2-2 「異形、染まるは刃」

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 わたしが産まれた時のことです。


 母が亡くなったのは。


 元々体が病弱だった母は、わたしを身篭った時、ある選択を突き付けられました。


 わたしを産んで、自らが死ぬか。


 わたしを殺して、自らは生きるか。


 母が選んだ道は、わたしの存在が証明しているでしょう。


 そうしてわたしはこの世に生を受けました。


 母の命を譲り受けて。


 母の人生を奪って。


 母を殺して。

 

 わたしは——人殺しでした。


 それは、紛うことなき事実。


 何故ならば——わたしが、人生で初めて認識した言葉は、それだったのです。


 父は、常々言っておりました。


 この、人殺しと。


 わたしが、物心つく前から。


 わたしが、物心ついた後も。


 ずっと。ずっと。


 わたしの初語は、母でも父でもご飯でも鳴き声でもなく、「ひところし」だったと聞き及んでおります。


 おそらく赤子のわたしは、舌足らずに、意味も分からず、頑張って発音したことでしょう。


 父は、歪んだ笑みを浮かべながら、わたしを殴りました。


 何故だか、それだけは原始の記憶として覚えているのです。


 わたしの幼少期は、父からの虐待の日々でした。


 殴られ、傷付けられ、罵声を浴びさせられ、否定され、餌を与えられず、教育は放棄され、ただひたすらに人殺しと言われ続ける——。


 雨水を飲んで乾きを潤したこともありました。木の根をかじって飢えを凌いだこともありました。傷口が膿んで、ばい菌が入り込み、風邪を拗らせ死にかけたことも。今でも、体の至るところには古傷が散見されます。


 別に父のことは恨んではいません。


 むしろ当然の感情だと思います。


 わたしは、間違いなく母を殺したのです。


 この手で——この体で、母を殺した大罪人なのです。

 

 誰だって、家族を殺されたら、犯人を憎むでしょう?


 愛していればいる程、なおさらです。


 父は、母のことをとても愛していました。


 だからこそ、許せなかったのだと思います。


 母を奪ったわたしのことを。


 母を殺したわたしのことを。


 わたしは、母の代わりにはなれなかったのです。


 それもまた、必然でした。


 わたしは、母のことを知らないのです。


 どんな方だったかも。


 名前も。


 わたしは、母の顔も知りませんでした。


 家に写真はありませんでした。父が、処分したのだと思います。


 父は独占したかったのでしょう。母を、自分の記憶の中だけに。唯一無二の存在として。


 母の顔を、名を、知りたいとは思います。


 もう会うことは叶わずとも——せめて、顔だけは。名前だけは。


 ああ——何故、今になってわたしはこんなこと思い返しているのでしょう。


 わたしの生い立ち。母のこと。父のこと。


 まるで——走馬灯のようじゃあ、ありませんか。



『危ない! 主様!』



 声よりも、言葉よりも早く伝達されるレーヴァの意志。反射が、わたしの体を動かしました。 


 上半身を無理矢理、左に傾けます。


 首筋を掠(かす)るようにして、鋭い斬撃が過ぎ去って行きました。


 下手人は、先程の男です。間近で、視線が交錯しました。刹那の出来事。わたしは左足を軸に、右の蹴りを放ちます。


 肉を叩く感触。男の体が、飛びました。


 しかし、手応えから、受け流されたことを確信します。ダメージは無きに等しく。男は空中で身を翻(がえ)すと、無難に着地しました。


 わたしは、腰から相棒を抜き放ちます。


 瞬く間に、石は剣へと変形。


 得物を構え、男へと闘志を向けます。


 男は、わたしの遺物を見て目を見開き、やれやれと肩をすくめました。


「おいおい、勘弁してくれよ……なあ。今度は遺物の相手かよ。ついてねえ。最悪だ。最低過ぎて、笑えるぜ」


 男の手の平の上で、ナイフが月の光を受けて妖しく光りました。


『気を付けよ、主様。あの男の手にあるのが、遺物じゃ』


「分かっています」


 刀子型のナイフでした。あるいはメスのようにも見える程の薄い刃物です。あんなもので人の肉を、骨を、解体出来る訳がありません。


 だとすれば、答えは一つ。


 あれが遺物で——そして、とてつもない切れ味ないし、それに類する機能を有しているということ。


 相手がナイフとはいえ、一太刀も許すわけにはいかない勝負。先程のような失態を避ける為にも、先手必勝——!


 足を、踏み抜こうとした——その時でした。


 男が、まるで降参するように両手を挙げたのです。ホールドアップ。わたしは、動きを止めました。


「降参だ、お嬢ちゃん。見逃してくれ」


「何を——言ってるんですか?」


「? 別に、言葉通りの意味だよ。裏表のない、純粋な気持ちだ。アンタには敵いそうにない。だから、許して下さい、見逃して下さいと、そう言っている。いわゆる、命乞いだよ。何なら、土下座でもしようか? 体も、まあ、生命活動に支障が無い範囲でなら痛めつけてもいいぜ?」


 男が、当然のように言い放ちます。


 わたしは、男の傍に横たわる肉塊に目を向けました。


「そんなこと——できるわけ、ないでしょう」


「もちろんタダでとは言わねえよ。これ——俺が持ってる遺物(こいつ)はアンタにやる。足がつかないように闇ルートで売れれば、一生安泰だぜ? 働かなくても、生きていける。いいなあ。いいよなあ。羨ましいよなあ」


「犯行は、やめると? 自主をすると言うんですか?」


「何言ってるんだ? それとこれは別だよ。全くもって、話が違う。俺には使命がある。断罪はやめない。やめられない。やめるわけにはいかない」


「だったら——無理な、要求ですね。呑めません」


 わたしの言葉に、男はひどくつまらなさそうに、ため息を吐きます。ぞっとする程の濁った目を、こちらへと向けてきました。


「分かんねえなあ。理解が出来なくて、まるで理外だよ。断る理由が分かんねえ——ああ、そうか。言葉足らずだったんだなあ。俺の落ち度だったんだ」


 なんというか、この方とこれ以上言葉を交わすのは、まずい気がしました。こちらの常識が通じない——暖簾に腕押し、馬の耳に念仏といいますか、逆に呑み込まれてしまいそうな危機感が、胸を支配します。


「お嬢ちゃん、アンタの知り合いには手を出さないと約束しよう。一切合切、金輪際、アンタの人生(ストーリー)に、俺は登場しないことを確約する。犠牲になるのは、いつだって赤の他人だ。とるに足らない、その他大勢だ。アンタの良心は痛まない。だって、他人なんて言うならば存在してないのも同然だよなあ。星の裏側で、戦争が起こって何万人死のうが、心は痛まねえ。知らない国で大飢餓が発生して、何十万人飢え死のうが、飯が旨いのは変わらねえ。お嬢ちゃん。アンタは、ここで俺を見逃して、知り合いに危害が及ぶのを懸念してるんだろう? だったらこれで、問題はクリアだ。解決した。さあ——そこを退いてくれ。あるいは俺が退(ひ)くのを見送ってくれ」

 

 わたしはこれ以上、言葉を返すことなく、再び相棒を構えました。


 正義感?


 いいえ、ただの恐怖心です。


 この人は、怖い。


 人殺しが許せないとか、犯罪は見逃せないとか、そんなちっぽけな倫理観などではなく、形容できない悪寒、とても許容できない嫌悪感。


 静かな異常性が、わたしの脊髄(せきずい)を底冷えさせました。


 おそらく——『浸食』が進んでいるのでしょう。


 適性が無いものが使えば、遺物に理性を蝕まれ、本能を剥き出しにされる。


 遺物には、そういった特性がありました。


 支配ではなく、解放。それがファーストステージ。


 そうした過程を経て、遺物と人は徐々に同調していき——最後には『異形化』と呼ばれるセカンドステージへと移行します。


 つまり——人ならざるモノへの、昇華。


「なんだかなあ。なんでだよ。なんなんだよ」 


 男が、至極気怠げに呟くと同時、彼の両足が胎動しました。ぼこぼこと波打つような動きと共に、つま先から、甲殻系の昆虫を思わせる漆黒の装甲に包まれていきます。やがて、それは足の付け根まで達したところで止まります。


 変身——いえ、いよいよ虫の変態を連想します。


 異形化が進んでいる——必ず、ここで止めなければ。


 そう思うわたしに、油断はありませんでした。


 だから、彼が虚空に向かって無造作に振るった、そのナイフの軌跡も見逃しませんでした。


 しかし、次の瞬間。


『右じゃ!』


 再び、わたしはレーヴァの声に助けられる形になります。


「なっ——」


 左に、飛びました。


 そうしなければ、わたしの胴体は真っ二つにされていたでしょう。


 出会い頭と似たような状況、けれど反撃はしませんでした。それよりも距離を取ることを優先します。わたしの頭の中では、目まぐるしく、現状を把握しようと思考が駆け巡っていました。


 まるで、時間が飛んだような感覚だったのです。


 間違いなく、わたしは全神経を張り詰めていた。なのに、レーヴァに言われるまで、反応すら出来なかった——思い返せば、出会い頭の一撃も、似た感覚があったのです。


 攻撃の前——男が虚空に向かって振ったナイフ——無意味ではないはず。


 意識が、飛んだ?

 

 奪われた?


 いや——″切り取られたような“。


 何にせよ、あの遺物には、幻覚系の機能が備わっていると推測します。


 そして、レーヴァに二度救われた事実——彼女にはその機能が働かないことも判明していました。


「レーヴァ、サポートをお願いします。一気に決めますよ」


『うむ、任せておけい』


 男がこちらを追撃せんと跳躍するのが見えました。両脇に立ち並ぶ家の外壁を利用しながら、フェイントを交え、立体的な動きで距離を縮めてきます。


 やはり、目で追えない速度ではない——わたしは、【終焉たる救世主レーヴァテイン】を振りかざしました。


 頭の中で、スイッチを入れるイメージ。


 すると瞬く間に、機械の装甲がスライドし展開します。


 そして迸(ほとばし)る、銀色の光。


 やがて、新たなる光の刃が形成されます。


 それは、『エーテル』と呼ばれる、人の生命エネルギーともいうべき輝きでした。


 人の体で生成されるエーテルは、機械を稼働させる原動力になり、こうして体外に放出を助ける機構を利用すれば、武器にもなります。


 そして、体内を巡るエーテルを意識的に操作できれば、身体能力の飛躍的な向上を可能とします。


 わたしは、エーテルを足に集中させ、地を蹴りました。


 男に合わせるように、外壁へと跳躍します。


 バッタのように壁に張り付き、重量で体が剥がれ落ちる前に、次の跳躍を敢行。


 男がこちらの意図を察知し、空中でナイフを振ります。


 来た——!


「頼みますよ! レーヴァ!」


『うむ!』


 男へと向けていたわたしの意識が、倒錯します。


 けれど予定通り。


『左斜め後方!』

 

 レーヴァの伝達を察知し、わたしは空中で体を捻り、相棒を薙ぎ払います。


 男が手にする遺物と、わたしの遺物が衝突しました。一瞬のつばぜり合い。わたしはそれを見計らい、受け流すように剣を引きながら、一旦、相棒のエーテル出力を解除します。


 空中、踏ん張る拠り所もない場所で、そんなことをすればどうなるでしょう。


 男のナイフを受け止めていた壁が急に消失し、彼は勢いのままつんのめりました。


 その隙を逃しません。


 こちらは、あらかじめ剣を引いていた分、余力があります。


 再び、エーテルを出力し、刀身を形成。


 男が体を反転させながらナイフを振ってきますが、僅かにわたしの方が速く。


「たああああああああ‼︎」


 思いっきり、男の背中に向けて叩きつけました。


 人の体が、大砲の砲弾のこどく放たれます。地面に激突。大きな音と、衝撃と、土埃を伴い、わたしが着地する頃には、男は地面にめり込んで動きませんでした。


 決着です。

 


 

 

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