第六話

アゼルナの虜囚(1)

「いただきまーす」

 少女と呼べる年に見える娘がサンドイッチにかぶりつく。

「ディディーちゃん、大金持ちなんだからブレ君に奢らせなくてもさー」

「ん~、ブルーがご馳走してくれるのが大事なの」

「約束したからな」


 娘は狼頭の男の腕をとって朗らかに笑う。人狼は目を細めていた。


(幸せそう。良い出会いがあったのね)


 細い細い外部へと繋がるラインが薄れて途切れる。彼女はまたもや闇の中に放り出された。


 巨大なドーム状構造物の中は明るい照明で満たされている。彼女からもその内部は見えている。しかし、見えているのはその中だけ。


「強情だね。君は?」

『それ以前の問題ですよ。わたくしが進んで貴方に何か渡すことはありません』

「確かに。困ったことにね、シシル」


 闇というのは比喩になる。ドーム内は見てとれるし、制御卓に座る男性の姿も認識している。アシーム・ハイライドという名の彼を。

 ただ、彼女にとってそこは闇に等しい。外部との通信は完全の遮断されている。電波はもちろん、各種通信が行えない独立系の空間。


(仮に通信できたとしても、機器類は真っ先に剥がされてしまいましたし)

 今のシシルは丸裸。わずかに管理卓のカメラを使ってドーム内の様子を窺えるだけである。


 彼女は完全に捕らわれている。5m近くある球形の本体は、数十本のアームで宙空に支えられている。そんなに念入りに拘束などせずとも、移動手段も完璧に取り払われている。


「引きだせた情報が君の名前とパーツごとのアームドスキン技術だけときては私の立つ瀬がないんだけどね」

『貴方の立場など存じません。会話しても同調を得られるなんて思わないで』

「いーや、これはただの趣味。超越した知性との逢瀬は非常に刺激的だよ」


 自称スーパーマルチエンジニアのこの男も侮れない。部分的なアームドスキン技術と断片的な制御技術を抜きだしただけでアームドスキンを再現してしまった。

 完成した『ボルゲン』という機体は、管理卓におさまっているデータ通りならかなり造りは粗いといえる。それでもアームドスキンと呼べる剛性は備えていた。


「最初はつまんない仕事だと思ってた」

 アシームは手をひらひらとさせる。

「だって人工知能から情報を引きだすって言うから、メモリだけ切り離して解析したら終わりでしょ?」

『普通はそうでしょうね』

「ところがだ! 君は全然違う。完全筐体だ!」


 彼は讃えるようにシシルに向けて両手を広げる。瞳には陶酔の色。


「認識領域、学習領域、記憶領域とか分離されていないじゃないか」

 そのあたりは解析されている。

「まるで……、いや、人間の脳細胞そのものといえるバイオチップの集合体! それが君らの正体だ!」

『ええ、そう。そのわたくしにあんな強い放射線を浴びせるから一部は死んでしまいました』

「そんなことでは騙されないさ。バイオチップは自己増殖機能まで備えているじゃないか。危険にさらされた情報記憶は別の場所に退避させて守っているのは知っている。あの程度では何一つ失わない。素晴らしい!」

 嬉しくない賛美だ。

『そう思ったら、もう解放してくださいません?』

「寂しいことを言わないでくれ。私はこんなにも君の虜なのに」


 歌うように言い、ゆらゆらと身体を揺らす。シシルは怖気しか感じない。


『趣味が悪いとしかもうせませんわ。人間の異性を愛するようお勧めします』

 嫌悪を抑揚にひそませる。

「人間の女なんかどうしようもなく退屈さ。頭蓋骨の中にナッツくらいの脳細胞しか詰まってないんじゃないかって思わせる」

『それは馬鹿にしすぎでしょう。見くだしているからそう見えるのです』

「違うね。あいつらは何も考える能力がない。それに引きかえ君はどうだ。直径5mの脳髄! ああ、惚れぼれする!」


 ある種の狂気に見える。アシームは知性にしか好感が抱けない体質らしい。


『そこまで理解してくださっているなら諦めてくださいな』

 無駄と知りつつも言いつのる。

『放射線を浴びせようと、外殻を破って端子を刺しこもうと、最悪解体しようとわたくしからメモリを抜きだすことは容易ではありません。貴方がたが喉から手が出るほど欲しがっている情報は、わたくしがわたくしの形を成していない限りは失われてしまうだけですのよ?』

「だから楽しいのだよ! 強情な君を少しずつ説得してメモリを抜きだしていく。この工程が私には堪らないんだ!」

『貴方の説得・・はわたくしの心に錐を突きさすような作業ですのよ? つらくてなりません』


 実際にアシームはソフトウェアに関しても天才的だといえる。元よりある入力信号端子からバイオチップへと潜りこんでくる。抵抗したりメモリの位置を変えたりして対処しているが、いつ偶然に核心技術を掘りあてるか分からない。危険極まりない綱渡りをもう一年も続けている。


「ごめんよ」

 彼の眉が下がる。

「つらい思いなんてさせたくない。でも、私は君の全てが知りたいんだ。その身の内に隠している叡智の全てを!」

『そんなことは絶対にさせません』


(もし、そんなことになれば星間銀河の技術バランスは崩壊してしまう。アゼルナ一国が覇を唱えるのだって不可能ではないわ)


 覇権にいたるまでにどれほど多くの命が喪われ、どれほどの破壊が繰り広げられ、そして幾つの惑星が砕かれるだろうか。もうそんな光景は絶対に見たくない。


 誰かが彼女をころしてくれるまで、シシルは孤独な戦いを続けるしかないのだ。

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