邪霊とは その三

 一九一八年 一一月 宮森の自室





 講義内容は比星一族の祀る邪神へと内容が移る。


『今日一郎、比星一族が祀っているその邪神の名は一体何と呼ばれているんだ?』


『矢張りそうなるよね。

 比星一族が祀っている邪神に限らず、邪神は様々な国で様々な名で呼ばれている。

 比星一族が祀っている邪神のこの国での記述は、淡神あわかみしくは泡神あわがみとされている筈だ』


『淡神に泡神……。

 先日の儀式で君が出現させた、あの虹色の球体の事を表しているんだね』


『ああ、それだ。

 無論、真名しんめいは別にある。

 いくら専門の研究者であったとしても、魔術結社と縁がなければその名を耳にする事も名が記された品物を見る事もないだろう』


『そこまでして厳重に秘匿されているとはね。

 神の名はみだりに唱えてはならない……そうか!

 神の真名が他の魔術師達に知られてしまえば、そこから術式を解析されて一族の優位性が薄まってしまうからか?』


『四分の一だけ正解。

 後は間違っているかな』


『う~ん、一応は専門の筈なんだけど。

 いかに自分が嘘の学問を刷り込まれて来たのかが解るな……』


『邪神の真名についてだけど、神の名を妄りに唱えてはならないの部分は正解。

 問題はその理由だ。

 そもそも、邪神の真名は人間ヒトの発声器官では正確な発音が出来ない』


『発音が……不可能?』


『そうだよ。

 もし人間の発声器官が邪神の真名を正確に発音出来てしまったのなら、真名を呼んでしまった者はそれだけで邪神に目を付けられてしまう。

 最も酷い場合は、真名を呼んだ者の人生そのものが邪神の目的を果たす為の道具として利用され、確実に破滅への道を歩む事になるだろうね。

 真名を呼ぶ、とはそう云う事だよ』


『直接発音する事が出来ないから、召喚する呼ぶ事が出来ない……』


『上手い事造形されている出来ているだろう。

 人間ヒト肉体カラダをその様に創ったモノが存在すると云うあかしさ。

 宮森さんはどう思う?』


人間ヒトの発声器官、肉体自体が封印の一つと云う可能性があるな。

 だとすれば、その封印を施した者が現生人類の創造主と云う事になる。

 旧神、なんだろうか』


『どうなんだろう。

 旧神の名前すら判っていないからね。

 只、人間ヒトの肉体が邪神復活の障害になっている事は間違いない。

 封印のうちの一つだとする宮森さんの考えには賛同するよ。

 後、比星一族が崇拝し召喚する邪神の真名は、宮森さんも既に体験して認識している筈だ』


『え? 既に体験して認識している?

 儀式の時の言霊か。

 憶えている。

 確か……仏丐んがい仏伽駕呀んががあー佛求ぶっぐ砠互具しょっごぐ怡叭婀いはー夜喰よぐ……』


『宮森さん止せ!

 今は言霊を認識するんじゃない。

 明日二郎!』


 儀式で宮司今日一郎が放った言霊を宮森が脳内で再生し様とした刹那せつな、今日一郎からの逼迫ひっぱくした思念が明日二郎と宮森に向けられた。


 さま明日二郎が行動に移る。


『ホイキタオニイチャン!

 ミヤモリ、チョット痺れるぞ~。

 トリャーーー!』


 宮森の脳内に巣食い、今日一郎との精神感応テレパシーを中継する明日二郎(の幻影)が宮森の思念を矢庭やにわにかき乱す。


『ん、ン、ガガガガがッ……』


『もうちょい……ヨシッ!

 もういいぞ~ミヤモリ』


『ガ、痺れ! ががッ……あ、戻った?

 な、何してくれたんだ明日二郎?』


『済まない宮森さん。

 明日二郎を責めないでやってくれ。

 僕が迂闊うかつだった。

 不用意に邪神の真名を認識させてしまう所だったよ……』


『まさか、それを止める為に明日二郎が自分の思考を操作したのか?』


『何の準備もせずに邪神の真名を認識して呼んでしまうと、さっき説明した通り邪神から目を付けられてしまうからね。

 宮森さんの様な豊富な霊力の持ち主は特に危ない』


『そう云う訳だったのか。

 自分が真名を認識して呼んでしまう事を防いで……二人共、ありがとう』


『どう致しまして。

 明日二郎にはさっき、宮森さんの思考に緊急停止装置を組み込んで貰った。

 これで不用意に邪神の真名を認識して呼んでしまう事はない筈だ』


『何やらおかしな事をされてしまったらしいが、かさがさねアリガトウ』


『ふふ。

 宮森さんが自身の霊力操作に慣れたら、緊急停止装置は外す事が可能だ。

 安心してくれていい』


『まったく、ヤレヤレだぜ……』


『おい明日二郎。

 今自分の事馬鹿にしただろ』


 素知そしらぬふりの明日二郎に苦笑いし乍ら、今日一郎が真面目に続ける。


『だから宮森さん。

 比星一族のほうずる邪神の真名を公開するのは、貴方がある程度霊力操作をこなせる様になってからだ。

 それまでは我慢して欲しい』


『研究者である自分には口惜しいが仕方ない。

 命あっての物種ものだねだ。

 ところで質問なんだが、霊力操作をこなすとか言っていたけど、修行的な感じの事とか……』


『するぞ』


『え? 今なんて言ったの明日二郎?』


『精神感応に聞こえないフリは通用せんぞミヤモリ。

 修行はヤル』


『今日一郎、それホントか?

 ホントに修行するの?』


『正確には修行ではなくだけどね。

 力の使い方を覚える訳だから。

 で、修業せずにどうやって霊力操作を学ぶと云うんだい?』


『ほら、コツが書いてある書物とか秘伝の巻物みたいなのがあって、自分は研究者だし座学の方が効率的かな~と。

 まあ、座禅くらいは大丈夫だけど、滝行たきぎょうとか……しないよね?』


『するよ』

『するぞ』


『ひっ! 火渡りとか……』


『するよ』

『するぞ』


『ご、五穀断ごこくだちとか、じゅ、十穀断じゅっこくだちとか、にゅ、入定にゅうじょうとか……』


『するよ』

『するぞ』


『いやソレ死んじゃうから』


 昨日のおぞましい儀式で忌まわしい出逢であいをしたばかりの宮森と比星兄弟ブラザーズであったが、今はもう和気藹々わきあいあいとした雰囲気で心を通わせ始めている。


 長慶子ちょうげいしどころか、講義終業のチャイムもまだ鳴らない様だ。


[註*入定にゅうじょう=本来は永遠の瞑想に入るなどの意味とされるが、この場面では餓死の後に即身仏そくしんぶつ(ミイラ)になる事を指している]





                   邪霊とは その三 了

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