第160話:近付く二匹

 舗装されていない山道を走る1台の古い軽トラック。中には初老の男2人が乗っていて、悪路をものともせず軽トラックを走らせる。


 ラジオから天気予報を伝えていたお姉さんの声に大きなノイズが走り、プツリと消えると、ザーと音を鳴らすラジオを助手席の男はボタンを押したり、周波数を合わせ始める。


 それと同時に荷台にいるビーグル犬が突然吠え出し、後ろが気になった助手席の男がサイドミラーを覗くと、トラックに追い付く勢いで走ってくる何かが映っている。


「なんだありゃ、鹿か?」


「あん? ああ鹿っぽいな。こんなとこまで出てくるなんて珍しいな」


 運転席の男がルームミラーに映る茶色の生き物を見て呟く。

 距離は離れているのに、ミラーに映る大きさからすると、かなり大きいのだろうと推測できる。


 でも今は狩猟期間外、今日はクマの目撃情報を受けて、偵察にきただけ。あんな大きな鹿滅多にいないだろうから仕止めたいものだと、残念がる運転手。


「お、おい、なんかおかしくねえか」


 助手席の男に言われ運転手がルームミラーを見ると、先程まで遠くにいたはずの鹿はすぐ後ろに迫ってきていた。


 体は軽トラックよりも大きく、頭にある角は一本しかない。

 ひづめを力強く鳴らし走る鹿は、軽トラックの隣に並ぶと横を見て、中にいる2人を血走った赤い目で凝視する。


 吟味するような目に睨まれ萎縮する2人。やがて鹿はブフッっと小さなため息をつくと、隣を走る軽トラックに体当たりする。


 軽トラックは横転し、地面の土や落ち葉を巻き上げながら滑り木にぶつかり止まる。車体は横転し、軽トラックは腹を見せている。


 運転手の男がもうろうとする意識の中、土を踏みしめ近付く鹿の姿を見つめる。鹿は助手席の男を咥えて引きずり出すと長い舌を伸ばし胸を貫く。


 助手席の男は短く叫ぶと、体を痙攣させる。みるみる顔色が土色になり、血の気がなくなっていく。

 すぐにドサッと倒れ、ポッカリと開いた胸からはほとんど出血はない。


 ゴクゴクと喉を鳴らしていたが、やがて赤いヨダレを垂らしながら、舌舐りをした後ペッと唾を吐く。


 助手席の男の味がお気に召さなかったのか不機嫌そうに鼻息を鳴らしながら、荷台から落ちた檻の中にいる怯えるビーグル犬を見つけると近づき、舌を伸ばし鉄格子の間を這わせると、キャンと短い悲鳴が聞こえた後に喉を鳴らす鹿。


 さっきと違うのは、瞳に嬉々とした光を宿し一心不乱に喉を鳴らしていること。

 満足そうに舌舐りをすると、運転手の元にやってくる。


 一連の動作を見ても動くこともできなかった男は、死を覚悟する間もなく胸を貫かれ、薄れゆく意識の中で自分の血が抜ける感覚を感じ、その血を飲む鹿が不機嫌そうな顔になっているのが見える。


 男は思う。


 この鹿、若い女の血が好みなのかと。


 ビーグル犬のサロメが若いメス犬であり、その血を吸うときの顔との違いに、年老いた俺の血はそんなに不味いのかと。

 死が迫っている今、冷静にどうでもいいことを思ってる自分を笑いながらこの世から意識をなくしてしまう。


 鹿は食事が終わると不機嫌そうな表情をしながら舌舐りをすると、再びビーグル犬のもとにいくと一舐めして口角を上げニヤリと笑う。



 * * *



 金堂めい子こんどうめいこは今年の春に入社した所謂、新入社員。

 庭先にいる大きな赤い毛並みの犬に怯えながら、震える指で玄関のインターフォンを押すと、スーツの襟を整え、軽く咳払いをして喉の調子を整える。


 プツッとインターフォンから音が鳴り、女性の声が聞こえる。


「あ、こんにちは! わたくしメイカイリフォームの者なんですが。こちらの御自宅にソーラーパネルを……あ、え、いらない……はい、えっとパンフレットだけでもポストにぃ……もぉいらない……はいぃ」


 ブツッと音がしてインターフォンは静かになってしまう。


「うぅ……ダメだぁ。向いてないこの仕事ぉぉぉぉ。はぁ~」


 項垂れて、玄関を後にするめい子が視線を感じそちらを見ると、赤い毛並みの犬がつぶらな瞳でじっと見ている。


 なんとなくその瞳に引かれ、近付いためい子が屈んで犬の頭を撫でると、気持ち良さそうに目をつぶった後、ベロンと顔を舐めてくれる。


「ああ犬はやっぱり良いなぁ。あぁ犬飼いたい。

 ねえキミ、立派な家に住んでるけどソーラーパネル付けない? ってやんないよねぇ」


 苦笑しながらふと犬小屋の横を見るとネコが3匹いて、並んでめい子を見ている。


「キミの友だち? 仲良さそうだね。

 やっぱり動物は癒されるなぁ。


 ねえ、私この仕事向いてないと思うんだぁ。トリマーになりたくて専門学校出たのにさぁ、なんでこんなことしてんだろって思うんだ」


 犬に真剣に悩みを相談する自分に対し、フッと笑うめい子が犬を撫でている手を、犬がポンポンと優しく叩いてくれる。

 その行動に目を丸くして驚くめい子だが、すぐに笑って赤い毛の犬の頭を撫でる。


「ありがとう。なんか元気出てきた。話し聞いてくれてありがとう。……ふふっ、言葉なんて分からないよね。うひゃあくすぐったいって!」


 犬がめい子の足をペロンと一舐めすると右の前足を上げてくる。


「なになに? お手?」


 めい子が屈んで差し出す手を、犬は後ろ足だけで立ち、両前足でめい子の挟むと肉球で撫でてくれる。

 そして顔をペロリンと舐めると、足にすり寄る。


「よし、もうちょっとだけ頑張る! ありがとう優しい犬さん」


 めい子が立ち上がり、犬の頭を撫でて、手を振り去っていく。


 門を出る丁度そのとき、1羽のカラスがめい子とすれ違い、先程の犬の小屋の上に留まるとカァー! と一鳴きする。

 その後、わん、にゃあ、カァと、鳴き声が飛び交い、まるで話しているようにも聞こえる。


「なんか凄いもの見ちゃった。今日は良い日になる気がする!」


 犬と猫カラスが円になって、鳴いている姿を見ためい子は、拳をグッと握りしめて気合いを入れるのだった。

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