第33話 幸福に生きられる場所を探している

 門が監視されている可能性を考え、チーニは王都の北側の外壁をよじ登って外に出る。必要になりそうな物を詰め込んだ鞄が背中で揺れた。


 一番地に一つしかない馬宿を目指して、チーニはゆっくりと歩く貴族の間をすり抜けていく。感情が昂って、思考回路も冷静ではない。とにかく何かを目指して動いていないと、気が狂いそうだった。


 熱い頭の中で何度も、動かなくなったルーナと血まみれのディアが点滅する。


(動け、止まるな。大丈夫、三人いれば、逃げ切れる)


 荒々しく馬宿の扉を開き、呼吸を整えることすらなく、チーニは馬を借りた。


「あんた、大丈夫かい?」

「え? ええ。大丈夫ですよ」


 心配そうに声をかけてくる店主に微笑みを返して、チーニは馬にまたがると、速足で大通りを進む。馬車を追い越し、横断してくる人をよけ、ただひたすらに前を目指す。背中に当たる日の光が、チーニの顔に暗く影を落とした。



 北十番地で遅めの昼食をとったとき以外、チーニはずっと走り続けていた。太陽は随分前に沈み切り、周囲の気温はどんどん下がっている。風を切るように走るチーニの頬は、痛みを訴えていた。それでも、止まらずに進む。


 宵の鐘が鳴る少し前に、チーニは二十四番地を通過した。ここから先に民家はない。二十四より下の番地は、人ではなく番人の住む場所だ。チーニは手綱を強く握りなおし、生まれ故郷へと繋がる道なき道を進み始めた。


 番人というのは、誰かが勝手に呼び出した俗称であり、正式名称ではないらしい。だが、その正式名称を知るものはこの国にはもう居ない。馬の下半身と、人間の上半身を合わせ持ち、長い槍を持った森の守り人。それが番人だ。


 チーニは周囲の気配に気を配りながら進む。いつも暗い部屋でトランプをしているおかげで、夜闇の中でも辺りは良く見える。チーニの頭に、両親と暮らした十年余りの記憶が浮かぶ。


 貴族の父と職人階級の母が出会って恋に落ち、結ばれるために逃げ回って、最終的にたどり着いたのが森と人間の集落との間にあるこの場所だった。


(人から逃げてたどり着いた場所でも、父さんたちはいつも番人から逃げていた)


 逃げて、逃げて、結局死んでしまった二人を思い出して、チーニは小さく息を吐く。幸せだったのだろうか、と馬を進めながら考える。


(食料もろくになり場所で、毎日死にかけて。それでも、互いが居ればそれだけで、満たされていたんだろうか。僕は、ルーナとディアにとって、そこまで価値のある人間だろうか)


 思考の隙間でチーニの五感が、違和感を捉えた。意識がピンと張る。馬を止め、チーニは呼吸を殺して辺りを見回した。少し先に番人が居るのが見える。チーニは慎重に番人の動きを観察する。


 番人は人ではない。だが、獣でもない。彼らは他の何より機械に似ている。常に同じ速度で進み、同じルートをぐるぐると回り、人を見つけるとまっすぐに向かってくる。獣には興味を示さず、視界に入った人だけを攻撃する機械。


(タイミングを見計らって、背後を通れば、襲われることなく森にたどり着けるはず)


 チーニは番人が視界の端に移動したところで、馬を動かす。番人は振り返ることなく、まっすぐにチーニから遠ざかっていった。チーニは小さく息を吐きだす。



 そうやって番人をかわしながら速足で進み、四十分ほどでチーニは森の入口にたどり着いた。時計に視線を落とし、チーニはため息を吐く。


(ここに着くまで、崩れかけの家はいくつか見たけど、一つ一つが離れすぎてる。警ら隊に大人数でしらみつぶしに探されたら、あっという間に見つかる)


 チーニは暗く静かな森を見つめ、深く息を吐いた。


(やっぱり、逃げるなら森の中だ)


チーニは時計で時間を確認しながら、暗い森の中を進む。森の中に入ってしまえば、番人は居ない。夜行性の動物に気をつけつつ、チーニはどんどん進んでいく。


 三十分ほど移動したところで、一旦馬を止め、チーニはあたりで一番背の高い木に登る。葉の生い茂る層を抜け、南側の空を見上げた。冷たく光る大きな満月と、星の位置から向かっている方角を確かめる。


「大丈夫。ちゃんとまっすぐ北に進めてる」


 口に出して、大丈夫だと自分に刷り込む。そうして居ないと足が止まってしまいそうだった。大事なものが手からこぼれていくことを、受け入れてしまいそうだった。


 チーニはするすると木を降りて、また馬にまたがり道なき道を奥へと進む。夕食代わりに甘いクッキーを食べながら、もう三十分ほど移動すると不意に視界が開けた。


 チーニの目が大きく見開かれる。手からクッキーが落ちる。


 草原の少し先に広がる崖。その奥にある巨大な壁。チーニは馬を降りて、崖に向かって坂になっている草原を走った。


 草原の淵から下を見下ろしたチーニの口から乾いた笑い声が落ちる。チーニを飲み込むように、ぽっかりと口を開けている崖は底が見えないほど深い。落ちたら生きて戻ってくることは不可能だろう。


「これが、世界の果て」


 笑いを含んだ声で呟いて、チーニは膝から下を崖に投げ出して寝そべった。


 この広さでは森に三人で逃げ込んだとしても、三日と経たずに見つかって終わり。向こう側に希望を抱いて壁を登ろうにも、崖が邪魔で届かない。そもそも壁の向こうに、別の世界が広がっているという保証はない。


「これじゃ、どこにも逃げられない」


 吐き出された声はか細く、震えていた。


「ディアが何をしたって言うんだよ。ルーナのどこが悪いって言うんだよ」


 チーニは手のひらを強く握った。


「何もしてない、何も悪くない」


 地面を強く殴る。


「ふざけるなよ。神様がどこかに居るなら、ぶん殴るから出て来いよ」


 頬を涙が伝う。


「どうして世界は、こんなに、彼らを拒むの」


 囁かれた言葉に答える声はない。どんなに現状を嘆いても、世界は変わらず、時間は止まらない。チーニは唇を噛んで涙を拭うと、勢いをつけて起き上がった。


(止まるな。道を探せ。失うことを受け入れるな)


 最良の結果を手に入れることを諦めようとする自分を叱咤して、チーニは馬にまたがる。


(大丈夫。逃げられないなら、他の方法を探せばいい。大丈夫、きっと、どうにかなる)


 チーニは唇を強く噛んで、世界の果てに背を向けた。

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