第20話 二十歳の誕生日とお酒

「……まっず」

生まれて初めてビールを口に含み、最初に出た言葉がそれだった。

注視していたみんながドッと笑う。

「いやぁ、二十歳になったからって、急に大人になるものでもないっすからねぇ」

いろはさんが、ご満悦な様子でビールの入ったコップを空にする。

いろはさんの誕生日は春だから、それなりに場数を踏んだのだろう。

どや! とでも言いたげなその視線を無視して、私はコップの液体を見つめる。

「まるで、体調が悪いときのおしっこのよう──痛っ!」

「不味くなるようなことを言うな!」

最初から不味いのに、頭を叩くとは理不尽な。


みゃーと私の誕生日は、ちょうど一週間の差がある。

去年は、その間にある土曜日に誕生パーティーをした。

今年、みゃーの誕生日が過ぎるまで待ったのは、みんな一緒にお酒を飲むためだ。

「あのー」

コップを手にしたみゃーが、ぎこちない笑みを浮かべる。

みゃーにしては珍しい。

もしかして飲みたくないのだろうか。

「みんな期待してるところ悪いんだけど……」

嫌なら無理して飲ますような顔ぶれじゃないし、遠慮せず言えばいい。

「私、お母さんがあんなでしょ? 実は中学くらいから誕生日には飲まされたことがあったり……」

周りは、ああ、やっぱり、みたいな反応だ。

平気な様子でビールを飲み干すみゃーに、私は裏切られた思いだが。

……まあいい。

多分、私にはビールが合わなかっただけだ。

「ワインの方が私に似合うかと」

ワインには気品と格式が感じられる。

オッサンがガハハと笑いながら飲むビールとは違い、高貴な私に相応しいものであろう。

強がりだと思ったのか、いろはさんはニヤニヤ笑ってるけど。

「私の手土産はワインだから開けちゃうわね」

花凛ちゃんが張り切る。

わざわざ用意されたワイングラス。

注がれたそれは、改めて見るとあまり綺麗な赤ではなくて、ちょっと黒が混じったように濁っている。

香りも甘いようなものを想像していたが、それも無く微妙な匂いだ。

「無理するなよ」

と孝介さんに言われるが、私はグラスのワインを口に含む。

テイスティングというやつだ。

……。

なんだこれ?

めっちゃ渋くて腐った果実のようだ。

私はニッコリ笑って、「チェンジ」と言った。

ワイン好きの花凛ちゃんが、不服そうな顔をしてグラスを取り上げ、残りを飲み干す。

「美味しいじゃない。プンプン」

……三十路にプンプン言われても、不味いものは不味いのです。

「やっぱ多摩さんにはチューハイじゃないっすかね?」

チューハイがいかなる味なのかは存じませぬが、子供扱いされているのは判る。

誕生祝いに駆けつけてくれた客人とはいえ、ここいらで黙らせておかねば。

「次は、ウイスキーを」

私は琥珀こはく色の液体を所望しょもうした。

熟成された深みのある色合い、どの程度か判らないけれど高いアルコール度数。

これぞ、大人の私に相応しいと言えるだろう。

「タマちゃん、ウイスキーなら十倍くらいに薄めた方が──」

「ストレートで」

十倍とか何を寝惚けたことを。

本来の味を楽しめなくて何が大人か。

「じゃあ、これくらいな」

孝介さんが、ちっちゃなグラスにちょろっとだけ注ぐ。

「バカにしないでください。なみなみと注ぐのです」

苦笑しながらぎ足す孝介さん。

トクトクと深みのある音が鳴って、それだけで大人の雰囲気が漂う。

さあ、見るがよい。

一気に飲み干してぎゃふんと言わせてやるのです。

えい!

「ぎゃふん!!」

何コレ!?

劇薬入ってる!?

脳天にガツンと来る衝撃と同時に、喉は焼けるように熱くなり、その熱い塊が胃へと落ちていく。

目を白黒させている私を見て、笑い転げる客人が二名。

「ほらタマちゃん、水!」

こうなることを予測していたのか、すかさず水を手渡してくれるみゃー。

微笑ましげに見ている孝介さん。

……正直、お酒をあなどっていた。

悔しいけれど、私は自分を子供だと認めざるを得ない。

夜更けに孝介さんと二人で見つめ合い、ふふふ、とか言いながらグラスを交わす大人な光景は幻だった……。


花凛ちゃんはワインを、みゃーは日本酒を、いろはさんはビールを飲んで、それぞれ気分が良さそうだ。

ふん。

「だいたい、お酒ごときで私を酔わせて篭絡ろうらくしようなどと、浅はかな考えです」

何故か孝介さんに当たってしまう。

「お前が二十歳になったら飲みたいって言ったんだろうが!」

「ふっ、世迷い事を。こんなマズいものを飲みたがるわけがないでしょう」

「飲んでみたから言えるセリフだよな!?」

まあ、社会勉強みたいなもの。

こんなもので私の理性は揺るがない。

「さあ、やれるものならやってみなさい」

「何をだよ!?」

「三十二年生きてつちかった、児戯じぎに等しい手練手管てれんてくだを駆使して私を篭絡してみるがいいです」

「児戯に等しいのかよ!」

「ごめんね? いつものアレ、演技だったの……」

「お前、酔ってるだろ! つーか酔ってるからこそ本音!?」

「まんまと私の感じてないフリに騙されていたようですね」

「逆かよ! アレで感じてないフリ!?」

いやまあ、いつも演技をする余裕など無いのですが……。


「美月には、これが合うんじゃないかな」

そう言って孝介さんが、私の前にカップを置いた。

ティーカップ?

「因みにあたしはEカップっす」

黙れ乳魔人!

でも……何でティーカップ?

私は孝介さんを上目遣いで見つめる。

「いいから飲んでみろ」

ワインよりウイスキーに近い、澄んだ赤茶色。

手に持つとカップの熱さが伝わってきた。

日本酒の熱燗あつかんみたいなものなのだろうか。

「……いい匂い」

これは、紅茶の匂いと……何なのだろう?

芳香と言っていいような、上品で奥深い香りが立ち上る。

口に含むと、その香りは鼻腔びこうに伝わり、身体じゅうに沁みるみたいに広がっていく。

「紅茶にブランデーを入れたものだよ」

ブランデー……。

ふふ。

ふふふ。

その響き、この香り、これぞ私に相応しい。

「孝介さん孝介さん」

「ん?」

「凄く美味しいです!」

「そうか、良かったな」

私が喜ぶと、孝介さんも喜ぶ。

「孝介さん孝介さん」

「前から思っていたんだが、お前はどうして名前を二回呼ぶんだ?」

「一回では足りないからですが?」

「いや、一回でいいだろ」

「ほらほら、とか、ねえねえ、とか、そうそう」

「は?」

「どれも一回でも通じますが?」

「ああ、そうだな。それで?」

「一回では足りないから二回繰り返すのでは?」

「?」

「もっと、より、もっともっとでは?」

「ああ、より強調したり、より強く求めたりってことか?」

「孝介さん孝介さん」

「いや、まあ、うん」

孝介さんが照れ臭そうに笑う。

「美月ちゃんは、孝介ビリーバーね」

酔った花凛ちゃんが、私の肩をバンバンと叩く。

もしかして、私も酔っているのだろうか。

好き好き、と、孝介さん孝介さんを何度も繰り返したような気がするけれど、きっとそれは、お酒のせいなのです。

孝介さん孝介さん、二回ではなくて、三回でも足りないくらいですが。

あ、そういえば日本酒を飲んでないなぁ。

孝介さん孝介さん、いつの日か、孝介さんとさかずきみ交わせたらいいなぁ、なんて、あなたの美月は思うのです。

孝介さんも、そう思っていたらいいなぁ……。

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