第10話 ※ドクター死にそう

 東京。正確には、新宿のどこか。特徴的な姿のビル群が並び、そう遠くない場所には東京都庁すら見える絶景。


 詳しい住所はわからないが、そのビル群の内一つの高層階に四人は転送されたようだった。


「これは……住所がわかる場所に出た、ということは意味不明なミッションも終了ってことかしら?」

「仮にそうじゃなくっても関係ないや。メルトア。窓ガラスぶち壊しちゃって」

「余に任せよ!」


 ぶん、とドクターの指示で拳を振り被るメルトア。

 ギョッとした五香とジョアンナは、それに立ち塞がるように揃って窓の前に移動する。


 拳は止まったが、それに纏う風圧が五香の前髪を撫でた。背中に冷たいものが走る。


「……死ぬかと思った……死ぬかと思ったァ……!」

「危ないぞ?」

「そりゃこっちの台詞よバカッ! 何を考えてるの!? 東京だって言ったじゃない! 下に人がいたら大怪我よ!」

「あっ……!」


 今回ばかりはメルトアが完璧に悪いので、五香もジョアンナの説教を止めなかった。

 一番悪いのはドクターだが、そちらはと言うと涼しい顔をしている。


「緊急避難って概念、この国にないの?」

「あるにはあるが、そんな急いで外に出る状況じゃない! 適用されるわけねーだろォ!」

「……ふーん」


 五香の抗議を受けてもやはり動揺しない。

 メルトアに指示したのも彼女なら一番簡単だからという理由だけで、要は最初から罪悪感が一切なかったのだろう。


 特にメルトアの心に傷を付けようという気が無いだけ、余計に罪が重い。


「とにかく……部屋の外に出てみようぜェ。エレベーターでもあればそこから降りりゃいい。後はまあ……メルトアが家に帰れるよう手配するさァ」

「え? 五香が?」


 意外だ、と続きそうな声を上げるジョアンナに、五香はウインクした。


「……コネがあんだよォ。まあ、私が適役さァ」


◆◆◆


「あるにはあったなァ……でも何だこりゃ」


 部屋から出ると、廊下には誰もいなかった。

 少なくともワンフロアすべてに人の気配がまったくない。

 ジョアンナも自らの聴覚を研ぎ澄ませて確認したが、やはり四人しかいないようだった。


 そうして特に何の支障もなくエレベーターを見つけたのだが。

 少々様子がおかしかった。


「……エレベーターの上部に……液晶モニター?」


 ジョアンナが見たままの感想を言う。

 エレベーターのドアの上部に取り付けられたモニターには一言『locked閉じてます』とだけ表示されていた。


「つまり、使わせる気がないということかしら?」

「……いや。更に妙なんだが、そういうわけでもなさそうだ。見ろよ」


 五香がジョアンナに注意を促す。


 ドアの横に取り付けられているのは、下を示すボタン。

 更に、その横に家に取り付けられているようなデザインのインターホン。インターホンの下には表札があり、メッセージが刻まれていた。


「『使用したければ押してください。多少の長話の後で開錠いたします』……?」

「ほう。そう書かれているのか?」

「そう書かれているのかって、あなた……ああ、いや、六歳だったわね。読めないか」

「で。どう思う? 凄く罠臭いが、素直に押すかァ?」


 五香の問いかけに、ジョアンナは軽く考える素振りをする。

 押したい、と答えたいところだが。


「まだフロア全体を見たわけじゃないでしょう? それからでも遅くは……」

「ごめん、反対」


 ドクターは迷わず押した。


「ちょっと!」

「これ自体は罠じゃないと思うよ。ほら、デバイスの通知よく見て」

「……え」


 五香とメルトア、業腹ながらジョアンナもデバイスを確認した。

 新しいミッションが発令されている、というわけではない。


 ただシンプルなメッセージがそこにあった。


『エレベーターで会いましょう』


「……誰と会うってェ……?」


 インターホンのピンポーンという音が響く。

 そして間もなく、lockedの表示にノイズが走り、それが画面すべてを覆い尽くしたかと思うと――


『やあ。初めまして』


 ヴェネツィアカーニバルで使うような不気味なマスク。

 首から下は、紳士が着るような上等なスーツ。


 背景は暗くてよく見えないが、まともに話が通じなさそうな誰かが現れた。

 声にも加工がかかって、地声がまったく判別できない。

 性別は、辛うじて体つきから女性だとわかる程度だろうか。


『ひとまずはお疲れ様。よくミッション3までクリアできたね。私がキミたちを誘拐した犯人だ』

「……口に銃口をねじ込みたくなるくらい正直者ね。歓迎してあげるから出てきなさいよ」


 ふふ、と忍び笑いの声がした。

 仮面だが、僅かに肩が揺れている。


『残念だが、それはできない。キミたちにはその資格がない』

「私を弄ぶ資格なら、あなたにだって無いはずだけど?」

「たちなァ。せめて複数形にしてくれよォ」

『さて。雑談タイムはここまでだ。時間を浪費したくはないだろう? お互いに』


 仮面の誰かは雑談を早々に切り上げ、仮面の奥の瞳で四人を品定めするように見つめていた。

 友好的に見えるが冷たくて不快。それが五香が持つ彼女への第一印象だ。


『私はリバース。キミたちにとある謎かけをするため産まれた存在。そして、平和と正義を何より愛する者』

「反吐が出るわ。自分から正義だ何だと謳うヤツにロクなヤツはいないのよ。さっさと私たちをここから出しなさい。さもないと……」

『……ふむ。強要するだけの材料がそちらにあるとでも? 言っておくが、私に逆らわない方がいい。死にはしないが、絶対に後悔する』

「ハッ! 理解が足りてないわね。脳味噌ミジンコサイズなの!? どっちが、どっちに、後悔させるって!?」


 首謀者を前にしたからか、時間と共にジョアンナの罵倒がヒートアップしていく。


 五香は何か嫌な予感を覚えた。

 仮面の奥の眼が、笑っている?


「……ジョー。何かヤバい。一度黙っとけェ」

「何よ、五香! 怖気づいてるの? 大丈夫よ、私は強いんだから! 何ならエレベーターのドアを壊して自力で降りてやるわ! 流石にこんなところに人がいるとは思えないし!」

「お前の強さは疑ってねーよ。いいから黙っとけってェ!」

『いや。残念だが、もう遅い。見せしめに私の力を見せてあげよう』


 あ、ヤバい。

 そう思ったときには、リバースは指を弾いていた。


 パチン、という音が聞こえた瞬間デバイスが鈍く発光。


 全員の視界がぐるりと一回転した。


「がっ……!?」


 耳の奥がキーン、と疼く。

 頭がグラグラする。


 目が眩んで、真っ直ぐ立ってるのがやっとだ。


 不調が収まった後も、景色の縮尺がおかしく見えたままで――


「ん?」


 五香は目を疑った。

 自分と姿形がまったく同じの誰かが、すぐ傍にいる。


 そのそっくりさんも、五香のことを驚いた顔で見上げていた。


「……あ?」


 何もかもおかしい。

 そもそも、自分と同じ姿形の誰かを何故自分は見下ろしているのか?


 まるで急に身長が伸びたような。


「あー。あー。んっんっ……ん!? 声も変だぞォ!? なんかさっきまでと違うっていうか……」

「がっ……!?」


 困惑している五香の傍で、誰かが倒れた。

 すぐにそちらへと目を向ける。


 ジョアンナが頭を抱え、目を瞑り、その場にのたうち回っていた。

 呼吸も浅く激しく、見るからに尋常ではない。


「う……がっ……あああああああああああ……!」

「ジョー!? どうしたァ! おい、大丈夫かァ!?」

「メルトア! そこから動かないでッ! 触ったらもっと悪化する!」


 叫んだのはドクターだ、とすぐにわかった。

 ビクリ、と五香は身体を固まらせる。そのドクターの声が何故か自分に向かって放たれていたからだ。


「……裏っち……そういえばよォ……あの王女様の姿が見えねーんだけど……」

「……あなた、中身が五香ね?」


 ドクターの口調がさっきと明らかに違っていた。


 段々と、何が起こったかわかりかけてくる。


 いや、五香の脳はそれを正しく認識していた。信じられないから可能性を無視していただけで。

 先ほどから、自分の姿をしたそっくりさんが身体を恐怖に震わせ、涙を浮かべている。


「……嘘だろォ……!?」


 姿は、あまりのショックに顔を押さえる。

 いつもとは違う感触がそこにあった。


 五香はメルトアと、ドクターはジョアンナと、それぞれ人格が入れ替わっているバカげた光景がそこにはあった。


『さて。ちょっと後で今回は元に戻すが……私の意に反すれば、キミたちは一生このままだ』


 リバースの声が、その場の全員を支配していた。

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