第75話 ※実在の追跡者

 結論から言えば五香の推理は的中していた。

 五香たちを尾行する誰かは存在しており、彼女たちがエレベーターで上へ向かったことも遠目から確認した。


「……最上階……」


 警戒をしながらセントラルビルの中に入った女性は、小さな声で行先を確認する。

 迂闊にも五香はフロアガイドを指差しながら喋っていたため、目的地は丸わかりだった。読唇術も習っていたため、会話の内容もある程度推察できる。

 合わせて考えれば間違えようがない。五香たちは最上階へと向かったはずだ。


「……」


 続いてエレベーターに目線を向けると、出入り口上部のフロアランプは五十八階を点灯させた状態で止まっている。

 流石に乗って追跡したらバレるだろうか、と思ったが、捻って階段を使ったところで追い付けるかどうかだろう。このビルは高すぎる。


 結局、エレベーターに乗った。彼女たちが降りたと思われる階層の一つ下から、階段を使って上へ昇れば見つかりにくいだろうと判断した。


 


 すぐにエレベーターのボタンを押す。

 誰にも遭遇したくないな、と考えながら銃の準備をしていると、それが終わらない内にエレベーターが到着。

 中は無人だった。ひとまず乗って、五十七階のボタンを押し、エレベーターのドアが閉まる。


 エレベーターが静かに上昇を開始し――


 ドガン、という音と共にエレベーターが大きく揺れた。


「はぎあっ!?」


 思わず悲鳴を上げ、床に崩れ落ちてしまう。

 何が起こったのかわからない。まるでような衝撃だった。


「え? え? 何!? 何ですか!?」


 急な出来事に狼狽するが、更に追い打ちをかけるような事実を見つけ、彼女は息を飲んだ。

 エレベーターが目的地への到着を待たずに停止している。ドアも開かない。


「え、ちょ、故障!? そ、そんなぁ!」


 急いで非常時用のボタンを押すが、反応がない。

 いや、仮に反応があったところで救出はかなり時間がかかる可能性がある。急ぎの用事があるのだからそれは避けたい。

 よって、この場合の最善手は頼りになる顔を知った誰かに助けを求めることだ。


 すぐに上司である四麻の携帯に電話をかけた。

 レスポンスは早く、数回コール音が鳴らない内に電話が繋がる。


『はい。明智四麻ですけど。どうかしましたか? 沙良ちゃん』

「たっ、たたたたた大変です班長! エレベーターに閉じ込められちゃって!」

『はあ』


 気の抜けた返事だ。安心感を覚えればいいのか緊張感がないと叱るべきなのか迷うが、ひとまず状況を説明した。


『つまり、いーちゃんたちを発見してエレベーターで追おうとしたら、そのエレベーターが揺れて停止したと』

「そうです! 早く助けに来てくださいよぉ!」

『……ところであなた、この電話をする前に確かめましたか?』

「へ?」

『誰かに聞かれたりしていないでしょうね? この会話』


 まったく意図のわからない質問だった。

 いるはずがない。少なくとも、エレベーターの中には彼女一人だけだ。当然、聞かれているはずがないと答えるべきなのだろう。


 それはそうなのだが、その質問のせいで少し気になってしまい、天井を改めてよく見てみる。


「じーっ」

「……えっ」


 穴が、開いていた。

 最初何を見たのか理解できなかったが、どうやらそれが最初の衝撃によって生じたエレベーターの天井の歪み由来の亀裂らしいと推理はできた。


 そして、その穴から誰かがこちらをじっと見ている。

 天井越しに、興味津々な視線が電話する彼女へと突き刺さっていた。


『ああ、残念。もうバレちゃいましたね、いーちゃんに』


 ちっとも残念そうな声色ではない。

 予想通りというような、むしろ喜色の滲んだ声だった。


◆◆◆


「五香お姉の言う通りだったな。どうして余らの後ろに誰かが付いてきているとわかったのだ?」

「会社の常識かなァ」


 エレベーターの天井から、三階へと戻ってきたメルトアは、その答えにピンと来なかった。


「会社? おまわりさんとは会社なのか?」

「たまに警察は自分の組織のことを会社って呼ぶのさァ。まあそれは置いといて、四麻叔母さんがこの町に来たそもそもの理由、何だったか覚えてるかァ?」

「……余の追跡……?」


 自信が一切感じられない口調だが、それで正解だった。

 当初四麻のターゲットにはテロリストなど含まれておらず、直近ではメルトアを追うために活動していたはずだ。少なくとも五香の視界に入る範囲ではそのように四麻は行動していた。


 急に大物クレアが目に映ったものだから反射的に逮捕しただけで、目的がすげ変わったということはまずないだろう。


「四麻叔母さんはクレアのせいで予定変更を余儀なくされた。でも社会人って、それが簡単に許されるようにはできてなくってなァ。別の超大きなタスクが転がって本当に止むを得ず予定を変えざるを得なくなった場合、どうにか引き継ぎを用意する」

「ふむん?」


 メルトアにはいまいち伝わらなかったようなので、一言で五香は状況を表した。


「バトンタッチしたのさァ。仲間によォ」

「おお。そういう意味か。しかし、先ほどの四麻の電話では仲間がいるようには聞こえなかったぞ?」

「隠してた……というか、あえて言わなかったんだろうなァ。私たちを油断させるために」


 四麻は五香に対して嘘を吐かない。家族故に、嘘を吐けば高確率高精度でバレてしまうからだ。

 だが最初から語られていないことには、五香のセンサーは引っかからない。


「でも結局、警察ってどこまで行っても組織だから。前みたいに『四麻叔母さんがたまたま近くにいて真っ先に来ることができた』みたいな偶然でない限りは私たちみたいにチームで行動すんのが普通だろォ? 準備期間を取れるのなら三丁目には来る」

「それが今、エレベーターの中にいるコイツだと? だが一人しかいないぞ? もっと仲間がいるのではないか?」

「いない。そこはたった今、メル公が確認した」

「ん? どういうことだ?」

「さっきの報告をもう一度言ってくれよォ」


 催促されたので、メルトアは先ほどのことを思い出し、報告を繰り返す。


「中にいたのは女の人が一人。エレベーターが止まった途端に動揺して、

「そこさァ。コイツに相棒がいるのなら四麻叔母さんに報告をするなんてことはありえない。だって四麻叔母さんはで、それを一番良く知っているのは仕事を引き継いだコイツ本人だから」

「あっ」


 つまりエレベーターの外にいて、頼りになる人間が四麻以外にいなかったのだ。もしも四麻が彼女の他に部下を連れてきていたと仮定するなら、そちらの方に電話をかけなければおかしい。


 別の仕事をしていると知っている上で、四麻に電話をかけたことで確定した情報。心を揺らせば人は容易く秘密を漏らす。


「ま、でもよくやったなァ。メル公がエレベーターを停止させたお陰で零れ落ちた情報だしよォ。お手柄だお手柄」

「……よく思いついたな」


 涼風が感心しきったような声を出す。


「上昇中のエレベーターに、メルトアを飛び乗りさせて安全装置を誤作動させるなんて」

「ついでに気を利かせて、飛び降りと同時に覗き穴も作ったぞ!」

「あーはいはい凄い凄い」


 そもそも、上昇中のエレベーターの上に飛び乗るという発想を思い付くこと自体、まともな神経をしていれば困難だ。

 エレベーターは乗り降り以外ではドアを開けることがない。そういう常識を持っていればまず考え付かない。


 だが五香はむしろ、その反応をこそ不思議に思ったようで首を傾げていた。


「ん……? まあ別に。知ってたからなァ。エレベーターのドアは、外側のヤツに関しては。エレベーターの現在地を示すランプを注視していれば誰がどの箱に乗ったのかもわかるし。後は一階に降りて、そこから上昇してくるモーションを取ったエレベーターにメル公を飛び移らせれば作戦完了。ついでに覗き穴も作れれば言うことなし」

「……う、ううん……?」

「メル公と協力すりゃ超簡単だってェ」

「簡単だったな!」


 どうやらこの手口を非常識だと思っているのは涼風だけのようだった。

 メルトアは得意気で、五香はそれを微笑ましく見守っている。


(……敵に回したくないコンビだな)


 その言葉が口に出ることはなかった。今となっては、縁起でもない仮定でしかない。

 ひょっとしたら、このコンビは――


「さーて。それじゃ無事なエレベーター使って最上階に行くかァ」

「今度こそしゅっぱーつ! だな!」


 最強のコンビなのかもしれない。

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