3-5
「すみませんでした」
「久しぶりにやっちまったな。でもま、大したことじゃねぇって」
仕事でしたミスを、鈴木さんは豪快に笑って済ませてくれる。
リカバリーできる程度のミスではあったが、ミスはミスだ。
まるで入社したばかり新人のようなミスは、さすがに堪える。
「大丈夫だ。俺もたまにやらかす。何年続けたって、やらかすときはやらかすもんだ。なんなら気晴らしに行くか?」
「……いや、遠慮しときます」
下品な指使いを見せつけてくるが、丁重に断る。
ことあるごとに俺を誘って行こうとするのは、やめて欲しい。
酒に誘われるほうが、まだ気が楽だ。
「ま、ホント気にすんなって。また明日な」
「はい。お疲れさまでした」
作業着のまま帰っていく背中を見送り、ため息をつく。
ミスをした原因はわかっている。ぼーっとしていたせいだ。
「……まいったな」
誰かの調子の悪さがうつってしまったみたいだ。
突っ立っていても仕方ないと、重い足を引きずるようにして歩き出す。
「桜葉さん」
「……今帰り?」
「はい。桜葉さんも、お仕事終わりみたいですね。お疲れさまです」
学校から帰ってきたばかりの音羽ちゃんと会うのは、そう珍しいことではない。
特別な状況でもなんでもないのだが、音羽ちゃんは違った。
「なんだか浮かない顔ですね。なにかありました?」
「……ちょっとミスって」
「あぁ。やっちゃいましたか」
「まぁ、うん」
一目でわかるほど、顔に出ていたらしい。
情けない姿を見られて困るわけではないが、やはり恥ずかしさはある。
「それじゃあ」
早く帰ってしまおうとする俺の腕を、音羽ちゃんが掴む。
「少し時間、くれませんか?」
「勉強なら、もう十分でしょ」
「いえ、そうではなく。とにかく、こっちへ」
強引に人目のつかない場所へと引っ張られる。
嫌な予感しかしないが、抵抗するのも変なので従った。
「えっと、なに?」
「スマホで連絡でも良かったのですが、せっかく会えたので直接お話ししておこうかと」
「……あんまり聞きたくないんだけど、なに?」
もはや確信とも呼べる予感を覚えつつ、話を聞く。
「今日、上郷先輩がうちのクラスに来ました」
「…………」
「ついでに呼び出されて、話しました。二人で」
俺は黙ったまま、夕暮れ空を見上げた。
あいつは、なにをやっているんだ。
日課のように連絡してくる悠里の顔を思い浮かべながら、地面に深く息を吐き出す。
「……なんか、ゴメン。迷惑、かけてる?」
「いえ、迷惑とは思っていないです。まぁ、さすがに驚きはしましたが」
そりゃあそうだろうと頷く。
学校でも悪目立ちしている先輩が、下級生の教室にやってきて呼び出すのだ。
このご時世、問題になってもおかしくはない。
「でもあいつ、なんで音羽ちゃんのことを……ぁ」
「私の話をしたそうですね」
「……本当にごめん。その、うっかりだったんだけど、まさかあいつ、そんな行動力を発揮するとは思わなくて」
悠里の学校生活について、迂闊にも情報源を明かしてしまった自分の失態を呪う。
それにしても、会いに行く必要はないだろうと思うが。
「構わないですよ。実は私も、上郷先輩がどんな人か、興味があったので。丁度良かったと言えば、良かったですから」
なぜ音羽ちゃんがあいつに興味を持つのか。
理由はまぁ、俺が話したからだろう。
「……で、あいつ、なんて?」
聞きたくないでは済まされないので、深堀りする。
「桜葉さんとはどんな関係だ、とか。あ、タカ兄って呼ばれているみたいですね。うっかり口にして、少し赤くなっていましたよ、上郷先輩。噂よりも可愛らしい一面があって、そこも驚きました」
「……本当にあいつ、なにを考えてるんだ」
俺にはさっぱりわからない。
あの話から、どういう想像をしたのか。
「まぁ、それはおそらく冗談というか、ジャブのようなものだったのではないかと」
「……音羽ちゃん、なんか冷静だね」
「桜葉さんからお話を伺って、悪い人ではないと知っていましたから」
それは少し危機感が足りないと思わなくもない。
「あとはあれですね。桜葉さんの住んでいる場所とか、会社名とか質問されました。本命はきっとこっちでしょうね」
でしょうね、と笑いながら言うようなことではないと思う。
悠里のやつ、本当の本当に、なにを考えているんだ。
「勝手に教えるのはどうかと思ったので、丁重にお断りしておきましたが、教えたほうが良かったですか?」
「いや、その判断は正しい。凄く助かる」
もし住んでいる場所を知られたら、冗談でもなんでもなく、押しかけてきかねない。
それだけは、絶対に阻止しなければ。
「安心してください。部屋番号も、なんならマスターキーもありますが、プライベートなことなので教えられませんと、きっぱり言ってやりましたから」
「……それ、煽ってない?」
「いいえ?」
曇りのない笑顔でそう答える音羽ちゃんが、なんだか恐ろしく見えたのは、言うまでもない。
泥水のような唾を呑み込み、俺は一度、その場にしゃがみこんだ。
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