5-9

 施設の最寄り駅に戻ってきた理由は一つ。投げ出してしまったもう一つの問題に向き合うためだ。

 アンジェからすべてを聞いたあの日、俺はそうすると決めた。

 一週間前に別れ、それ以来返事をできずにいた、三鐘灯々希に連絡をしようと。

「それでこのざまじゃ、な」

 意気込んで決心したはいいものの、実際問題、数日間無視したメッセージになんと返せばいいかわからなかった。

 白状すれば、怖かった。ヘタレていたとも言うが。

 ここ数日、自分の生き方についてすっきりした反面、灯々希とのことに悶々としていた。

 考えに考えた結果、直接話をしようと思い、今日に至る。

 本当はもっと早めに来るか、灯々希のマンションを訪ねるつもりだったが、悠里との約束があったので、この時間に来るしかなかった。

「今ならまだ、開店前か」

 じきに夕暮れ時。居酒屋ならあと一時間と経たずに営業を始める頃合いだ。

 灯々希が出勤しているかどうかはわからないが、立場的に週末はいると思う。

「今更あとには引けないだろ」

 そう声に出して自分を奮い立たせ、あの居酒屋を目指した。

 店の前に到着した俺は、準備中の看板を横目にしつつ、店内に足を踏み入れた。

 鍵がかかっているかどうかも確かめなかったのは、立ち止まって考え込んだりしたら、決意が鈍ってしまいそうだったからだ。

 運がいいのか、開店前にも関わらず、店のドアは施錠されていなかった。

「すみません。まだ準備中で……って、うそ」

「……よ、よう」

 軽く目を見開く相手に、ぎこちなく手をあげてみせる。

 まさか、いきなり顔を合わせることになるとは思っていなかったが、たぶん、これで良かったのだ。

「…………準備中、なんだけど」

「あ、あぁ、わかってる。っていうか、客としてきたわけじゃないっていうか」

「……冷やかしなら、帰っていただけますか?」

 どう反応していいのかわからないのか、灯々希は苦笑いを浮かべて答える。

 連絡を無視していた相手がいきなり店に来ただけではなく、客ではないと言うのだから、当然の反応だ。

 逆の立場なら、俺だって冷やかしかと言いたくなる。

「悪い。いきなりすぎて」

「本当にね。準備中の看板、目立つと思うんだけど」

「それは見えてたんだが、仕事中じゃ話せないと思って」

「……飲みに来たわけじゃ、ないんだ」

「……あぁ」

 幸いと言うべきか、店内には灯々希の姿しかない。

 他の従業員はまだ出勤していないか、裏の方にいるのかもしれない。

 話をするには、好都合だ。

 俺は深呼吸をして、正面から灯々希を見る。

「今日は、話がしたくて……」

「……真面目な話?」

「……たぶん」

「たぶん?」

「あ、いや……真面目な話だ」

 まだどこかに残っている臆病を、拳で握り潰す。

「灯々希に、話したいことがある。いろいろ、ある……」

 どれから言葉にするのが正解かはわからないが、伝えたいことはたくさんあった。

 一週間前と、三年前に置いてきた言葉が、たくさんある。

 それはきっと、灯々希も同じはずだ。

「だからその、少し時間をくれないか?」

「え、普通に無理でしょ」

 ……あれ?

 思っていた反応とは違いすぎて、一瞬固まってしまう。

「見ての通り、今、開店準備中」

 呆れたように目を細め、灯々希が腕を組む。

「わかるけど、ご、五分でいい。すぐに済むから」

「すぐに終わる真面目な話なら、今じゃなくてもいいでしょ」

「……さ、三分で」

「ならメールとかで良くない?」

「……できればその、直接話したいと言いますか」

「お引き取りください」

 下手に出てみるが、撃沈である。

 取りつく島もないとはこのことか。

「……もしかしてだけど、怒ってる?」

「お引き取りください」

 返ってくる言葉こそ同じだが、今度は笑顔が張り付いていた。

 私情を覆い隠すような、見事な営業スマイルである。

 どうやら、話すつもりはないらしい。

 一週間も音沙汰なしで、いきなり顔を出せば当然の反応か。

「わかった。なら、終わるまで待ってる」

「冗談だよね?」

「本気だ。仕事のあとで面倒かもしれないけど、頼む」

「何時に終わるか、わかってる?」

「大丈夫だ」

「いや、大丈夫とかの話じゃなくて……」

 引き下がるつもりがないとわかったのか、灯々希は眉を顰める。

「……どうして?」

「話したいこと……いや、話さなきゃいけないことがあるから」

 たとえそれが最後になるとしても、なにも話さず終わりにはできない。

 これだけは、絶対に話しておかなければいけないと思う。

「…………準備で忙しいから」

 素っ気なく告げた灯々希は、背を向けてしまう。

 彼女が今、なにを思っているのかはわからないが、俺はその背中から目をそらさず、

「……終わるの、待ってる」

 一方的にそう声をかけ、店の外に出た。

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