第74話 TKO

桜ちゃんのテストを終えた後、父さんは桜ちゃんを助手席に乗せていたんだけど、奏介のことが気になるようで「奏介、どうしたかなぁ…」とつぶやいていた。


すると桜ちゃんがニヤッと笑い「そんなに心配するなんて珍しい」と、意味有り気に言ってくる。


「そりゃぁ… あいつには手を焼いてるからなぁ…」


「手がかかるほどかわいいって言うしね」


「バカ… そんなんじゃねぇよ」


「本当? 本当はかわいくて仕方ないんでしょ? 正直に言っちゃいなよ」


父さんは不貞腐れたように黙り込み、桜ちゃんは「ホント、千歳にそっくりだよね」と言いながらゲラゲラ笑っていた。


『それって逆なんじゃ?』と思いつつも、黙って車に揺られていた。



自宅に着くと同時に、3人でジムに顔を出すと、高山さんが見守る中、リングではヨシ兄と智也君がスパーリングをしていて、凌君と部長が制服のままベンチに座っている。


それを見た父さんは部長に駆け寄り「どうだった?」と聞いていたんだけど、凌君と部長は顔を見合わせ、大きなため息をついた後、凌君が切り出してきた。



決勝で奏介と凌君が対決した際、奏介はまるで第1試合のような感じで試合に挑み、終始優勢のまま1ラウンドが終了。


次の第2ラウンドでも、衰えを知らないパンチで凌君を圧倒し、凌君は負けを確信。


その直後、ベンチから突然タオルが投げ込まれ、奏介のTKO負け。


奏介だけではなく、凌君や周囲も何が起きたのかわからないまま、試合が終わってしまった。



耳を疑う試合内容を聞き、部長に切り出した。


「タオルって、谷垣さんが投げたの?」


「いや、星野京香。 あいつ、本当はサッカー部のマネージャーやりたがってたんだよね。 けど、部員5人に対してマネージャー1人って決まってるじゃん? マネージャーが多くなりすぎて、選手が減るのを防ぐためにさ… それでボクシング部に来たんだけど… あれはねぇって」


「奏介は?」


「帰ったよ。 谷垣さんの胸倉つかんで詰め寄ったんだけど、谷垣さんの後ろから投げられたし、谷垣さん自身も、急に後ろからタオルが飛んでくるなんて思いもしないだろ? めっちゃビビってた。 薫が投げるところを見てたみたいで、星野にキレて詰め寄ったら、『早く帰りたいから投げた』ってさ…」



本当なら勝ってたはずなのに…


凌君だって負けを確信してたのに…


あまりにも身勝手な理由で、強制的に棄権されたことに、言葉が出ないままでいた。



シーンと静まり返ったジムの中、誰も何も言葉を発しないままでいると、ジムの扉が開き、カズ兄が姿を現した。


カズ兄は不思議そうな表情をしながら「どうした?」と聞いてくる。


すぐさま「店は?」と聞くと、カズ兄は「オーナーが法事で休み」とだけ。


ヨシ兄がリングを降り、事情を話すと、カズ兄は急いでジムを後にし、バイクでどこかへ向かっていた。


「…カズ兄、どこ行ったんだろ?」


不思議に思いながらつぶやくように言うと、桜ちゃんが「決まってるじゃん。 奏介君のところでしょ? 中田英雄の教え、やろうとしてんじゃないの?」と答える。


「『負けて悔しいときはミットにぶつけろ』ってやつ? 今の奏介、本当に悔しいのかな?」


「ん~。 そこは疑問だよね。 悔しかったらここに居るはずだし、居ないってことは虚しさのほうが勝ってるのかもね…」


桜ちゃんの言葉に何の反応もできないまま、ただただカズ兄の帰りを待っていた。

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