第124話 ※マインドハック

 どうしても確認しておかなければならないことがあった。

 ひょっとしたらジョアンナはとんでもない勘違いをしていたのかもしれない。それも五香のせいではあるが、五香すらも意識していなかった類の。


「ねえ五香。それは一体、どういう意味での『ごめん』なのかしら。私、とても気になるのだけど」

「……呉越同舟の範囲を超えるレベルで利用しようとしたことは認める。ただし、未遂だ。そこだけはわかってほしい」

「なるほど! ウチはそれだけ聞ければ十分だよ! 未遂なら許してあげる! 未遂ならね! ……


 ジョアンナはドクターのイヤらしさに歯噛みする。

 よくわかっている。この女は、どうやらジョアンナが具体的に何に怒っているのか察している。


 五香は多分、察してない。


「……私はまだ聞きたいことがある。というか、今までなんとなく放置してたけどどうやら事ここに至って確認しなくちゃならなくなった」

「具体的には?」


 五香に表情が僅かに戻ってきた。滲み出て来た感情は、おそらく罪悪感だ。それを感じたジョアンナは、隠すことができないくらいイライラしてくる。


「ちょっと冷静じゃいられなくなりそうね。どういうふうに訊けばいいのやらよ。ああ、じゃあ私らしく行きましょう。私の質問はこうよ」


 素手で心臓を抉り出すような抜き身の本心をぶつけた。


?」

「は?」


 その反応で、完全にわかってしまった。

 五香の見せた次の感情は困惑。ジョアンナの言っていることがまるでわかっていないような、間の抜けた表情。


 ジョアンナがとっくに共有できていると思っていたある前提が、五香の頭の中に無かったのだと認めるしかなかった。


「え? そんなのォ? お前、何言って……は?」

「なんで!?」

「だ、だって……いや。ってんだァ?」


 ボロボロに崩れていく砂の城を見ている気分だった。


「五香。あなた、私のこと何だと思ってたのよ!?」

「……仲間で友達」

「じゃあでしょうが! 何を遠慮してるのよ!」


 いつの間にかジョアンナは五香の胸倉を掴み上げていた。

 ずっとオロオロとしていて口を挟めなかったメルトアも流石に止めようと動くが、それをドクターが制す。


 結果として、二人は二人だけで話すことができていた。


 苦し気な顔をしながらも、五香が返す言葉は――


「違う」


 徹底的な反論だった。


「何の見返りも用意できねーのがわかりきってるのに他人を巻き込む方がどうかしてる。あのときの私は焦ってとんでもないところをしでかすところだった。どこまで行ってもそういう話でしかないよなァ? ジョー」

「あっ……あなたは、私が何かの利害の一致とか、見返りであなたに協力してると思ってたの!?」

「そうじゃないわけがねーよなァ?」


 五香の言動に、悪意や煽りは一切無い。

 むしろ、純粋なギブアンドテイクで回るのが健全な関係なのだから当然なのだという完全な理屈と理論の元に発言しているだけという態度だ。


 というか、これは――


「……むしろそうじゃなかったらこえーってェ」

「――ッ!」


 無理解。彼女の世界の中にはジョアンナの情熱エモーションという因子が完全に欠けていた。


「あ……なた、私のこと、本当に何だと思ってたのよ……!?」

「……?」


 さっき言ったはず、という態度。何故同じ質問を繰り返すのかわかっていない。


「大事な仲間。大切な友達。説明が足りなかったかァ……?」

「じゃあ、私があなたのことをどう思ってるのか言ってみなさいよ! どれくらいあなたのことが好きだったのか、とか!」

「いくら好きだったとしても命を懸けるようなことしちゃダメだよなァ?」

「あなたはお姉さんのために命懸けてたじゃない!」

「私の都合で、の話さァ。何回も話が戻っちまうんだけどよォ。だから私以外の誰かの命を、この問題に巻き込んじゃいけない」

「巻き込みなさいよ!」

「……なあジョー?」


 頭がいいくせに、五香は何一つとしてジョアンナの言動に納得できていなかった。

 だから、だろう。


?」


 こんな無神経極まりない質問が出てきてしまった。


「――」


 答えは出た。

 五香は

 いやむしろ、ジョアンナからここまで愛されるという想定自体まったくしていない。していなかった。


 出会い頭に告白したものの、あれは最初から『ダメで元々』どころか『ダメだろうな』と当てにしていない告白だったに違いない。


 どれだけ五香がジョアンナを好きだろうと。気遣っていようと。この前提が共有できていないのならすべてが台無しだ。

 端的に言えば、極めて不誠実。


「バカに……してるの?」

「……怒られる、までは想定してた。殴られても仕方ねーかなァ、くらいは当然。でもごめん。本当にわからない。どういう怒り方をしているのか、全然」

「……そう。ならお望み通り、一発くらい……」


 胸倉を掴む手とは逆の手。緩く拳を握る。

 本気で殴ったら歯が折れてしまうので、あまり全力でやらない方がいいだろう。


 こんなことを考えていることすら、おそらく五香はわかっていない。


 怒りというよりかは、悲しみしかなかった。とにかく泣いてしまいそうだった。


◆◆◆


「ど、ドクター。流石にアレは止めないと……!」

「いや。お節介なウチでも止めない方が絶対にいいと思うな。言っちゃえばアレって『一回好きって言ったくらいで、ここまで本気にされるとは思わなかった』ってサイテーの告白だし。一発殴るくらいで手を打つのが一番収まりがいいよ」

「で、でも二人はとっても仲良しなのに……こんなの……こんなのは……ん?」


 ふと、あたふたしていたメルトアの意識が別のものに奪われた。


「……どうかした?」

「ああ。良かった。ひとまずウヤムヤになりそうだ」

「ん? ……うわっ!?」


 地震。それもとても縦方向に大規模な。

 瓦礫の山が再度雪崩を起こすかもしれない。一刻も早くこの場から離れなければ、と思ったのも束の間。


 すぐに収まった。


「な、何? 今の」

「落ちて来た。大きなヤツ」

「え」

「敵だ。ドクター。みんな。構えろ。あっちの方向だ」


 淡々と、メルトアがそう指示した途端だった。ドクターの鼻先に、ぴちょんと触れる水滴。


「雨……」


 ドクターには知る由もないが、それは。

 歌舞伎町三丁目に初めて降る雨だった。

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