第27話 ※身内の始末は最後まで!

 明智四麻は非常にポジティブだ。

 生きてさえいれば万事どうにかなると本気で信じている。


 実際、今まではそうなってきていた。死にそうな目に遭ったことはこれまでの警察人生で何度もある。


 それでも死なずに済んだ理由はただ一つ。

 頭の回転が早いから、というのは二の次に過ぎない。真の理由は精神が前向きだったからだ。

 結局のところ人間が明るく生きられるかどうかの分水嶺は、どんな思想を持っているかで決まってしまう。

 よって、今の四麻は億単位の金をつぎ込んで作った理想の車が吹っ飛んだことを既に忘却し、建設的な考察にトリップしていた。


(あの森精種エルフ……私を殺す気がありませんでしたね……嗅覚特化のエルフでしょうか)


 森精種によって、どの五感が鋭くなっているかは違う。

 嗅覚特化の森精種は『生物を殺した者が纏う臭い』を鋭敏に感じることができる特徴がある。

 ただスーパーに並んでいる肉を食べる分には問題ないが、こと屠畜となると森精種は途端に嫌がる理由がそれだ。


 死の臭いがする者を森精種は忌避する。


(それで私の心理を突いた挑発ができるかな……いや、無理だ。嗅覚だけで人となりを理解できるとか完璧超能力だし、そこまでの化け物だとどっち道、人の手に負えない……)


 ともかく、もう四麻にできることはない。

 車が吹っ飛んでしまった今は、完全に無力。せいぜい逃げるのが関の山だ。


「……どこへ行く?」

「!」


 見つからないように這い這いで移動していると、前方に巨体の幼女が仁王立ちした。

 顔を確認するまでもなく、メルトアだった。


 一応見上げてみれば、散々暴れ回った四麻を軽蔑しきった目で見下ろしている。


(あ。来た。私のやるべきこと)


 メルトアの体重は賢人種サピエンスのそれよりも重い。

 彼女が行動不能になれば、あの森精種だろうが誰だろうが、背負って逃げるのは困難になる。


 後に続いてくる警察が来たら彼女の回収は任せ、上司が手を回してくれれば結果的に任務は達成だ。


 彼女さえ眠ってくれれば。


「……あの理想の車には脱出装置が付いてたんですよ。あの森精種エルフには見えてたようですけどね」

「違う。余はどこへ行くのかを訊いたのだ」

「普通に帰ります。車も爆発しちゃいましたし」

「……朔美を……!」


 まだ一分も話していないが、四麻はメルトアが何をしに来たのか理解した。

 仕返しだ。


「朔美をあんなに蹴って、傷付けて……それで帰るは筋が通らないだろう?」

「すみません。私、医者じゃないんで。怪我人がどうとか言われても困ります」

「……ッ!」


 メルトアは足を振り上げ、四麻へ靴底を叩きつけようとする。

 だがモーションは途中で止まった。


 四麻の予想通り。


「ええ。あなたは優しい子です。人を傷つけることなんて、最初からできやしないんです。あなたのお母様もそう仰ってました。ああ、本当になんて……なんて……!」


 四麻はスーツの下にゆっくりと手を入れて――


「……頭の悪くて都合のいい子ッ!」


 素早く麻酔銃を取り出し、引き金を絞る。

 あと一発、どこにでもいい。当たりさえすれば四麻の任務は達成だ。


 後は四麻自身が森精種にズタズタにされようがどうでもいい。

 仕事こそが四麻の生きる意味故に!


「誰より優しくて都合の悪い子の間違いさァ」


 バギン、と銃を持つ手首が踏み潰された。

 そこより先に力が上手く伝わらなくなり、銃が発射できなくなる。


「は――!?」


 聞き覚えのある声。

 そして口調。


 いつの間に近付いたのか、そこにいたのは愛する家族だった。


「いーちゃ……!?」


 手首を踏んだ足を軸にして、その女の子は四麻の顔をサッカーボールのように盛大に蹴り飛ばす。

 首が大きく伸び、脳が揺れに揺れ、目の奥がチカチカと明滅する。

 奥の歯が大袈裟にグラグラして、血の味が鼻にまで広がっていた。


「ぎっ!?」

「流石にやり過ぎだァ。私の友達ダチに手を出すなんて……さァ」


 威力に一切の容赦はなく、一瞬本当に自分の家族にやられたのかと勘繰ったが、それは現実逃避だ。


 四麻の優秀な頭脳はとっくに答えを示していた。


 床に落ちた頭を必死に最後の力でもたげ、その顔を見ようと四麻はもがく。


「いー……ちゃん……!?」

「あと単純に、どんなに追い詰められてたんだとしても。どんな理由が計算があったんだとしても」


 やっと視界の端に捉えた五香の顔は、これまでの人生で一度しか見たことがないような悲しい顔だった。


「罪のない人をボコる叔母さんなんて見たくなかったなァ」


 再度、五香の足が振り下ろされ、四麻の意識は今度こそ完全にシャットダウンする。


◆◆◆


「……すまない。五香お姉。お前に辛い役目を負わせてしまった」


 四麻から足をどけて息を吐くと、メルトアが心底辛そうな顔で五香に詫びた。

 そんな言葉がすぐに出てくるようなら、本当に優しすぎる。


 同行する者としては扱いにくいことこの上ない。


「いいってェ」


 だが五香はそれらを軽く流した。

 あっさりと、簡単に。


 使い方さえ間違わなければ、その優しさはきっと誇るべきことだから。


「むしろありがとうなァ。私の叔母さんを傷付けないでくれて」

「……そんなの、余が――」

「弱いだけ? 違うよォ。強さの種類が、ジョーやこの人とは別だってだけだァ」


 さて、と五香は切り替えた。


「ジョー! 裏っち! 逃げる準備だァ! 全員集合!」


 声を張り上げてから五香は気付く。

 そういえばジョアンナは何をしていたのだろうか。


 彼女の位置からなら、銃弾が車内を蹂躙した直後あたりで四麻が車を脱出していたことには気付いていたはずだが。


 思案していると、先に五香の元に辿り着いたのはそのジョアンナだった。


「ジョー。今までどこ行って……あァ?」


 言っている途中で、ジョアンナが何をしていたのか理解した。


「……クマじゃねーかァ」

「ふふっ。そうよ。取り返したの」


 その腕には、メルトアが朔美に渡したクマのぬいぐるみが抱かれていた。

 スプリンクラーで濡れてはいるものの、ほぼ無事だ。ジョアンナはやりきったと言わんばかりに笑っている。


「弾丸でアイツの車を蹂躙したとき、座席の背もたれの関節を破壊して、座席を下から跳ね上げたの。リアガラスが割れていれば、後は慣性で車から落ちるってわけ」

「おォ……」


 この女も大概酔狂だ。

 見た目以外の部分に関しても、五香はジョアンナのことが好きになってきた。


「やっべ惚れそォ」

「元からでしょう?」


 更に好きになった。


「おまたせー」


 そうこうしている内にドクターも到着し、これでやっと逃走の準備は整った。

 時間はあまりない。


「脱出すんぞォ! んで!」

「んで?」


 ジョアンナが先を促すと、五香は底抜けに明るく笑った。


「――そのまま歌舞伎町三丁目に直行だァ!」

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