第7話 存在価値 ●

彼女が手に持った果物ナイフを静止するために僕は彼女の腕を掴んだ。


「いたい!痛いなーはなせー!!」


彼女が右手に掴んだ果物ナイフの刃の方を

自分の右手で掴んだ…。

そして無理やりとりあげた。

自分の手の平から赤い液体が一筋ながれていた。それでも彼女がわめき暴れていたので左手で掴んだ腕はまだ離さなかった。



「離してよ!!……はなせー!!」



彼女の我を忘れた声を聞いていると、

情けなくそして腹立たしく思えてきた。

さっきまで生暖かい涙を流して、

絶望感に晒されていた感情の雫が、

冷ややかな水に変わっていくのを感じた。

あまりに大声でわめくので彼女の腕から手を離して、右手に掴んだナイフをへし折った。どこで買ったかもわからない、実家から僕がもちだしたその果物ナイフは、僕の心と一緒に脆く簡単に折る事ができた。



すると折られたナイフをみて彼女が叫びだしたのだ。


「たすけてー!!殺されるー!!」


と……。



夫婦喧嘩は犬も食わない

とはよく言ったものだ……。

もう二人とも興奮しすぎて、

周りなんか見えてない……。

自分達の力ではこの争いを

終息させる事は出来なくなっていたのだ。



彼女の大声を聞いて義母が慌てて上がってきた。


「この人が!!」

「こいつが!!」


とお互いを罵り合うのを見て……。


僕の頬をピシャリとはたいた。


騒々しく殺伐とした空気が森閑とした。


それから一言も喋らず妻と子供たちは下の家にいった。

そして僕は冷蔵庫から缶チューハイを取り出して一気に飲み干した。

その夜は精神的な疲れとアルコールの力を借りて深い眠りについた。



他に行くところもないが、

そのままでいられるわけもなく、

次の日には子供も妻も二階に戻ってきた。

それはそうだろう。

元々妻の実家なのだから…。

やはり行き場を失ったのは僕の方だった。

しばらく無言で暮らしていたが、

ある時妻の留守に義母に呼び出された。


「もう限界じゃない?」


と言われて黙って頷いた。


「あなたの気持は知らないけれど、ご近所の目もあるじゃない。それから子供たち……。

可哀想よ。一番の被害者はあのでも無いしあなたでもないのよ。子供たちに罪はないわ。わかる?」



もう一度黙って頷いた。

それからいい歳して義母の前でまた涙を流した……。

でも仕方が無かった。

僕にしてみれば



「あのには私から言っておきますから、どうか別れてやって……。あなた達は少し別々の道を歩むべきだわ。」



何故だか不快な気持ちにならなかった。

むしろ尊重されているそう感じたのだ。



僕は思うのだ。

人間というのは自分の存在価値を見出せないと不安になるのだ。否定され続けると生きてる価値を感じられなくなる。そして否定する何らかを排除しようと必死になるのだ。

排除の方法は様々だ。


ある者は否定する者に反発し

ある者は否定する者に屈する。

ある者は否定する者を説き、

ある者は否定する者から逃げ、

そしてある者は否定する者を排除するのかもしれない。



少なくとも当時の妻は僕にとっては、

否定する者でしかなかったのだ。



そして少なくとも義母の

「少し別々の道」

という言葉は、僕の全てを否定している様には感じられなかったのだ。

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