1-1 「酒とコーヒー、幼女になっての良し悪し」

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 かつて人類は、叡智の頂へと辿り着きました。


 平たく言えば、イッちゃう所までイッちゃったのです。


 旧人類史において、技術の成長は段階的であったとされております。時代の節目節目で幾度かの技術的革新が起こり、時には魔術めいた飛躍を伴って、人類は非常に高度な文明を築いていきました。


 神を模倣し、人の写し身を人の手で生み出そうとしたヒューマノイド科学。無機物に命と心を宿す、まさに神の御技。


 そして、次なる段階(ステージ)として用いられるようになったのが、生命の構造に手を加える遺伝子研究でした。


 おそらく、人は夢を見たのでしょう。


 ヒューマノイドに発芽し掛けた、理想の生命を。


 老いない。朽ちない。死なない。


 『死』への多角的なアプローチ。不完全で、歪で、生命の循環さえも超越せんとする、人類史にとって、文字通りの命題。


 人は、何故死ぬのか。


 生物は、何故滅びなければならないのか。


 どうすれば、死を克服出来るのか。


 永遠不滅の存在を、人の手で——創造する。


 万物流転への真っ向からの反逆。


 それは生命の冒涜へ他ならず。


 その時既に、人は滅びへと向かっていたからとされています。


 具体的に、何が起きたかは明らかになっていません。


 情報は喪失します。紙は時が経てば、糸くずに。電子媒体は、長い月日の間磁気を受け続ければ、ノイズに。電子情報は、ネットワークが断絶すればただの0に。石は時と共に風化し、モノリスは地中深くへ。


 ただ、決定的な『何か』が、人類に訪れた。


 技術は失われ、社会は消失し、文化は途絶え、全ては一度リセットされました。


 そして——それから。


 悠久の時を経て、わたし達、新人類の世界は構築されていったのです。


 まるで、荒れた大地に、ゆっくりと緑が芽吹いていくように。


 わたし達は、前人類が遺した土壌——各地に存在する膨大な数の遺跡の中から、様々な遺産を発掘し、模倣し、『機械』と呼ばれる新たな文明を産み出し、今日(こんにち)の生活の基盤を築いているのでした。




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「お酒は駄目だよ、お嬢ちゃん」


 ザクセン領、第三区画『ペイルローブ』。街に着いて早々、宿も決める前におっとり刀で訪れた酒場にて、店主さんはかように無慈悲な事をおっしゃるのでした。


「えっ……?」


 わたしは、ショックで、空いた口が塞がりません。


 おそらく、この世の終わりのような表情(かお)をしていたと思います。


 景気よく挙げた右手が、行き場を失い、力なく項垂れていきました。


「な、何故ですか?」


「何故って、当たり前だろ。“子どもに″酒が出せるか」


 筋骨隆々の強面のおじさんは、その見た目とは裏腹にとても常識的なことを言います。


 わたしは、泣く泣くコーヒーをブラックで注文しました(ミルクはお腹を壊すので苦手です)。


 おじさんは、テキパキと注文の品を準備しながら、話し掛けてきます。お客さんとの世間話もまた、彼の仕事なのでしょう。


「お嬢ちゃん、お父さんとお母さんはどうした?」


「いません。一人で、旅をしてるんです」


「しっかりしてるねえ。うちのどら息子にも見習わせたいもんだ。しかし、そうなるとお嬢ちゃんも、大変な時期にこの街に来たもんだ」


「大変な時期?」


「ここ最近、物騒な事件が起きてるんだよ。子連れの母親ばかりを狙った、連続通り魔事件なんだけどよ。お嬢ちゃんも気をつけな」


「なるほど、ご忠告ありがとうございます」


 しばらくしてコーヒーをソーサーごと受け取ると、お金を払い、わたしは静かにその場を離れました。


 少しだけおじさんが言っていた事件の事は気になりましたが、見ず知らずの方と話すことは人見知りのわたしにとって負担でしたし、何よりも今は気落ちして、それどころではありませんでした。


 待望していた物は手に入らず。


 頭の中でリストアップされたとある項目が、虚しく更新されます。


 幼女になって困った事。


 その一、お酒が簡単に飲めない。


 ふと、店内の鏡に映った自分の姿を見て、更に落ち込みます。


 10歳くらいに見える、幼い少女でした。長い長い黒髪に、少しだけ太めの眉毛。夕焼け色の瞳は伏し目がちで、あまり力強さはありません。


 第二次性徴を迎える前のその体に、起伏は皆無でした。


 本来なら、彼女は当年とって23歳。確か、かつてはグラマラスな大人の女性だったと記憶しております。道を歩けば誰もが振り返る、まさしく立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花といった様子でした。


 少なからず願望が入り混じっておりましたが、とにかく、わたしは大人だったのです。


 別に、子どもの姿が悪だとは言いません。しかし、お酒が飲みたいのです。旅の疲れを、ぱーっと一杯あおって、吹っ飛ばしたかったのです。


 わたしは、一抹(いちまつ)の惨めさから、店内の奥の奥、端っこで人目につきにくい席へと向かいました。


 古き良き、ロッジ風の酒場です。きしきしと、床が可愛い音を立てていました。体重が軽いのはいいことですね。女性として、そこは嬉し恥ずかし喜ばしポイントではないでしようか。


 幼女になって良かった事。


 その一、体重が軽い。


 わたしは、席へと座りコーヒーを嗜みます。砂糖とミルクは入れないのがマナー。鼻腔をくすぐる豆の良い香り、口の中に程よい酸味と苦味が広がり、極上の液体が喉を通過します。


 これはこれで、大好きなのでとても良いのですが、やはりアルコールの方が……いえ、いつまでもぐちぐちと言いますまい。   


 辺りの喧騒はどこ吹く風で、わたしは優雅なコーヒータイムに洒落込む事にしましょう。


 悪い事ばかりに目を向けていては、人は腐ってしまいます。 


 この体になって助かる事は、一人でいても、あまり人から声を掛けられない事でした。


 わたしは黙っていれば深窓の令嬢といった雰囲気をしています。


 子どもの体に、いかにも訳ありげな雰囲気。


 良識のある大人は、必要以上に関わろうとはしないでしょう。


 一人旅は、気楽なものです。

 

 知らない人と話すのは、ちょっぴり苦手。


 幼女になって良かった事。


 その二、知らない人に声を掛けられる事が減った。


 ただし、一部の変態さんは除く。


「よお、嬢ちゃん。見てたぜ、酒が飲みてえんだろ」


 ——と、言っていたそばからこれですよ。


 見ると、三人の男性がにやにやとしながら立っていました。


 どこか軽薄そうな、見るからにゴロツキといった様相。人を見掛けで判断してはいけないとは言いますが、笑い方では判断できるというのがわたしの持論でした。


 少なくとも、その下卑た笑みは、初対面に向けるものではないですね。


 当たり前のように、お仲間はわたしの両脇に陣取ります。近い。わたし、人との距離感が欠落している方は苦手です。


「何か、御用でしょうか?」


 正面に座ったリーダー格らしき男に向かって、警戒心を込めて牽制します。


 男は、手に持っていたジョッキを、乱暴にテーブルに置きました。


「酒が飲みてえんだろ? 俺達が分けてやるよ。ただし、一晩中付き合って貰うがな」


 言って、顔から体までを舐め回すように見られます。背筋が、生理的に震えました。


「結構です」


 わたしは、男に目を合せないよう立ち上がり、サイドを固める包囲網を突破しようとしました。


 しかし。


「痛っ」


 仲間の一人に、強引に腕を掴まれてしまいます。


「まあまあ、ゆっくりしてけよ」


「っ、やめて、下さいっ」


 本当に、一切の配慮なく掴まれるので、爪とか喰い込んで普通に痛いです。


 正直、ぶちのめしてしまおうかという考えが頭をよぎりました。


 ただ、出来れば——酒場の、人の目が潤沢なこの場所での喧嘩事は避けたいところ。いくら端っこの席とはいえ、大きな音を立てれば、たちまち騒動は伝染し、最悪出禁になりかねません。こちらに非はないというのに。なんという不条理。この街には数日は滞在する予定ですし、騒ぎだけは避けた方が賢明でしょう。


 さて、どうやってこの場を切り抜けたものか、そう思っていると。


「やめろ」


 鋭い声が、聞こえました。


 いつの間にか、テーブルの向こう——リーダー格の男の背後に、一人の男性が立っておりました。


 すらりと伸びた長身に、整った顔付き。


 目付きの悪い三白眼は、綺麗な碧色をしています。少しだけ癖が目立つ金髪を、無造作に伸ばしているその様子から、どこか倦怠感のある印象を受けます。

 

「なんだあ、てめぇ!」


 リーダー格の男が粗暴に立ち上がりました。並んでみると、その身長差は歴然。ついでに外観のクオリティの差も。


 金髪碧眼の男性が放つ冷たい眼差しに、リーダー格の男はたじろぎます。

   

「ぐっ、な、なんだよ!」


「やめろ、と言った。不愉快だ。今すぐ有り金を全部置いて俺の目の前から消えるか、土下座して有り金を全て差し出すのなら命だけは助けてやろう」

 

 ヒロインのピンチに颯爽と現れたヒーローは、まさかの強盗でした。


 あれ? 実はあんまり助かってない?


「ふざけるな!」


 リーダー格の男が吠えます。号令に合わせるようにして、わたしの両脇を固めていた仲間も金髪の男性へと向かって行きました。


 群れた野犬みたい。それがわたしの感想。


 おそらく似たような感情を抱いたのでしょう。金髪の男性は短く嘆息すると、おもむろに手を前へとやりました。


 直後、今にも金髪の彼に掴みかかろうとしていた、男達の動きがぴたりと止まりました。まるで、見えない糸に引っ張られるかのように静止し、動かそうとしても動かない様子で、悪漢達はぷるぷると震えています。


 状況から鑑(かんが)みるに、金髪の男性が何かをしているようです。


 超能力?


 いえいえ、わたしは、この事象に心当たりがありました。


 『それ』は、失われたはずの技法。人はかつて畏怖と尊敬の意を込めて、その力をこう呼びました。


 『魔法』——と。


 男性が、一歩前へと詰め寄ります。そして軽く手を振ると、その軌跡に一本の光の剣が出現しました。優美なる細工が複雑に絡み合い、両刃を象(かたどっ)った、淡い金色の光。


 空中に浮かぶそれを、彼はおもむろに握ると自身の体を壁にし、店内のお客さんからはその行為が目に付かないように、されど相応の威圧感を持って、リーダー格の男の首筋に光の剣の切っ先を突き付けます。


「ひっ」


 明確に示された殺意と脅しに、男は短く悲鳴を洩らしました。


「いいか、次に俺がよしと言ったら、負け犬のように惨めったらしく逃走だ。分かったな? では——よし」


 それが合図でした。


 体が動くようになったのを本能的に理解したのか、男達は一目散に店の外へと走って行きました。その尋常ならざる必死さに、一瞬だけ店内がざわつきますが、やがてすぐに元の喧騒へと落ち着きます。


 どうやら、騒ぎにならずに済んだ様子。


 一部始終を固唾を飲んで見守っていたわたしは、ほっと胸を撫で下ろしました。


 慌てて、深々と頭を下げます。


「助けていただいて、本当にありがとうございます」


 すると男性は、途端に髪型を手櫛(てぐし)で整えながら、キメ顔のようにきりっとした表情をわたしに向けるのでした。


「いや、当然の事をしたまでだ」


 先程とのあまりの様子の違いに、わたしは首を傾げます。第一印象は、もっと冷たい印象を見受けました。おそらく、男達が言う通りにしなければ、彼は言葉の通り暴力をも辞さなかったでしょう。それ程までに、男性から発せられる物騒な気配は本物でした。


「はっ——しまった。有り金……」


 おまけに、男性がやってしまったというように呟きます。


 やはり、中々にバイオレンスな方なのは間違いないようで——しかしながら、助けていただいたのは事実ですし、何よりも、わたしにはどうしても気になる事がありました。


 そして、とある決断をします。


 人見知りスキルが適宜(てきぎ)に発動する中、わたしは勇気を出して言います。

 

「あの……もしよろしかったら、お礼に一杯、奢らせていただけませんか?」


 男性は、僅かに目を見開くと、答えるのでした。


「もちろん、喜んで」 


 えっと、やっぱり、反応がちょっと変……。


 変な人。


 それが、わたしが彼に抱いた最初の感情でした。

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