第五節 邪神に纏わるエトセトラ

邪神に纏わるエトセトラ その一

 一九一八年 一一月 宮森の自室





 和やかな雰囲気で進行していた夕食後の講義だが、ここに来て又しても緊迫感に満ちたものになって来た。


『今日一郎、〈異魚〉がもし完全な発音で邪神の真名を呼んだ場合、どの様な影響が出る?』


『邪神の肉体の復元には成功していないので、今の所完全復活はない。

 ただ邪霊の召喚、特に瑠璃家宮派に定着している邪神達の眷属は簡単に呼び出せる様になってしまったと思う』


『邪神の眷属ね。

 邪神達の間にも格の違いや派閥がある様だな。

 派閥同士で争ったりもするんだろう』


『もちろんさ。

 その事については明日二郎の方が詳しいから、後で纏めて話して貰おう。

 それで宮森さん、昨日の儀式で神官達が綾の体表に紋様を刻み込んでいたのを憶えているかい?』


『勿論憶えている。

 しかも刻まれた後に発光していたよな。

 あの発光は、霊感の乏しい者にも視えていた様だが?』


『あれは簡単に言えば道標みちしるべだね。

 宮森さんが研究していた古代語のナアカル語、旧カタカムナ文字だよ。

 それらの文字で邪神の真名、系統、属する派閥、目的などを刻印する。

 発光現象が霊感の乏しい者にも認識出来たのは、それだけあの場の邪念が膨大だったからだ』


『矢張りナアカル語、旧カタカムナ文字だったか。

 しかも人体に描く魔法陣のたぐい

 わざわざ対象の皮膚に刃物で刻印するのは、その効力を倍増させる為だな。

 血と痛みは邪霊を強く惹き付けるんだろ?』


『その通りだ宮森さん。

 膨大な量の邪念は当たり前として、計算し尽くされた場、周到に用意された手順、厳選された祭具、比星一族を始めとした召喚の専門家、目的の邪霊専用に調整された依坐よりまし、どれ一つ欠けてもあの邪霊の定着は叶わなかった』


『綾が邪神の真名を発音できる身体に変容した事で、これからはもっと簡単に邪霊の定着が行える様になる……』


『うん。

 ただ、綾の変異は限定的なものにとどまっている。

 今の所、邪念の浸透した水中でしか身体の異形化は維持出来ていない。

 そこが唯一の救いかな』


『神殿に満たされた海水の事だね。

 その海水を邪念の媒体としているのかもな。

 魔術師達は邪念を浸透させる為に、何か特別な魔術を行っているのか?』


『術式も当然使っているんだろうけど、あの規模は流石に大き過ぎる。

 帝都にいる瑠璃家宮派の術師全員でも足りない。

祭器さいき】を使用しているのは確実だろうけど、ここまで大規模な効果をもたらすものには覚えがない』


『祭器……魔術の効果を増幅させる物の様だが、複数の祭器を同時に使ったとかではないのか?』


『いや、維持する事も考えるとどっちにしろ術師の数が足りないよ。

 もしかしたら僕も知らない高性能の祭器が存在していて、瑠璃家宮派が秘密裏に使用したのかも知れない』


『昨日の儀式で今日一郎が使用したあのつるぎは、とてもではないが単なる儀礼用の品物には見えなかった。

 あの剣も祭器なのか?』


『比星家に伝わる家宝だよ。

 膨大な量の邪念を調整し操作する機能と、邪神との交信を行える機能がある。

 邪神との契約の証でもある、呪われた品だけどね』


『確かに只ならぬ気配を放っていた。

 魔術師や魔術結社は、あの様な祭器を所持しているんだな』


『ああ。

 でも、神殿内に充填させた大量の海水に邪念を浸透させ続ける祭器があるなんて僕は知らないけどね』


『今日一郎が知らないとなるとこの問題は棚上げになるな。

 しかし水か……。

 古くから水には想念が宿り易いとされている。

 湿気が多く水はけの悪い土地は幽霊談に事欠かない。

 しかし、水には洗い清めると云った清浄を表す象徴でもある筈。

 自分は又、為政者達お得意の歪曲伝承に騙されていたのか?』


『水が清浄を表す象徴たりえるのは、邪念を吸収した水が土中に染み込んで海や川に流れ去り、大気に還る過程で邪念が雲散霧消うんさんむしょうする作用からだろう。

 りになった邪念は最早もはやその力を有し得ない。

 俗に云うけがれ等と云った生命体の想念を水が吸収してしまい、些細ささいな霊現象として還元させてしまうからじゃないかな』


『だから水はけの悪い土地には幽霊談が多いと。

みそぎ〗の正体ここに見たり、だな。

 他にも訊きたい事柄が幾つかある。

 先ず神官達の斎服さいふくだ。

 真道しんとうの斎服は白一色のはず。

 昨日の儀式では朱色、藍色、若苗色わかなえいろ墨色すみいろ、宮司である君は灰色の斎服だった。

 今日一郎、これは何を意味しているんだ?』


『宮森さんらしい質問だね。

 この国に限らず国家の裏には必ず魔術結社がいる訳なんだけど、勢力ごとに象徴する色があるんだ。

 その色は魔空界での邪神達を表すとされ、有力家系の魔術師達は好んでその象徴色を身に着けたがる』


『なるほどな。

 所属する勢力と受け継ぐ血統を表していると。

 比星家は灰色が象徴色みたいだな。

 良ければ他の象徴色についても説明してくれ』


『魔空界での勢力関係については明日二郎の方が詳しい。

 魔術師の有力家系と共に、後で纏めて説明して貰おう』


『分かった。

 次は、昨日の儀式で今日一郎が身に着けていた舞楽ぶがくの装束について聞きたい。

 ひと目見たら忘れられないであろう異様な意匠だった。

 それに、太帝しか身に着ける事を許されない禁色きんじきが一部で使用されているね』


『あの装束は僕達兄弟の誕生祝いに、祖父の播衛門が瑠璃家宮派に作らせた物だ。

 意匠については何らかの意味があるんだろうけど、今の所は不明。

 明日二郎の見た目を表現しているとも思ったけど、祖父が亡くなっているので詳しい事は判らない。

 宮森さんの言う通り、装束の一部には禁色が使用されている。

 私見だけど、あれは大昇帝派に対する瑠璃家宮派の当て付けなのではないかと思うんだ』


『当て付けだと?

 非公式の場であれば、敵対心を隠しもせずいがみ合うとはね。

 この先この国はどうなってしまうのやら……。

 あと、最も気になる場所がある。

 神殿前の鳥居とりいに似た門柱もんちゅうだ。

 何か知らないか今日一郎?』


『あの門柱か。

 あの門柱は……僕にも良く分からない。

 済まない宮森さん』


 宮森が随分と気になっていた門柱であったが深い掘り下げがなされずに終わり、宮森は肩透かたすかしを食わされた気分である。

 確実に魔術的、邪神崇拝的な要素を含んでいると宮森はにらむのだが、今日一郎があっさりと切り上げたので議論の機会を失ってしまった。


 追及を避けている様にも感じられたが、宮森には他にも訊きたい事がまだまだある。

 宮森は他の疑問に対する答えを優先する事にした。





            邪神に纏わるエトセトラ その一 了

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