第37話 ~地獄の入り口見えようと~
「お前の言ったとおり、いい青年だな、彼は」
仁博士は感慨深げにそう言った。
その目は、自分の正面の壁に注がれていた。
「でしょー」
師と同じものを見つめ、美麻はうんうんと頷く。
彼達の視線の先では、壁が真ん中から二つに開き、深々とした地下トンネルへと繋がっていた。
「ひょっとしたら、本当に取り戻してくれるかもしれませんよ──ソラを」
煙を含んだ灰色の涙雨が、街の火を緩やかに鎮めてゆく。
回れタイヤ、濡れそぼるアスファルトを切り裂けとばかりに快晴はアクセルを回す。
(まさか、あんな隠し通路まで作ってるなんてね……)
この短時間で快晴をここまで運んだのは、屋敷から麓までを直通でつなぐ、高速リフト付きの地下トンネルだった。
地下室の壁が開いたと思ったら、上からタワーパーキングのように快晴のバイクが降りてきたときには心底驚いた(しかも執事付きで)。
出口も怪しまれぬよう、山麓の農具用倉庫(辺り一帯、森家所有地)に偽装されていた。
行きもアレを使わせてくれれば、わざわざ山道をちんたら走る必要もなかったと思うのだが、そこは守るべき話の手順というものがあったのだろう。
雨の路面を百キロ近くで爆走しているにもかかわらず、ハンドルはいつにもまして安定している。快晴の気合……ではなく、リフトで運ばれているさなかに森家執事がタイヤに吹き付けてくれた超スリップ防止コーティングスプレー《ラ・スヴェラザール》(美麻発明)の威力だ。
ちなみに、執事とは出口でお別れした。
「快晴さん、聞こえますか?」
耳に押し込んだ小型インカムから美麻の声がする。新型の骨伝導式で、エンジンの音も気にならないくらい鮮明だ。
「バッチリ聞こえます」
「お渡ししたケースも無事ですね?」
ケースとは、バイクのタンデムシートにベルトで固定されているアタッシェケースのことだ。
「もちろんです」
その縁を腰に感じながら快晴は応えた。
「これ、何が入ってるんです?」
出発時に美麻から渡されたのだが、アーバロンの復活に絶対必要という以外、いまだ説明がない。
「開けたら分かりますよ。直進してもらいたいところなんですが、思いのほか瓦礫が多くて、さすがにバイクでは危険です。誘導しますので迂回して──あ」
美麻が途中まで話したところで、突然、背後から飛来した一機のBFが快晴を追い越すや、道路に腹を付け、ガリガリと危なげな音を響かせながら滑走していった。
おかげでワイパーで掃いたように瓦礫が消え去った。が、どう見ても戦闘機の使い方を間違えている。
「わぉぉ、京香さんの指示でしょうか。無茶しますねぇ」
呆気にとられながらも、美麻の声は楽しそうだ。
快晴に道を作ったBFは、そのまま怪獣の横っ腹に突っ込んだ。
玉砕──と見えた瞬間、他のBFも一斉に同じ方向から取り付き、鼻先をフォリドンに押し当ててブースターを燃え上がらせた。
巨獣の足が浮き上がった。戦闘機が力を合わせて怪獣を押し出しているのだ。振りほどかれても食らい付き、アーバロンから遠ざけてゆく。
「凄い! 快晴さん。皆さんが助けてくれてますよ!」
「ええ……ええ……!」
飛鳥司令、形梨参謀、そしてすべての職員達の顔を思い浮かべながら、快晴は熱暴走しそうになる涙腺をグッと抑え込んで、行く手を見据えた。
雷撃を浴びたうえ、怪獣にしたたか痛めつけられ、いまやアーバロンは完全にダウンしていた。これがリングの上なら10カウント負けは確実だ。
(──けれど、ここはリングじゃない。ソラが諦めない限りカウントなんて来ない。オレがいる限り、ノックアウトになんてさせない!)
アーバロンと出逢ったときのことを、快晴は思い出していた。
あの時は無我夢中で、自分が何をしているのかもよく分からなかった。
無我夢中なのは今も一緒だ。だが、自分が何をしているのか、何をすべきなのかは判っている。
「バーニア限界! 目標を抑えられません!」
オペレーターの悲痛な声が司令室に響く。
フォリドンの動きをなんとか封じ込めつつ押し込んできたが、ついに姿勢制御系がオーバーヒートを起こしたのだ。
BFの群れがバラバラに飛び散り、怪獣が大地に落下した。隊列を組み直そうとするも上手くゆかず、そこかしこで機体同士が衝突する。
「致し方ありますまい。そもそも、こんな運用法は想定外でしたからな」
いまだ一機を預かる形梨が、己の持ち駒を早々に復帰させた。フォリドンの眼前をかすめて飛ばしつつ、レーザーを撃ち込んでゆく。
なんとしても敵の目を引きつけておく作戦だ。
「くそっ、アーバロンとフォリドンの距離は!?」
「二〇〇メートル!」
フォリドンの全長の二倍──走られでもしたら一瞬で詰められる。
「アーバロンの状態は!?」
「ダメだ、関節がマトモに動いてない! 自分で再起動を繰り返してやがる! ──ッておい! アイツ、マジでこっちに来やがった!」
「ようやく来たか馬鹿たれ! アーバロンのカメラ! スクリーンに回せ!」
有無を言わさぬ司令の指示で、バイクがメインスクリーンの一角に映される。
アーバロンに搭載されているサブカメラのひとつが捉えた映像だ。
直後、その目の前を、銀色の影が横切った。
(BF──!?)
京香には言葉を発する暇もなかった。
フォリドンの巨大な尾のひと振りを受けて、吹き飛ばされてきた機体だった。
そして被弾機は再び上昇する間もなく、快晴の目前に墜落した。
ゴァン──アーバロンのマイクを通して、轟音が司令室に響く。
「くそっ!」
司令室にいるほぼ全員が悪態をついた。
バイクとアーバロンの距離はあと百メートルもなかった。ここまできて、こんな不運が起ころうなどとは誰も予想していなかった。
あれでは彼も助からない、と誰もが思った──ひとりを除いて。
「まだだ!」
京香が叫んだ。爆音の中で微かに叫び続けるエンジンの音を、彼女の耳は捉えていた。
次の瞬間、BFを踏み越え、炎と煙を突き破り──
「ソラ────ァ!!」
ハンドルを握る青年の大絶叫が司令室を支配した。
無我夢中を超える心境があるんだな、と快晴はのちに思うことになる。
目の前にBFが堕ちる瞬間、咄嗟に思いついたのは特撮ヒーローのバイクスタントだった。もちろん練習したことなどない。とにかく見よう見まねで身体をバウンドさせ、前輪を跳ね上げた。それがBFの形状と上手くはまったのだろう。地面が震えるのを感じたと同時に、気が付けば銀色の背面を駆け登っていた。
そこからも生きた心地はしなかった。墜落の衝撃で舞った粉塵で視界は効かないわ、そこいらから炎は上がるわ。
無事だったのは完全に運だ。もう一回やれと言われても二度と出来ないし、やりたくない。
叫んだのさえ、勢いづけというよりは断末魔の心境だった。
「ソラ────ァ!!」
叫ぶと同時に灰色の霧が晴れ、眼と鼻の先にアーバロンが見えた。
そして浮遊感が全身を包んだ。
(ひ……ッ!?)
股間が縮み、
「ぐぇぇ──!!」
着地と同時に快晴は投げ出され、バイクは横転し、それぞれに滑走していった。
「んなろぉ!」
これでもかと快晴は立ち上がり、ヘルメットを脱ぎ捨てた。落ちたときに顔を打ったおかげで、バイザーには大きなヒビが入っていた。
アスファルトのデコボコで買ったばかりの革ジャンもジーンズも破れた。
頭がズキズキする。腕も脚もすりむいて出血している。だが、そんなことは気にしていられない。
バイクを見れば、タンクをやられたようで燃料が地面に広がっている。
(ケース!)
咄嗟に快晴は走った──バイクに向かって。
爆発の危機もかえりみず、タンデムのベルトをほどく。ワンタッチ式だったのが快晴の命運を分けた。
ケースを抱えて走り出した、その数秒の遅れで、バイクが爆発した。
「が──ぁ!」
爆風と熱波を背に受けて、快晴は倒れ込んだ。
「快晴さん!? 快晴さんご無事ですか!?」
美麻の声が頭に響く。だが骨伝導の音声も、いまの快晴の意識には届かない。
(こんなことでぇ!)
己を叱咤して立ち上がり、再び走った。
目的の場所はそこにある。
目指す人は、目の前にいる。
「ソラァ!」
走りながら、快晴はいま一度、彼女の名を叫ぶ。
その呼びかけでアーバロンがこちらを向いた。
震える腕が、おぼつかないながらも、ゆっくりと快晴へ伸びる。
思い出した──? 違う。その手は快晴に「来るな」と示していた。
「いいんだ! オレがもう隊員じゃないとか、きみがもうオレを必要としてないとか、そんなことは、今はいいんだ!」
自分よりも遥かに大きな指をすり抜けて、快晴はアーバロンの腹部を──大きな傷跡を──目指す。
あの日は首のなか、今度は腹のなかだ。
「オレがきみを助ける! 絶対に助けてみせる」
叫びながら、亀裂の間へと身を滑り込ませようとして──巨人の手に捕まった。
「ソラ、放してくれ! オレは──」
親指に手をついて、必死に身体を引き抜こうとする。
抜けない。アーバロンも手を開いてはくれない。それどころか、腕が届く限りの場所へ、快晴を連れ出そうとしていた。
人命救助の動きだ。戦闘マシーンになってしまったとはいえ、人間の生命を守る意志がまだ生きているのだろう。その義務感が快晴を戦いに巻き込むまいとしているのだ。
正しい──人のために戦うロボットとしては、真に正しい姿だ。
だが裏を返せば、それは拒絶だ。人間を信用していないのだ。弱者であり、ともに戦うべき存在ではない、というのだ。
それでは駄目だ。快晴の知っているアーバロンでなければ、もう先に進めない。もう戦えない。怪獣も倒せない。
「ソラ……お願いだから……」
雨に紛れて、快晴の眼から流れた
なぜ、心変わりなどしたのか。
なぜ、心変わりをさせたのか。
なにが悪かったのか。誰が招いたのか。
悲しく、憎らしく、恨めしかった──対怪機構の本部も、そこから来た技術者達も、司令も、参謀も、技術主任も。そしてアーバロンと、自分自身でさえも。
もう戻ってこないのか。
明るくて、
「ソラ……オレは、帰ってきたよ」
涙に濡れた声で快晴は語りかけた。
「だから、きみにも帰ってきて欲しい」
アーバロンの腕の動きが止まった。
「初めて逢った日のこと、憶えてるよね。オレを助けてくれたきみが傷ついたとき、なんにも分からないくせに飛び込んでいったオレに、治す方法を教えてくれただろ。オレはあのとき、きみのことを凄いロボットだと思った」
アーバロンは応えない。かといって快晴を放しもしない。
「きみがオレのことを……お、想ってくれたのには、正直ビックリした。そんな馬鹿なことあるかって。本当だとしても、なんで普通の女の子じゃなかったんだ、って」
それは、快晴が今まで直接口にしたことのない本心だった。
「でも、オレはそれでも嬉しかった。誰かに想ってもらえることも、その人と一緒に過ごせることが、本当に嬉しかった。オレは、ずっと独りぼっちだったから……」
(言え! はやく言ってしまえ!)
京香は手に汗を握りしめた。
本人がこの場にいたら、その拳で背中をど突いてたかもしれない。
司令室内は水を打ったように静まりかえっていた。
アーバロンのマイクから入ってくる快晴の言葉に、全員が耳を傾けていた。BF隊はもはや自動操縦まかせの放置状態で、一機また一機と撃墜されてゆく。
(やれやれ、致し方ありませんなぁ)
形梨参謀だけが耳を傾けつつも、手の方はせわしなくコンソールを静かに繰って、フォリドンの攻撃をなんとかかわし続けていた。
「ソラはオレを巻き込んだと思ってるかもしれない。けれど、オレはそれでよかったと思ってる。オレは優柔不断で、ソラほどはっきり言える性格じゃないから、分かりにくかったかもしれないけど……
ねぇ、いつか、“自分が何のために生きているか”って話したことがあったろ。あのとき、オレは分かった気がするって言ったけど、キミには伝えられなかった。伝える勇気がなかった。けれど今なら言える……!」
グッ、と快晴は奥歯を噛み締めた。
「きみと離ればなれになって、はっきり分かった……! 夢になんか出来ない、忘れるなんて無理だ! オレはずっと、ずっとソラのパートナーでいたい……!」
──ゴ……ゴゴゥ。
アーバロンが深い唸り声を上げる。両眼が明滅し、首が右へ左へと小刻みに揺れた。
「おお、なんと……!」
ドローンで様子を観ていた仁博士が驚く。
「電子頭脳が自己修復を試みているのか!?」
「どきどき……!」
かたや、美麻は胸を高鳴らせて、ことの行く末を見守っていた。
「一緒に話をして、ピアノを聴いて、傷ついたらオレが治すんだ!」
快晴は両手を広げた。
抱けるはずのないアーバロンを抱き締めようとしているのか。それとも、偽りない自分の心を彼女に
「ソラが笑うときはオレも笑って、ソラが悲しいときはオレも悲しくなって……ソラが命を懸けるときには、オレも一緒に命を懸けたい!」
いつからその想いを抱いていたのかは判らない。だが、人には失って初めて気付くものもある。
だからこそ、もう一度取り戻したいと願い、もう二度と失わないと誓う。
「お願いだ、ソラ! オレをまた独りにしないでくれ! オレから離れないでくれ!」
そしてついに、その言葉を叫んだ。
「きみがオレを好きになってくれただけじゃない! オレも、きみが好きだ! ソラ、大好きだ──!!」
その瞬間、アーバロンの両眼が稲妻のように閃いた。
──ゴウゥゥォォオオ──!!
今まで聞いたことのない声が響いた。
五秒、十秒と経っても途切れない。まるで地鳴りのようだ。
なにが起こっているのか分からず、快晴は眩しさに腕をかざした。
すると────
「あっちッ!?」
アーバロンの全身いたるところから、ブシューッと蒸気が噴き出した。
(これは──ッ!)
その現象を快晴はよく知っている。
「ソラ……ッ!?」
その声に応えるかのように、アーバロンが手を上向きに開き、自らの腹部へと快晴を誘った。
「ワット!?」
パリ本部直属の技術者達はパニックに陥っていた。
アーバロンに謎の反応が現れた直後、彼らのコンソールが異常をきたしたのだ。
「もの凄いエネルギーが逆流してきている! どうなってる!? ノォー!」
慌てふためくうちに、コンソールはバチバチと電気の火花を散らしてから、ボフーンを煙を吐いて沈黙した。
それを見た日本支部の隊員達が一斉にガッツポーズをした。皆、アーバロンになにが起こったのか察したのだ。
(快晴、ついにやったな!)
京香も心のなかで快哉を叫ぶ。
「──ってぇ!? BF隊が壊滅してるではないか! 担当者ども、なにをしていた!?」
「申し訳ありません! つい──!」
「まぁ、致し方ありませんな。おっと、私の持ち駒もそろそろ活動限界です」
「後発BF隊到着しました! 戦闘可能時間、五分!」
「散開包囲! 敵を釘付けにしろぉ!」
「本当に、本当に彼は……!」
「キャー! これぞ愛の力、イェーイ!」
驚愕する師と大はしゃぎする弟子という対照的な図であった。
「おっと、それよりちゃんとナビしないと」
サッと頭を切り替えて、美麻は通信機のひとつに着いた。
「ああ……よかった……」
仁博士は机に置いたままの写真を見つめ、そして独り、深々と物思いに
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