4-7

「……はい。今ならきっと、すべてお話しできると思います」

 妙な言い回しが気にはなるが、まずはお互い、先に済ませることがある。

「風邪ひくぞ」

 タオルを取り出して、アンジェに放り投げる。

 俺もアンジェも、雨でずぶ濡れのままだ。

 きっと長い話になる。そう思ったからこそ、先に着替える必要があると思った。

 幸いというべきか、アンジェの着替えや日用品の類もそのままにしてある。問題は、ない。

「安心しろ。俺はベランダで着替えてくる。終わったら、中にいれてくれ」

 アンジェの返事を待つことなく、俺はタオルと着替えを手にしてベランダに出た。

 この暗さなら、ベランダで着替えても大丈夫だろう。


 髪を乾かしながら待つこと数分。

「お待たせ、しました」

 まだ乾ききっていない髪を指先で弄りながら、アンジェがなぜか照れ臭そうにドアを開けた。

「ちゃんと髪、乾かさなくていいのか」

「は、はい。これくらいなら、大丈夫かと」

 まぁ、本人がそう言うのならいいか。

 首にかけたタオルで口元を隠す理由はわからないが、気にしないことにした。

「飲み物、どうする?」

「あ、私は、ココアで」

「あぁ、まだ残ってたな」

 頷きながらお湯を沸かし、コーヒーとココアを用意してテーブルに戻る。

 最初の夜を思い出し、自然と口元が綻ぶ。

「温まりますね」

 小さく吐息を漏らしたアンジェは、カップを置いて律儀に正座する。

 が、いざ口を開こうとして、困った顔になる。

「……どこから話せば、わかりやすいでしょうか?」

 俺に訊かれても困るのだが……。

「じゃあ、電車でのことは? いきなり消えたみたいだったけど」

 おまけに、まだ動いている電車の中から。

「正確には、消えたわけではないんです。見えなくなった、というのがわかりやすいと思います」

「見えなくなった?」

「はい。あのとき私は、一つの禁忌を犯しました。その罰として、人間には見えない存在になっていたんです」

「……透明人間みたいなもんか」

「人間の方からすると、そんな感じです。私はそこにいるけど、誰にも見えない。触れても、気づいてもらえない」

 気づいてもらえないが、触れることはできたってことか。

「じゃあ、あれから三日間、ずっとどこにいたんだ?」

「孝也さんの近くで、見守っていました」

「……マジで?」

「はい。他に行くところも、することもなかったので。あ、部屋には入っていないので、安心してください」

「そこは気にしてないけど……」

 まさか、ずっと近くにいたとは思わなかった。

 いや、アンジェの話を信じるなら、だが。

 どうにも超常的な要素が絡んでくるせいで、なかなか素直に飲み込めない。

「しかし、禁忌を犯した、ねぇ。そんな特別なこと、あったか?」

「私が最後に言ったこと、覚えてますか?」

「……あぁ。呪いはもうないとか、言ってたよな」

「はい。それは秘匿しておかなければいけない情報だったんです」

「それを俺に話したから、罰を受けたって?」

「そうです。代償と言い換えても、構いませんが」

「なるほどな」

 真偽は定かではないが、今は全てを肯定してみるしかない。

「なら、今はどういう状態だ? 罰ってのが終わったのか?」

「これは、孝也さんのおかげです」

「俺の……って、これか?」

 テーブルに置かれた、唯一思い当たる節のあるランプを指さす。

「そうです。ちゃんとこすって、願いましたよね? 勝手にいなくなるなって」

「まさか、それが願いとして叶ったって言うのか?」

「はい。あなたの願いが、私に対する罰を打ち消して……ルールを捻じ曲げてしまったんです」

 信じたいが、なかなかに難しい。

「その点は、謝らなければいけません。私のせいで、貴重な奇跡の一つを消費させてしまいました」

「まぁ、正直それはどうでもいいんだけどな」

 もとより願いなどするつもりはないのだから、消費されようが構わない。

「でもこれって、俺に幸福をもたらす願いしか叶えられないんじゃなかったのか?」

「そう、なんです。私も不思議で……普通なら、あれを願いとして判定するはずないんですけど……」

 どうしてでしょうね、と首を傾げてアンジェが見てくる。

 訊きたいのは俺のほうだと、理解して欲しい。

「あれじゃないか。君がいないと、他の願いが叶えられないからとか、そういう救済措置みたいな感じのやつ」

「言われてみれば……そうかもしれないですね」

 ただの思い付きなのだが、可能性としてはあるかもしれないと、アンジェも頷く。

 彼女がわからない以上、どうせ正解なんてわからないのだから、それでいい。

「だとしたらまぁ、不備があるルールだけどな」

 アンジェが消えてしまう罰も含めて、噛み合っていない。

「すみません。なにぶん、イレギュラーなことなので」

 彼女もそう思っているのか、少し困ったように笑ってみせる。

 俺としては、勝手に消えたことに対するモヤモヤが解消されたので、それで良しとすることにした。

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