第3話 密室の鍵
ついてない、溜息を吐いて私は空を見上げた。山中の家と街の高校はバスで二時間の距離だから、天気が崩れた時なんて本当に最悪。夕立の期待も虚しく雨はもう一時間も降り続いていて、私はその間ずっと、停留所の屋根の下で雨宿り中だった。
ダッシュで帰れるかとも思ったけれどブラウスから下着が透けるのは嫌だったし、カバンの中も心配だったから諦めた。忘れ物の傘が無いか探してみたけれどそんな都合の良いものも無くて、この際バスから降りて来た人から奪おうかとも思ったけれど、生憎この一時間誰も降りて来ない。まあ田舎だから元々降りる人は少ないし、こんな天気なら尚更の事なんだろうけれど……。空に向って念じるのも一時間ずっと繰り返しているのに、雲はちっとも晴れなかった。
ベンチに腰掛けてぺけぺけと鞄を蹴る。バスでの暇潰しに持っていた本は今朝丁度読み終わってしまったところだし、教科書を読むなんて切ないことはしたくない。家までは五分と掛からない距離なのに、トタンの屋根を叩く雨音はあまりにも凶暴すぎる。ついてない、ついてない――バスが泥を跳ねて走ってくる、私は脚を避けさせた。
今度こそ誰か降りるかな、昇降口を見るとそこからは幼馴染の耕輔が降りて来た。目線が合って彼の足が止まる、その間にバスは通り過ぎて行く。泥を跳ねる音がした。
耕輔はベンチに座る私を見下ろして、呆れたような溜息を吐く。なんとなくそれが癪に触って、私はぷいっと顔を背けた。ふんだ、どーせ傘忘れた間抜けですよ。
「何やってんだよ有華」
「傘忘れたのよ。街は晴れてたのにさ」
「天気予報見ろよ」
「朝急いでたんだもん」
私の答えに耕輔がまた溜息を吐く、私だってさっきから溜息ばかりなのに。嫌になる。
中学に入った頃から耕輔は妙に私に突っ掛かるようになった。小学生の時は家が近かったこともあって、よく遊んだり互いの家を行き来したりしていたものだったのだけれど……高校に入ってからは、部活の時間帯の差もあって、朝にバスの中で会うのが精々になっていた。今日はちょっと寝坊したからいつものバスに乗らなかったのだけれど、と私が思考を巡らせていたところで、耕輔が自分の鞄をごそごそとあさる。
ぽい、っと投げ出されたのは濃紺の細長いものだった。反射的に受け取れば、それは折り畳み傘。ナイロンの感触を掌に感じながらきょとんと耕輔を見上げれば、彼はわざとらしく手を顔の高さに上げて、人差し指を立ててみせる。
「貸しイチだ、光栄に思っておけ」
「え……ちょ、良いわよ、あんたの家あたしより遠いでしょ? 濡れちゃうじゃない」
「別にこのぐらい大したことねぇし」
「でも」
「良いから」
ダッ。
言って耕輔は走り出す。雨の中、ばしゃばしゃと水溜りを蹴散らしながら、止める間も無く彼は行ってしまった。
私は自分の鞄に入れてある、暇潰し用の本を取り出した。よくある新本格ミステリで、やっぱりよくある密室モノ。この停留所も密室、という感じではある。雨で閉ざされた場所なんてよくあるし。
ということは、この傘は密室の鍵、なのかな。
……ついでに私の心の鍵でもあるかも。
何故か赤くなってしまった頬に少し動揺しながらも、私は耕輔の折り畳み傘を開いた。
巨大な穴が開いていた。
「あの野郎……」
やっぱり密室の鍵は針と糸以外ありえない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます