。
気分が悪いと、潮風も生臭く感じてしまう。
船に乗っているのは多分、丸一日くらい。この後寝て起きたら島に到着するらしい。
シルは船の上でもまるっきり平気みたいで、港で買った保存食の硬い焼き菓子を食べているし、元気いっぱいだ。潮風は大丈夫かなと思っていたけど「不思議なにおいだけど、平気」と言っていた。シルはその繊細な造りに似合わず、割となんでも平気だ。
俺はそんな彼女の隣で、何かを口にすることもできないでいる。
「ユーヤ、食べなくて平気?」
シルに顔を覗き込まれて、俺はなんとか頷いてみせる。
「今は食べられないから……シルが全部食べて良いよ」
「大丈夫?」
「船で気分が悪くなっただけだから、船から降りて休めば大丈夫」
シルはそのまましばらくじっと俺を見て、それから四つ買った焼き菓子の最後の一個を包み直して俺に差し出した。
「これ、ユーヤの分。あとで食べて」
シルの気持ちが嬉しくて、俺はそれを受け取ってしばらく眺めてしまった。すぐには食べられる気がしないけど、あとで食べようと、バッグにしまう。
「ありがと」
俺の言葉に、シルはちょっと瞬きをしてから、そわそわと視線を揺らして、それからまた心配の色を見せて俺を見上げた。
俺はもう一度、大丈夫だよ、と言う。
夜もあまり眠れないまま、島に到着した。降り立ってすぐに気分の悪さが収まることもなく、港の端っこに体育座りをして膝に額を乗せる。
じっとしているのに、まだ不安定に揺れている気がする。めまいのような気分の悪さは、なかなか引いてはくれない。いっそ吐いてしまった方がすっきりするだろうか。
シルは隣に座って、心配そうに俺の服を掴んでいる。シルを安心させたくて、大丈夫と言うけれど、シルはますます心配そうになるばかりだ。
そうやってしばらく座っていたら、体格の良い男の人がやってきた。確か、さっきの船に乗っていて──多分船員の一人だと思う。
その人は何も言わずに、俺に果実をくれた。みかんのような見た目、柑橘系。
受け取ると、爽やかな酸味が鼻をくすぐる。その空気を吸い込むと、気分が悪いのが少し収まった。
「
その人の意図がわからずに、ぽかんとしたままそう呟く。その人はちょっと笑った。
「ポルカリ」
「ポルカリ」
俺が言葉を繰り返すと、その人は手の甲を見せて歩き出した。こうやって手の甲を見せるのは、この場を離れるよという合図。つまりは、さようならだ。
俺は慌ててその背中に呼びかける。
「
多分、ポルカリという名前の果物なんだろう。皮を剥いて食べてみると、レモンのように激しく酸っぱかった。
あまりの酸っぱさに身悶えたけど、そのあとに水を飲んだら、気分の悪さが爽やかさに押し流されて少しスッキリしていた。
さっきの人は、俺が気分を悪くしているのを見かねて、これをくれたのだろう。もっときちんとお礼を言いたかった。
シルも一口食べて、目と口をぎゅっと閉じて寄せている。
「ぅんんー!」
「うん、酸っぱいね」
俺もまた果肉を口に入れて、酸っぱさに耐える。シルが俺のその顔を見上げる。
「ユーヤ、元気になった?」
「ああ、うん。心配かけてごめん。これを食べたら、気分が悪いのは落ち着いたから」
俺の言葉に、シルはほっとしたように目を細めた。
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