第3話 第一のフラグがやってきたようです

把握している私(アイリス)の情報をノートに書きながら、自分の中での疑問が、徐々に確信に変わりつつあった。


いまだに理解できないことが多く混乱しているが、今のところは、乙女ゲームの世界に転生してしまったという考え以外に思いつく案がなかった。


「はあー。まいったな」


ペンを動かしていた手を止め、窓の外を見る。自分が知っている前世の月よりはるかに青い月が、辺りを照らしている。

まるでアクアリウムの中にいるみたいだ。


「きれいな世界ね…」


 窓を開けると涼しい風が頬を撫でた。目を閉じてしばらく夜風に吹かれていると、少しだけ、この美しい世界に来られたことに前向きになれた。


「乙女ゲーム…ね…」


この世界が本当に乙女ゲームの世界なら、シナリオやキャラクターはおろか、ゲームの知識がほぼ皆無な私は圧倒的に不利な状況にある。まさに最悪な状況だ。


乙女ゲーム大好きな友人のしーちゃんなら、今の状況は天国だといってはしゃぎまくるのだろうが。


(こんなことならちゃんと話聞いとけばよかった。)


日ごろ友人の攻略話を話半分に聞いていたことが悔やまれる。


(何か参考になる話は…)


必死にしーちゃんとの会話を思い出してみる。


(あ、そういえば、確かキャラとのフラグが立ったとか、しーちゃんよく言ってたな。展開が進みそうな要素を「フラグ」っていうんだったっけ。)


再び机に戻り、ノートのページをめくって{フラグ1}と書いた。


(ゲームの世界なら、大きなフラグはすぐにわかるはず。今のところわかるのは…)


{フラグ1}と記したその下に、「王子との婚約」とメモする。


「しーちゃんは、確か王道の乙女ゲームなら各キャラクターにライバルキャラが配置されると言っていた…。攻略対象が王子なら元から婚約者がいることがほとんど。ということは、ライバルキャラは王子の婚約者、つまり私…」


その時ふと、前にしーちゃんの言っていた言葉を思い出した。




「ねえねえ聞いて!ついに王子様攻略成功したよ~」


「ハイハイ、よかったですねー」


「まーた興味ない。大変だったんだから!ライバルの悪役令嬢がほんとしつこくてさー。」


「あーなんか前もそんなこと言ってたね。なんだっけ、魔法が使えるんでしょ。」


「そう!これが強いんだよねー。しかも身分が高くてお金持ちだから、いろいろな生徒買収して嫌がらせしてくるの。」


「うわ、そんなお金欲しいわー。」


「もーお金には興味あるんだから!でもね、王子攻略したから、断罪イベントが見れたんだ!」


「断罪イベント…?なにそれギロチン的な?」


「発想こっわ!まあギロチンとまではいかないけどー、婚約破棄されて国外追放とか、婚約破棄されて身分はく奪とか?」


「婚約破棄は絶対条件なのね…」


「あったりまえじゃん!この世界でヒロインは絶対なんだから!」


「にしても、国外追放って。婚約破棄だけじゃダメなの?」


「まあ貴族社会だし?ライバルは嫌がらせとかしてくるからその罰じゃない?まあ、一番ひどいのは死亡エンドかなー。ゲームによってはどんなエンドでも必ず死ぬ悪役令嬢とかいるからね」




最悪死ぬ…


ゾクッと寒気が走った。急いで窓を閉め、毛布にくるまる。


(国外追放ならまだしも、殺されるなんて!しかも必ず死ぬ悪役令嬢って何よ!)


 この世界がどの乙女ゲームなのかわからない今、何としてでも死亡ルートは回避しないといけない。


そのためには、まず、王子とのフラグを折る必要がある。


(王子との婚約を今のうち破棄するのはお父様の体面的に良くない…なら、私は婚約する気がないことを相手にだけあらかじめ伝えておく?そうすれば、きっとヒロインが現れた時にもめる必要もなくなるかも…。)


「よしっ。これだ!」


アイリスには悪いけど、こっちも命がかかってるから。

あなたの思い人、フラせてもらいます!






 翌日、メイドに起こされた私は着替えを済ませ、髪をとかしてもらっていた。


昨日は王子をどうやってフろうか一晩中考えていたため、あまり眠れなかった。


(何て言えば波風立たせずに済ませられるかな…あなたのことは好きじゃありませんっていうのは直球すぎるし…。)


そう考えると、またあの会話が思い出される。


(死…)


思い出すだけでも顔から血の気が引いていく。


「いかがいたしましたか、お嬢様?」


鏡に映った真っ青な私の顔を見て、髪をとかしてくれていたメイドが声をかけてきた。


「やはりまだ、ご気分が優れないのでは…?」


「い、いいえ!大丈夫です!」


元気な声を出し、にっこりと笑ってみせる。


急に礼儀正しくなったアイリスにはもう慣れたのか、そのメイドは安心したように微笑んで、


「そうでございますか。今頃、旦那様が王都に着いたころではないでしょうか。エドワード王子との婚約もすぐでございましょう。」


と嬉しそうに言った。


(そのことが問題なのよ!)


思い切り叫びたかったが、そのことは顔に出さず、


「ええ、楽しみです。」


とだけ返した。


 婚約に対しては憂鬱な一方、王子と婚約できる身分だけあってか、身に着けるものから使用人たちの対応まで、アイリスの周りの環境はとても素晴らしいものばかりだった。


用意された洋服は、とてもかわいらしいもので肌触りも良く、着付けから髪のセットの何から何まですべて使用人にやってもらった。


(生まれた時からこんな生活をしていたら、そりゃわがままにもなるか…)


 案内されるままに廊下を歩着ながらそう考えていると、大きなテーブルのある部屋に着いた。

長いテーブルには、どれもおいしそうな料理がまるで誰かの誕生日パーティーかと思うほどたくさん並べられており、その端に、一人分の席が用意されていた。


「お嬢様、ご朝食でございます。」


「え!?こんなに?」


驚きでつい大声をだしてしまった。


いくらなんでも一人には多すぎるその量に驚いていると、


「あの、お気に召さなかったでしょうか…」


びくびくした様子で、使用人の一人が聞いてきた。


以前の私(アイリス)は相当怖がられていたらしい。

気に入らないと癇癪でも起こしていたのだろうか。


「い、いえっそんな!おいしそうです。ただ、ちょっと量が多いかな…って。」


慌てて弁解すると、その使用人はきょとんとした顔をし、


「しかし、いつものように様々な料理を取りそろえさせていただきましたが…」


と言った。


(こ、これがいつもの量…)


あまりの贅沢ぶりに気が遠くなる。


「これからは、普通の、ええと、一人分の量でお願いします。今日はこれと、これ…」


ひょいひょいっと皿にパンとおかずを取り分けて、


「あとは皆さんで召し上がられてください。」


と言うと、使用人たちにどよめきが走った。


「いえ、しかしながら…ご主人様のものをいただくなど恐れ多く…」


「あら、そのご主人様が言うのだから大丈夫よ。さあさ、みんなで食べましょう。」


そう言って、自分の斜めの席を指す。


(正直、こんな料理に囲まれながら一人で食べるなんて辛すぎる…)


これが本音だ。


「しかし…」


普段と違うアイリスの態度を疑わしく思っているのか、使用人たちはなかなか席に着こうとしない。


「お願いします。一緒に食べましょう?」


めいっぱいウルウルとした顔をし、そう頼むと、


「かしこまりました…」


と、しぶしぶ受け入れてくれた。


(やった!)


うれしくなり、そのまま遠慮がちに目配せしあいながらおずおず席に座る使用人たちにお皿を配っていく。


「い、いけません。お嬢様にそんなことをしていただくなど!」


「いいのいいの。こうやって大勢で食べる方が、料理がもっとおいしくなるもの。」


「いえ、それは私共がやりますので…」


そういって、皿をてきぱきと配っていく使用人たちを見ながら、


(さすがプロね。素早い動きだわ。)


と感心してしまった。

その間にも、着席した全員の前には食器が並べられていく。


 全員に皿が配られると、


「では、いただきましょう!」


と言って、パンにかじりついた。

焼きたてのさくっとした触感にバターの豊潤な香りが、口の中にふわっと広がる。


「んん~おいしい!こんなにおいしいパンは生まれて初めてだわ!」


 感動している主人の姿を見て、それではと使用人たちも料理を食べ始めた。


「本当!おいしい!」


「初めて食べたけど、こんなにおいしかったのか!」


そう口々に言う使用人たちの言葉に、コックがハンカチで目を抑える。


あまり賑やかとは言えないが、大勢で食べる食事はやはり楽しいものだった。




 しばらく食事を続けていると、


「お嬢様、この度はお招きいただきありがとうございます。私共、お嬢様と朝食をご一緒でき、本当にうれしく思います。」


不意に先程の使用人が話しかけてきた。


慌てて返事をしようと、ほおばっていたパンを慌てて飲み込む。


「あ、いえこちらこ、ん゛!げほっげほっ!」


と返事の途中でパンを喉をつかえてしまった。


「お嬢様!お水を!」


差し出された水と飲み、息を整える。

ふと周りを見ると、使用人たちが一斉にこっちを向いていることに気づき、かあっと頬が熱くなった。


「こ、こちらこそ…」


恥ずかしさのあまり消え入りそうな声になる。


「皆さんと食べることができて、とっても、楽しい…です。」


恥ずかしくて顔を上げることができない。昨日に続いて失態をさらしてしまった。


使用人たちのどよめきが再び聞こえた。

しかしそれは、先程の恐れのどよめきではなく、驚きと喜びのどよめきだった。


 顔を上げると、使用人たちはみな、どこか嬉しそうに微笑んでいた。


訳が分からずうろたえていると、


「奥様に似られたのですね…」


とさっきの使用人がしみじみとそういった。


「え…?」


「奥様もよく、私達を食事の席に招いてくださいました。とても楽しかった…」


そう言う使用人が指さした壁には、一人の女性の油絵が飾られていた。


 緩やかにウェーブした金髪に、快活そうな緑色の瞳をしたその女性は、優しそうな表情を浮かべてこちらに微笑みかけていた。


(アイリスのお母様…)


鏡で見た自分の顔に似たその女性を見た時、心の中にじわっと熱いものを感じた。


(ああ私、この絵を見れてうれしいんだ…)


優しく明るい雰囲気に包まれたその絵には、しばらくその絵から目が離せないほど、見たものを引き込む力があった。




「…お嬢様?」


いつまでも絵を見つめる主人に、使用人が声をかけた。


「なんでもないわ。さあ、食事を続けましょう!」


振り向いて明るく笑う少女の顔に、絵の女性が重なった。


「…!はいっ」


 部屋中に、明るい雰囲気が広がった。使用人たちはそれぞれ楽しそうに語り合い、奥様の思い出話に花を咲かせた。


 最初に席をすすめたあの使用人は、アンナという名で、もうすぐ17歳になるようだ。


(前世の私と同い年だ。)


見知らぬ世界で心細かった気持ちが、彼女と話していると少しだけ和らいだ。


アンナは、10歳のころからこの屋敷のメイドとして働いていて、3年前、アイリスが5歳の時に亡くなったアイリスの母親、マルヴァローザ・ロ・メルキュールは、身分にこだわらない、優しく明るい人で、どの使用人からも好かれていたそうだ。


「奥様は楽しいことが大好きで、よく敷地内の湖のほとりで使用人全員とピクニックをされていました。私もよくかわいがっていただきました。」


そう話すアンナからは、いかに夫人が慕われていたかが感じられた。


「旦那様も、そんな奥様の人柄にひかれて、決まっていた婚約を破棄して猛アプローチなさったのですよ。」


フフッと笑うアンナに、


(親子そろって婚約破棄とは…)


これも遺伝か、とあきれる。


しかし、自分の知らない母親の一面を知れて、とてもうれしかった。




使用人たちとの楽しい朝食をしばらく楽しんでいると、


「お嬢様。」


と、高齢の執事が入ってきた。


(あ…勝手なことして怒られるかも…。)


緊迫した面持ちで近づいてくる執事に、その場の空気が一気に緊張する。

アイリスも何事かと心配になった。


しかし、男性は持っていた手紙を差し出し、


「おめでとうございます、お嬢様。エドワード王子がお嬢様にぜひ会いたいとのことで、陛下直々に王宮にお招きになられました。」


と、笑顔で言った。


 周囲にわあっという歓声が広まる。


「おめでとうございます、お嬢様!」


「おめでとうございます」


「王様直々のお招きとあれば、婚約決定も同然ですわ!」


口々にお祝いの言葉を述べる使用人たちの言葉に、忘れていた不安が再び胸に広がる。


(しまった、忘れてた。)


王子との婚約、バッドエンドへの第一フラグだ。


しかし、婚約同然の状況なものの、まだチャンスはある。


(第一のフラグ、絶対にうまく回避して見せる…!)










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