第34話 ※息抜く者

 五香は無意味に怖い目に遭うのが好きではない。

 ギャンブルは好きだが、それは勝算があってのこと前提で、基本的にただ痛い目を見るのは嫌いだ。


 これまで濃密な時間を過ごしたと五香は考えているが、それでもジョアンナに手を出せると考えるほど浅はかでも冒険家でもない。このいかがわしいホテルを借りたのは金銭的余裕と時間的余裕の確保が難しかったから。それ以上の理由は一切存在しない。


 しないが、それをジョアンナたちが信じてくれるかどうかは別問題だ。五香も自分のことをそこまで信用されているとは思っていない。


 ドクターと別れ、隣の部屋に入ったジョアンナと五香は揃ってベッドに目を向けていた。


「あの……私、ソファでいいんでェ……ベッドはジョアンナ様が使ってくれると……」

「あら。一緒に寝てくださいとは言わないのね」

「超言いたい……超言いたいけど撃たれたくはないので……」

「添い寝くらいなら許してあげるわよ」


 ジョアンナは意外に優しいことを言ってくれる。

 どうも五香の思っているよりかは、ジョアンナは怒ってはいないようだ。恐る恐る顔色を窺うと、あまり不機嫌そうにはしていない。

 極めて平然としている。


「ちなみに添い寝以上のことは?」

「調子に乗らないで」

「はい……すみませんでした……以後言いません……」

「……まあ、まだ時間的に早いでしょう。夜の打ち合わせは夜にするとして、ひとまずじっくり話しましょうか」


 二人きり。アレ用ホテルの一室。夜と見紛う真っ暗闇の外の空。

 雰囲気に飲まれてしまっていたが、ジョアンナの方は冷静そのものだ。ベッドに座り、その隣に座れと五香を呼ぶ。


「え!?」

「何? 座るだけよ?」

「あ、はい。失礼します……」


 言われるがまま五香はジョアンナの隣に座る。

 ベッドは柔らかく五香の体重を支え、スプリングは音もなく沈みこむ。

 人によってはここで裸になってもみくちゃになるんだろうなぁと益体もない想像が頭をよぎった。


 その想像の登場人物が五香とジョアンナに切り替わるのもやはりすぐだった。


「……しないわよ」

「え!? やっべ、口に出てたかァ!?」

「顔が真っ赤なのよ。誰でもわかるわ」

「……はっず……!」

「それよりも」


 五香が心を落ち着かせよう、と深呼吸したときだった。


「その服、脱いでくれる?」

「ぶふおーーーっ!?」


 ジョアンナがかなり直でこう言った。吸い込んだ以上の息が口を開けた風船のごとく漏れる。


「は!? え!? な、何!? どういう意味で!?」

「その服、落ち着かないのよ。顔も同じだから余計に。今すぐ脱いで学生服に戻ってくれる?」

「学生服プレイ!?」

「いい加減にしないと銃口とディープキスさせるわよ。四麻アイツを思い出すからスーツを脱げって言ってるの!」


 そこまで言われれば誤解の余地もなくなる。

 確かにこのままだといらないトラブルにも巻き込まれそうだ。四麻は犯罪者の世界では相当の有名人なので、あまり長くこの格好でいるのも不利だろう。


 学生服はキチンと折り畳んで、デパートから持ってきたリュックサック(その場に大目に金を置いて持ち出したヤツ)に詰めている。


 どうせ寝る時間にはもう少しかかる。今の内に着替えておいた方がいいだろう。


「ああ、そっかァ。そうだなァ」


 五香は素直に服を脱ぎにかかる。ジャケットをその辺りに脱ぎ捨てて、シャツのボタンに手をかけ一つずつ解いていく。

 立ち上がって、スカートを脱ぎ、タイツを脱ぎ捨て、ソファ際に投げ捨てたリュックサックから学生服を取り出し――


「……あなた、この部屋でドギマギしてる割には脱ぐことに抵抗ないのね……」

「え? いやだって、脱いだところでジョーは私を襲ったりしねーだろォ?」


 と、適当に返答した。リュックサックの口にブレザーが引っかかり、出すのに手こずる。なので、しゃがみこんでリュックの底を床に固定した。

 そうやって自分の手元に集中しているから気付かなかった。

 首に息を吹きかけることも容易なところまでジョアンナが近づいてきていることに。


「ふっ」

「あひゃあ!?」


 剥き出しのうなじを撫でる息に、五香は目を丸くして振り返る。バランスを崩してお尻を床に付けてしまった。


「は!? え!? 何!?」

「背中が隙だらけだったから……何かゾクゾクしちゃって」

「獲物の背中を見つけたクマかァ!?」


 ククク、とジョアンナが狼狽える五香を見て悪戯っぽく笑う。

 それを見て五香は、根拠はないがジョアンナの表情の裏が透けて見えた気がした。

 どこかこう、まだ満足してないと言わんばかりだ。


「え……な、何……? ジョー? 何か怖いんだけどォ……?」

「私、確かにあなたに手を出す気は無いのだけど、だからと言って安心されるのも癪というか……」

「暴君の思考回路ッ!」

「……ふふ、ふふふふふふ……高揚ヤバいわね。本当にその気は無かったのだけど、今のあなたの小動物エモノ感凄くいいわぁ。食べちゃいたいくらい」


 ジョアンナが言うと、その言葉が性的な意味なのか人肉食的な意味なのか一瞬判断に迷う。

 彼女がそんな犯罪じみたことをするはずがない、という信頼はあるにはあるが、ロケーションがロケーション。そしてジョアンナの持っているガジェットがガジェットだ。


 五香の胸を守る物は、ブラジャーとその上に着こまれた薄手のキャミソール。下はピンク色のフリルがあしらわれたパンツのみだ。

 今の猛獣じみたジョアンナと相対するには心許ない装備だった。


 ゆっくりと弧を描く赤い唇がいつもより艶やかに見える。


「ギャップ萌え? というヤツかしら。さっきまで私にバリバリ命令してたあなたは、今どこにいるのかしら」

「え、ええー……ちょ、ちょっと、ジョー……? 一旦落ち着……!?」


 今度は真正面から距離を詰められ、首に軽く指を突き立てられた。

 まるでナイフを肉に通すように、少しずつそれが五香の胸の谷間へと降りていく。


 悲鳴を上げそうになるくらい、なぞられた部分が熱くなる。


「ここにいるのかしら? ノックしたら出てきたりして……うふふっ」

「ジョー。おい、これ以上は……あうっ……!」


 反対側の手で腰を手繰り寄せられた。

 完全に不意を打たれたので、抵抗ができない。というか、抵抗するだけの意思が既にドロドロに溶けてしまっている。


「そういえば、あなたにご褒美をあげようと思ってたのよ。ありがたく受け取りなさいな」

「はァ……? 何のご褒美……?」

「首筋に熱いのをたっぷりあげるわ」


 言うと、ジョアンナは五香を手繰り寄せ、自身も顔を五香の首筋に寄せていく。それは森精種エルフというよりはまるで吸血鬼のようで――


「!」


 首筋に唇が触れたか触れないかの位置で、ジョアンナは停止した。

 森精種特有の五感がストップをかける。


(……部屋の外に誰か……あれは……!)


 弓をこちらに向けるがいた。


「ッ!」


 次の瞬間、ベランダのガラスが派手に撃ち抜かれる。

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