Interlude 5 生きる意味

 おそらくはもう何事もないだろうが、用心するに越したことは無い――又三郎は宴会場を離れ、見回りのために宿の周りを歩くことにした。


 宿の周囲の路地を歩いていると、高い塀の向こう側から宴会場の賑わいの声が聞こえてくる。会場で振る舞われていた料理や酒を見ていると、空腹感を感じなくもなかったのだが、無事に宴会が終わったら、後で宿の者に頼んで簡単な夜食を出してもらうつもりだった。


 これまでのところ、怪しい人影などは見当たらない。巡回の衛士達の姿も無い。又三郎はひとつ、大きなため息をついた。


 その時、ふと周囲の音が全て鳴り止んだ。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「久しいな、大江又三郎」


 宿の周囲の路地を歩いていたところで、不意に背後から掛けられた、ある意味懐かしい声――その声を聞きたかったのかと問われれば、明確な否定をするところだったが。


 振り返ってみると、はたしてそこには宙に浮かんだ無貌むぼうの姿があった。


「そうだな……久しく姿を現して来なかったが、お前こそ息災にしていたのか?」


 俺がそう尋ねると、無貌はさも意外そうな表情を浮かべた。


「おや、今宵は問答無用で斬りかかってくることはせぬのか?」


「流石にもう、そのやり取りには飽きてきた。それに、どうせそうやすやすと斬らせてくれるお前ではないだろう」


 俺のその言葉を聞いて、無貌はくくっと喉を鳴らして笑った。


「いやはや、少しの間見ないうちに、お主も随分と丸くなったものだ。やはりこの間の娼館の娘の言葉が、よほどお主に効いているのだろうかの」


 その物言いが少々引っかかったので、俺はじろりと無貌を睨んだ。一方の無貌はというと、そんな俺の様子を意にも介さないように優雅に笑って見せた。


「それにしても、お主……ここ最近の様子を見る限り、またぞろ己の在り方に迷っているのではないか?」


「……」


「冒険者とかいう連中の末路をいくつか目にしていくうちに、この先の己の在り方に疑問を呈するようになった。おおむねそんなところか?」


 こちらの心の内を見透かしているかのように、痛いところを突いてくる。やはり俺は、こいつのことが好きにはなれそうにない。


「そうだな……今はまだ、万事屋よろずやのような稼業で日々の糊口ここうをしのいでいくことも出来る。だが、それがいつまで続けられるものかと思うと、いささか考えさせられるところがあるのも事実だ」


「おやおや、これはまた何とも素直な物言いだ。今までの、常に殺気立っていたお主の口から出た言葉とは思えんな」


 無貌はそう言って茶化すように笑ったが、俺は敢えてそれを黙殺した。


 それから少しの間、無貌は無言だったが、やがておもむろに口を開いた。


「先刻、かの娘御が言っていたように、お主はもそっと己に素直に生きてみるのが良いのではないか?」


「お前はジェニス殿のように、俺の心の内が読めるのか?」


 問い詰めると、無貌は赤い唇を歪ませて笑った。


「無論読めぬということは無いが、われは敢えて読まぬ。お主の心の内を読んでしまっては、お主の生き様を眺める楽しみが減ってしまうからな」


 人の一生を娯楽と言い切る無貌の態度に、俺は道端に唾を吐いて抗議してみせた。無貌は一瞬眉をひそめたが、やがて冷ややかな目で俺を見据えた。


「ときにお主、今の己の生に、一体どのような意味を見出しているのだ?」


「何だ、藪から棒に」


「お主は先刻、己の今の生き方が刹那的なものであるかのような物言いをしておったが……お主が生前に属していた新選組とかいう組織も、大概似たようなものだったのではないのか?」


 無貌の言葉に、俺は新選組にいた当時のことを思い返し、答えた。


「お前から見たら、あるいはそう見えるのかも知れんな……だが、俺達には己の在り方への理想があった。誠の一文字に集った同志達がいた」


「……」


「俺が死んだあとの新選組がどうなったのかまでは知らん。だが、短い期間ではあったが、時代の大きな転換期を同志達と駆け抜けたひとときには、俺なりの充実感のようなものがあった」


 ふと空を見上げた。今宵も良く晴れた月夜に、満天の星が輝いていた。


「思い返せば短い夢のようなものだったし、その割には様々な出来事があったが、少なくとも悔いはなかった。そのつもりだ」


 無貌は鮮血の色の双眸でじっと俺を見据えていたが、ややあって静かな笑みを浮かべて言った。


「新選組にいた頃には持ち合わせていたこころざしとやらが、冒険者の身にあっては持ち合わせようがない。要はそういうことか?」


「まあ、そんなところかも知れんな」


「では、今一度同じ問いを投げかけよう……今のお主の生きる意味は何だ? お主は何のために、その刀を振るう?」


 妙にその一点にこだわるものだな――俺はしばしの間考えて、答えた。


「己の居場所を失っては、元も子も無いな」


「あの教会を守る……お主の生きる意味、お主が刀を振るう理由は、やはりそれか」


 見ていて妙に気色が悪かったが、無貌は何やら満足げに笑ってみせた。


「この世界における狼は、死や恐怖の象徴のように見られているらしいが、本来狼は家族を大切にする生き物であるとも言われている……なるほど、お主には案外似合いの比喩なのかも知れんな」


「……知ったような口を利くな」


 だが、あの教会の者達と寝食を共にするようになってから、もう随分とたつ。彼等が赤の他人かと問われれば、もはやそうであるとは到底言えないだろう。


 とはいえ、俺に出来ることと言えば、せいぜいが刀を振るうぐらいのものだ。今のような万事屋稼業が務まらなくなれば、いずれは食い扶持も居場所も無くなることになるのかも知れない――。


「お主、いっそのことあの教会の娘を嫁にもらって、教会の守などしてみてはどうだ?」


 おもむろに無貌が手を叩き、突拍子もない事を言い出した。


「また突然に、訳の分からんことを……俺に神職の婿養子になれとでもいうのか?」


 そもそも俺は武家の次男坊、兄上の元での部屋住まいの身から、色々とあって新選組に身を寄せることになったが、己の妻帯などは今まで考えたことも無かった。


「大勢の人間をあやめたごうを持つお主が、神に仕えて道を説く……なかなか面白そうな見世物だと思ったのだがな」


 今に始まったことではないが、こいつの趣味の悪さは極め付けだろう。呆れて物が言えない。


 無貌の目に、冷ややかな光が宿った。


「だが、あの教会の娘とて、いつまでも今のままでいられるという訳でもなかろうて。我の見たところ、あの娘はあくまでも亡くなった父の代理を務めているに過ぎぬぞ」


「……」


「あの娘にとっても、教会の……あるいはあの娘が面倒を見ている子の先々をどうするか、いずれ決めなければならない時が来るだろう。お主があの教会を『守る』というのであれば、あながち無関係な話ではないと思うが?」


「お前、そんな話をするために、わざわざ姿を現したのか?」


 呆れた俺の問いに、無貌はにたりと笑った。


「なに、こちらの世界に来てからというもの、あちらこちらで女を泣かせているお主をからかってみるのも、また一興かと思ってな」


「そうか。さっさと帰れ、下種げす


 奴の戯言ざれごとをいちいちまともに取り合う必要はないと思ったが、ナタリー殿の立場のことだけは、若干気に掛かった――言われてみれば、ジェフ殿が亡き後のナタリー殿の身分などについて考えたことは、これまで一度も無かった。


 ジェフ殿が亡くなられてからはナタリー殿が、そのまま跡を継ぐように教会の差配さはいを取っていたが、エスターシャという女神に仕える者の戒律などについて、俺は全く知識が無い。


 いずれは新しい神職の者が、ジェフ殿の後釜としてあの教会に派遣されてくるのか――もしそうであれば、俺がいつまでも居候をしているという訳にもいくまい。


 無貌が再び、赤い唇を歪ませて笑った。


「己の居場所が存外に不安定なことに、ようやく気が付いたか……まあ、せいぜい悩むがよかろうて」


「……」


「お主の在り方は、お主が関わった全ての者達と繋がっておる。ゆめそのことを忘れるな」


 そう言い残して、無貌はいつものようにぱちん、と指を鳴らした。

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