3-2
「全然時間取れなくて、なんかゴメンね」
「仕事が優先なのは当たり前だろ」
夜の少し冷たい風が、アルコールの回った頭を適度に冷やしてくれる。
居酒屋を出て邪魔にならないところまで、灯々希は見送りにきてくれた。
アンジェは少し離れたところで待ってくれているが、空気を読んだのだろうか。
「ねぇ、本当に今日は、偶然だったの?」
「たまたまだ。こっちに用事があって」
「……もしかして、施設に?」
「あぁ、ちょっとな」
「そっか」
灯々希は納得したように頷きながら、髪を撫でつける。
仕事中にしていたバンダナのせいで、変な癖がついた髪を気にしているようだ。
もともと少しだけくせ毛だった髪は、学生時代よりも短くなり、肩にかかる程度になっていた。
「髪、切ったんだな」
「え? そうだけど、なに?」
「あ、いや……昔はもっと長かったなと思って」
「そっちのほうが良かった?」
「別に、どっちがいいとかは、ないけど」
「……なに、口説いてる?」
「違う。誤解するな」
「知ってる。そんな気の利いたことが言えるタイプじゃないもんね」
「い、いや、似合ってるとは、思う」
なにが面白いのか、灯々希は顔を伏せて笑う。
「……悪い。ちょっと飲みすぎたかもしれない」
「謝るところじゃないよ。でも……こっちこそ、ゴメンっ」
まるでツボに入ったように、灯々希は口元を押さえて笑っていた。
わかっている。
さっきから少し、自分がおかしいことに。
アルコールのせいだろうが、いつもより饒舌になっていた。
そんなに飲んだつもりは、なかったのだが。
「こんなに笑ったの、久しぶりかも」
「……そうかよ」
笑いを提供した身としては、複雑な心境だ。
ひとしきり笑って満足した灯々希は、ようやく顔を上げる。
「でもホント、今日はびっくりした」
「俺もだ」
こんな形で再会することになるとは、思っていなかった。
「桜葉君は今、働いてるの?」
「あぁ。このあたりじゃないけどな」
「でも、そこそこ近場って感じ?」
「何駅か行ったところだ」
「意外と近くに住んでたんだ」
「そうなるな」
そっくりそのまま、俺も同じ気持ちだった。
「これもなにかの縁だし、連絡先、交換しておかない?」
そう言ってスマホを取り出した灯々希は、ちらりと俺の後方を覗き見る。
「あの子に怒られるなら、さすがに遠慮しておくけど」
「あれは、そういうんじゃないって」
「あ、違うんだ」
「違う」
これで何度目になるだろうか。
アンジェを見られるたび、同じような弁解を強いられている気がする。
「もしかして、施設の?」
「……まぁ、似たようなもの、かな」
そう言っておけば灯々希は追及しないと、わかっていた。
ずるいやり方かもしれないが、面倒を増やしたくはない。
「なら、遠慮はいらないか」
俺の返事など待たず、灯々希はスマホを向けてくる。
まだ交換するとは言っていないのだが、すでに決定事項らしい。
大人しくスマホを取り出し、連絡先を交換する。
「……あれ、なんだ。昔と変わってないんだ」
「そうだけど……ん? 灯々希もそうなのか?」
新規で登録する俺とは違い、灯々希の目がすぅっと細くなる。
「へぇ。ってことは桜葉君、私の連絡先、消してたんだ」
……しまった。
まさにその通りなのだが、これ以上ないポカをやらかしたことに気づく。
非難するようなジト目が、嫌というほど突き刺さる。
「お、お互い連絡してなかったんだから、別に問題はないだろ」
「そういう問題じゃなくない? 普通、消す?」
「……気が向いたら、あるかもしれないだろ」
「気が向いて、私の連絡先、消したの?」
「いや、それは……すまん、つい」
素直に謝るしかない。
もう連絡することも、会うこともないと思っていたのは事実なのだから。
「まったく、ひどい男」
言うほど気分を害している様子はなく、灯々希はむしろやれやれと肩を竦めて苦笑した。
「今度は消さないでね?」
「……善処する」
「うーん、信じられない」
「悪かったって」
「信じない。だからこれからは、ちょくちょく連絡するから。よろしくね?」
退路を断つような笑顔に、頷くことしかできない。
「ま、桜葉君から連絡してくれても、全然いいけど」
「気が向いたら……いや、うん、考えとく」
僅かに眉が吊り上がったことに気づき、言い直した。
これ以上の失点は避けたい。
「本当に迷惑なら、言ってね」
そして救いのような一言を、付け加えてくる。
「……迷惑とは、思ってない」
今の俺に言えるのは、それだけだった。
「わかった。じゃあ、今度連絡するね」
「……あぁ」
灯々希はそう言って、バンダナを頭に巻きなおす。
「それじゃ、またね、桜葉君」
笑顔で手を振り、店に戻っていく灯々希を、俺は黙って見送った。
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