第32話 盟主になりました!

 森を進み、二時間ほど。

 俺たちは何事もなく、無事に帰還しようとしている。

 すでに太陽も上り、朝となったようだ。


「メルク、追っ手はくるか?」


 俺が訊ねると、メルクは首を振った。


「大丈夫。誰も追ってこない」

「そうか……今のところは、完全に戦意を失ってるようだな」


 一人でもいいから偵察を送ってもいいような状況だが、一刻も早く逃げるための準備をしているのかもしれない。


 一万の軍勢を見た後では、ここで奴隷狩りを続けようとは思わないだろう。


 しかも多くの兵を失った。

 少なくともしばらくは、なんも出来ないはずだ。


 もちろん、こちらもあの城は監視し続けるとしよう。

 誰もいなくなるか、または少数のまま居座るなら、占拠してもいい。


 ちなみにこちら側の捕虜は全て解放してきた。

 同盟の”慈悲”として思ってくれれば、彼らのいくらかは今後の行動を改めるかも……しれない。


 同じことを思ったのか、イリアが俺にこう訊ねる。


「彼らは、奴隷狩りをやめてくれるでしょうか?」


 今回は、亜人たちが外に売られる前になんとか解放できた。


 とはいえ、コビスたちはその前から、南の他の地域でこういうことをやってきたのだ。

 ここが駄目なら、他の場所を探す可能性もある。


「どうかな……一度甘い蜜を吸った奴らだ。それに、また仲間を連れてやってきてもおかしくはない」

「そうですか……」

「でも、大丈夫だ。やつらだって、俺たちに手を出したら痛手を負うことが分かった。やるにしたって、もっと慎重になるだろう。それまで、こっちはもっと力をつけるんだ」

「はい……そうしましょう!」


 イリアはうんと頷いてくれた。


 防壁や武具を作るだけでなく、衣類や農産物を作ることも重要となる。これからもやることは多そうだ。


 そうして力をつければ、奴隷狩りも襲ってこなくなるだろう。


 人間だって誰も死にたくない。

 相手が強力だと知れば、襲うのをためらう。


 ただ、唯一の気がかりは、コビスとシュバルツ騎士団の繋がり……やつが騎士団に支援を要請することもありえる。


 ロイグのことだ。

 奴隷狩りの誰かが俺のことを口にすれば、怒りに身を任せ、騎士を差し向けてくるかもしれない。


 メルクは森を進む中、こう訊ねてきた。


「そーいえば、ヨシュア。さっきのフェンデルどーめいって何?」

「あれか? あれはとっさに思いついただけだよ。その方が、人間は大きな相手に聞こえるんだ」


 俺が言うと、エクレシアが言った。


「フェンデルにおける種族間の同盟ということか。何も間違っておらぬな」


 しかし、イリアは不安そうに訊ねた。


「せっかく、大きな力になりましたが……奴隷狩りを追い払った今、私たちの関係はこれで終わりなんでしょうか?」


 俺としてはすぐに解消するのは反対だ。

 せめて、それぞれが安全に暮らせる見通しが立たないと、今回の苦労も水の泡となる。


 だが、何も心配はいらなかった。


 メルクもエクレシアも、首を横に振ったのだ。


「ううん。メルクたちは、これからもずっと一緒だよ。イリアたちがいいって言うならだけど」

「わらわたちも良ければだが……人間という大多数に立ち向かうには、この周囲の者たちが結集する必要があると思う。フェンデル同盟は縮小ではなく、拡大していくべきだ」


 イリアは迷わず、首を縦に振った。


「ええ。これからも手を取り合っていきましょう。その際、同盟の代表が必要だと思うのですが……」


 そう言ってイリアは俺に視線を送った。

 メルクもエクレシアも、じっと俺を見る。


「お、俺? 俺はただの客人だ」


 するとイリアたちが言う。


「そ、そんな! 今回の一連の作戦も、ヨシュア様がいたから成功したことです!」

「うむ。わらわたちは、戦いと交渉の知識があまりにも不足している。盟主には、ヨシュアがふさわしい」

「メルクもそう思うー。言い出しっぺもヨシュア」

「そ、そうは言ってもな……」


 確かに全身全霊で、誰も死なないようにと今回の戦いに臨んだ。


 だが俺は人間。皆が皆、盟主と納得してくれるとは思えない。


 一方で、盟主という立場は皆に助言がしやすい立場ではある。


「わ、分かった。でも、それぞれ部族の長が話し合って、重要な事は決めてくれ。俺はそれに助言と協力をするだけだ。それも一時的だし、他に盟主に相応しい者がいればそいつに譲る」


 俺が言うと、イリアは顔を明るくした。


「かしこまりました! では、今日からヨシュア様がフェンデル同盟の盟主ということで!」


 イリアが皆に聞こえるよう叫ぶと、周囲からは喜びの声が上がった。


 そうして俺たちはフェンデル村に帰還する。


 村からは白い煙が立ち込め、何かを焼いていることが分かった。


 すると、村からメッテが走ってやってくる。


 その顔には歓喜の色が窺えた。


「ヨシュア! この人数は……解放に成功したんだな!」


 メッテは次々と村に帰ってくる者たちを見て言った。


「ああ。一人も犠牲を出さずに、全員だ。ところで、この煙は?」

「皆腹を空かせてるだろうと思って、急ぎ周囲で狩りをしたんだ! ……皆、ヘルアリゲーターが三十、アーマーボアが二体、すでに焼いてあるぞ! いっぱい食べろ!」

「メッテ……そこまでは俺も頭が回らなかったよ」


 鬼人は十五名ほど、人狼は四百名程、エントは三百名程が新たに加わったのだ。

 皆、劣悪な環境にいただろうし、腹を空かせているはず。


 すると、メッテは胸を張って言った。


「当然だ! なんたって、私はお前の妻だからな! 互いに助け合うのが夫婦だろう!?」


 そう言った瞬間、俺の周囲をヒンヤリと冷たい空気が覆った気がした。


 ふと周りを見ると、イリアがいない……いや、メッテと鼻がぶつかるんじゃないかという位置に、イリアはいつの間にか立っていた。


「メッテ。この衆目の中、私を出し抜こうとは……アーマーボアのように単純な女だと思ってましたが、存外、賢いようですね……ヘルアリゲーターのように、ずる賢い」


 恐ろしいぐらいに冷たい声が響いた。

 なんだろう。戦っている時のイリアと同じ雰囲気……いやそれ以上の何かを感じる。


 だがメッテもメッテだ。

 すぐに周囲に叫んだ。


「わ、私は何も間違ったことは言ってません……ヨシュアは私の良き夫だ!!」

「へえ……そういうこと言っちゃうんだ……なら」


 イリアは俺に振り返ると、風のような速さで俺に抱き着いた。


「さすがヨシュア様! 今日は皆が解放された記念すべき日ですし、一緒に婚礼の儀も執り行いましょうか!?」

「な、なな! 姫と言えど、許しませんよ!」

「なら、刀で決着をつけますか、メッテ!?」

「いいでしょう、姫! 泣いても知りませんよ!?」

「おいおい二人とも! 俺はまだ結婚は……」


 俺が言うと、メルクが小さな狼の姿で俺の足にすりすりする。


「いいや。ヨシュアのお嫁さんはメルクだよー」


 イリアはたまらず答えた。


「じゃあ、メルクも一緒に白黒つけましょう! 河原で、誰が一番、多くのヘルアリゲーターを血祭りにあげられるか!?」


 所々、言葉が荒くなっている気がするぞ、イリア……


「あ、あの……ともかくご飯を食べないか? ヨシュアも腹を減らしてるだろうし。そうであろう、ヨシュア?」


 エクレシアは俺にそんな言葉を掛けてくれた。


 だがイリアは、鋭い視線をエクレシアに向ける。


「エクレシアさん……自分だけ常識人ぶって、ヨシュア様に近づくおつもりですか?」

「そ、そんなつもりは! ……そんなことしなくとも、この中で誰が一番魅力的かだなんて明白だ! だろう、ヨシュア!?」


 エクレシアの発言で、更に火が付いてしまった。


 スライムのウィズはそれを見て、体を伸ばし仲裁に入ってくれた。

 だからか、皆手は出てないようだ。


 早くも同盟が瓦解するのでは──そんなことを思わずにはいられない凱旋となるのだった。

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