閑話『情念』





 レナードからの置手紙を呼んで、私は膝から崩れ落ちた。


「なんで……どうして……っ、レナード……っ!」


 胸が痛い。悲しくて、寂しくて、まるで迷子になったみたいに心細い。


 こんな気持ち、レナードとローザが付き合い始めたときにだって感じたことなかったのに――。


 レナードの残した手紙によると、彼は王都へと旅立ってしまったらしい。


 昨日の昼、どこか達観してしまったような彼に「居なくならないように」と釘を刺し、「皆に話して協力してもらう」という提案をした後には、少しだけ元気を取り戻し前向きに考えてくれていたように見えた。


 それなのに、なぜレナードは一人で王都へと行ってしまったのだろう?


 私は胸苦しさを覚えながら、必死で考える。


「きっと、何かがあったんだわ……」


 レナードが、急に王都行きを決めてしまうような何かが――だって、そうとしか思えない。


 悩んだ末に、まだ朝も早いけど、私はレナードの家へと行ってみることに決めた。


「ちょっと、どこへ行くのセリーナ」


 私が今まさに駆け出そうとしたその瞬間に、声が掛けられた。


 白髪交じりの茶髪をなびかせ駆け寄って来る中年女性は、この教会の修道女にして、私が小さい頃からお世話になっている孤児院の院長でもあるアンナさん。


「はぁ、セリーナ。今日は王都の教会本部から、偉い方が貴女に会いに来るって、言っておいたでしょう?」


 そういえばそうだった。私が分不相応にも『司祭』なんていう天職を得てしまったために、王都から偉い人が会いに来ると言っていた。


「……はい、分かってます。でも、それはお昼からですよね。それまでには戻りますから、行かせてください」


 そして、しばらく見詰め合う私とアンナさん。


 やがて、私の意志が固いと見ると、アンナさんは再び溜息を一つ。


「はぁ、必ず戻って来てね。駆け落ちとか、したらダメよ?」


 いったい、私をなんだと思っているのか……というか、アンナさんは私がどこに向かおうとしているか、分かっているんだろうか?しかも、駆け落ちって……。


 私はほんのりと熱くなった頬を引き締めて、アンナさんに一礼してから駆け出した。


 そうして、慣れ親しんだ道のりを行けば、私にとっても思い出深い幼馴染の生家が見えてくる。


 レナードとローザが付き合い始めてからはあまり来なくなってしまったけれど、それまでは毎日のように来ていた彼の家。


 家の前までやって来た私は、ちょうど家の中から出て来たローザと鉢合わせた。


「ローザ?」


 なぜ、彼女が中から出て来るのだろう?


 昨日、レナードに対してあんな態度を取ったというのに、まだ彼の家に居たというのだろうか。


 私はついつい咎めるような視線を向けてしまう。


「セリーナ……」


 するとローザの方も、まるで挑むようにこちらを睨んできた。


 私もローザも、口を閉ざしたまま見詰め合う。


 私たちには、お互いにしか分からない、お互いに対する目に見えない確執と嫉妬心があるのだと思う。そしてそれは、これまで一度として私たちの間で表面化されたことはなかったけれど、今はどうだろう――。


「セリーナ、ここに何しに来たのよ?」


 先に口を開いたのは、ローザの方だった。


「私はレナードを訪ねて来ただけよ?ローザこそ、こんなところで何をしているの?昨日レナードとは別れて、その夜にはエミリオと祝杯を上げに行ったのでしょう?」


 視線を反らさないまま、私はハッキリと答えて聞き返す。


「っ――別に……」


 僅かに視線を反らしたローザが、苛立ったように髪をかき上げた。


 その言動に、嫌な物を感じた。


「あなたまさか、昨日この家でエミリオと居たわけじゃないでしょうね」


 たった今、ローザがレナードの家から出て来たことや、こちらの指摘に対する態度からもしやと思った。


「アンタには関係ないでしょう!?」


 ローザが噛み付くように叫んだ。


 それで、確信する。


「そんな……なんてことっ……だからレナードは――」


 一人で町を出て、王都へと行ってしまったんだ……。


 昨日の晩、この家で何があったのかは分からないけれど、きっとレナードに決意させるだけの何かがあったに違いない。


「はっ?ちょっと待ってよ!アンタ、レナードがどこにいるか知ってんの!?」


 そう聞くということは、ローザもレナードが居なくなったことは知っているらしい。


 私はそんなローザの横をすり抜けて、家の扉へと向かった。


「ま、待ちなさいよ!たった今鍵を閉めたところだから扉は開かないわよ!鍵を開けて欲しかったらレナードの居場所を言いなさいよっ!」


 騒ぐローザを無視して、私は子供の頃にレナードから渡された合鍵を使って扉を開ける。


「なっ、なんでアンタが鍵を持ってるのよっ!!!」


 私が鍵を持っているという事実に、ローザがここ一番の怒声を上げた。


「そんなの、レナードからもらったからに決まっているでしょう?」


 私は溜息まじりに言う。


「なによそれ……アンタたちっ、やっぱり関係持ってたわけ!?最低っ!!」


 ローザは顔を真っ赤にして怒り、目には涙を溜めている。


「はぁ、そんなわけないでしょう?そもそも、レナードとあなたが付き合うずっと前から私は鍵を渡されていたわよ?ああ、もちろん、私は家に転がり込んで鍵を要求したわけじゃなくて、レナードの方からプレゼントしてくれた物だけど」


 最後のは自分でもどうかと思ったけれど、つい当て擦ってしまう。


 だって、本当はローザよりも私の方が――。


「なによっ、澄ました顔しちゃって!やっぱりアンタってムカつくっ!」


 ローザが半ば泣きながら捲し立ててくる。


「孤児院のときからそうよ!アンタなんか大したことないくせにっ、皆してセリーナセリーナって!なのにっ、アンタはいつも澄まし顔でお高く留まっちゃって!」


「別にお高く留まってるつもりはないし、皆からセリーナセリーナ言われた覚えもないわ」


 ローザは、そういうところよ!とか叫んでいるけれど、心当たりのないことで文句を言われても困る。


 私はもうローザには取り合わず、家の中に入ろうと鍵を開ける。しかし、次いで放たれた彼女の言葉に、足を止めることになった。


「そんなだからっ、あたしが先にレナードを奪ってやったのよっ!!」


 それを聞いた瞬間、視界が真っ赤に染まって耳鳴りを感じた。


「どういう、こと……?」


 怒りなのか、恐怖なのか、聞き返す私の声は低く震えていた。


「はぁ、はぁ……ふんっ、そのままの意味よ。レナードとあんたが好き合ってるのは知ってたから、レナードに“セリーナは修道女になるから誰とも結ばれるつもりはない”って聞いたって、言い続けたの」


 ローザは肩で息をしながらも、涙に濡れた凄惨な笑みを浮かべて言う。


「ふふっ、レナードは素直だから信じたわ。そこからは、皆に隠れてレナードに好き好き言い続けて、ちょっと泣いて見せたら、ころっとあたしに落ちてくれたわ。あたしの処女はじめてをあげたときなんて大げさに感動して――くふふ、単純よね」


 そう言って、挑発的に微笑むローザ。


 それに対し私は、理性の部分ではローザの行いに思うところはあるけれど、それでも最終的にレナードが選び結ばれたのはローザなのだと納得できる。


 しかし、感情の部分では、そもそもレナードの周りに自分以外の人間が居ること自体が気に入らない。


 真面じゃないというのは自分でも分かってる。だからこそ、ずっとレナードへの想いは秘めて抑えて来たつもりだ。


 それなのに、ローザも、レナードも、皆して勝手ばかり……っ。


「っ……そう、でも結局ローザはレナードを捨てたわけだし、もう無関係よね」


 念を押すように言うと、ローザが顔を跳ね上げた。


「だ、だってっ!仕方ないじゃないっ……あたしには夢があって……それなのに、レナードは『盗賊』だったんだからっ……!」


 ローザは唇を噛んで俯いた。


 確かに、世間一般的にはローザの考えの方が正しく理解を得られるだろうことは、私にだって分かってる。犯罪天職というのはそういう扱いを受ける物だ。


 でも、それなら――と余計に思う。


「なら、レナードのことは私に任せてもらって良いわよね。あなたはレナードを切り捨てて自分の夢を選んだのだから」


 取捨選択は別に悪いことではないけれど、私はレナードの落ち込み様を見ている所為か、つい責めるような口調になってしまう。


 すると、ローザが再び声を荒げた。


「っ――ああそう!でもね!レナードはあたしのお金を盗んで逃げたんだから!もう立派な盗賊よ!あたしはそのお金だけは絶対に取り返すんだから!邪魔しないでよねっ!」


 ローザは言うだけ言って、この場から走り去って行った。


 そして、残された私は首を捻る。


「レナードがお金を……?」


 ローザいわく、彼がお金を盗んで逃げたのだと言う。


「いいえ――例えそうだとしても、きっと事情があったに違いないわ」


 首を振りながら、そう結論付けた。


 レナードへの盲目、盲信――それは危険な思考だと、私の天職が告げてくる。


 でも、それが何だって言うのか、『司祭』の天職ごときが、レナードの何を知ってるっていうのか。


 だから、私は世界に挑むように決意する。


「待っててレナード。私が必ず、あなたを救うから……っ」


 彼を傷付ける全てから、彼を守り癒せるように――。


 



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