Episode 11-9 合わせ鏡
「今回は公演期間が短かったから、ばれずに済むかと思っていたのだが」
どっかりとソファに腰かけたマイヤーが、疲れた顔で小さなため息をついた。
ジャニスの部屋には又三郎の他に、マイヤーと、二人のジャニスの姿があった。既に十一の刻(午後十時)を過ぎており、辺りはしんと静まり返っている。
「マタサブロウ、貴方、ちゃんと手は洗ってきた?」
又三郎から向かって左側のジャニスが、険しい目で又三郎を睨んだ。先程の虫を
「虫は窓の外へ捨てたし、壁も綺麗に拭いた。手も洗ってきた」
「全く、もう。確かに虫を何とかしなさいとは言ったけれども、まさか素手で叩き潰すだなんて思ってもいなかったわよ」
何やら汚らわしいものを見るような目つきで又三郎を睨む左側のジャニスを、やや引き気味の笑顔を浮かべた右側のジャニスがなだめている。
「マイヤー殿、これは一体どういうことだろうか?」
「見てのとおりだよ。彼女達は双子なんだ」
苦笑いを浮かべながら、マイヤーが又三郎に答えた。
「君から見て左側が妹のジャニス、右側が姉のジェニスだ」
又三郎はまじまじと、二人のジャニスを見比べた。背格好から顔立ち、髪や瞳の色まで全く同じで、まるで合わせ鏡を見ているかのようだ。
「だいたい貴方ね、この部屋の中のものは見ないようにって言っておいたのに、何で勝手にクローゼットの中を覗いたりしたのよ」
左側のジャニスが、まなじりを吊り上げて又三郎に喰ってかかった。
「言いつけを守らなかったことは謝罪するが、てっきりそなた一人しかおられぬと思っていた部屋の中に他の誰かの気配があれば、用心棒として確認しないわけにはいかぬだろう」
気まずそうに頭を掻いた又三郎を、右側のジェニスが擁護した。
「ジャニス、もういいでしょう。私達のことを知られてしまったのは、今更仕方が無いのですし、そもそも私が上手く隠れていられなかったことにも問題があったのですから」
「そんなこと、マタサブロウが姉さんを驚かせるような真似をしなければ良かっただけじゃない」
左右から聞こえてくる二人の声音までもが全く同じなので、又三郎は徐々に頭の中が混乱してきた。その様子を見て、マイヤーが再び苦笑した。
「ずっと一緒に仕事をしてきた私達でも、二人の区別はなかなかつかないんだよ。性格以外は、二人ともほとんどうり二つだから」
「お二人が双子だということは分かり申したが……そもそも、今回の歌の披露はジャニス殿が主役であるだろうに、何故ジェニス殿までもが一緒におられるのだろうか」
又三郎の問いに、マイヤーの目つきがやや険しくなった。
「君も分かっているだろうが、このことはくれぐれも他言無用だよ」
又三郎が無言で頷くと、マイヤーが諦めたかのような口調で続けた。
「確かに君の言う通り、公演の主役はあくまでもジャニスだ。だが、国内でも屈指の人気を誇るジャニスには、称賛ばかりが寄せられる訳では無い。誹謗中傷の類も寄せられれば、妬みや嫉みの目を向けられることだってある」
「……ジェニス殿は、ジャニス殿の影武者か?」
眉をひそめた又三郎の言葉に、マイヤーはややばつが悪そうに頷いた。
「舞台の上に立つのはジャニスだが、それ以外の場所ではジェニスが、ジャニスを演じているんだよ。ジャニスは掛け替えのないその歌声で、我々に巨万の富をもたらしてくれる。そんなジャニスの身にもし万が一のことがあったら、我々としても大いに困るからね」
その言葉を聞いた又三郎は、思わずジェニスを見た。ジェニスはやや目を伏せながら、黙ってソファに腰かけている。こうも堂々と、妹の影武者であると言われたジェニスの心情を思うと、又三郎は何ともいたたまれない気持ちになった。
「私が歌い続けていられるのは、あくまでも姉さんがいてくれるおかげよ。私達は二人で一人の歌姫なの」
きっと又三郎の視線に気が付いたのだろう。ジャニスが鋭い目つきで、又三郎に言った。ジェニスは依然として無言のまま、じっと目の前の床辺りを見つめている。
だが、双子の二人を目の当たりにして、又三郎はこれまでに感じていた微妙な違和感の正体をようやく知ることが出来た。又三郎が尋ねた。
「それで、マイヤー殿。それがしはこれから、どのようにお二人をお守りすればよろしいのか」
マイヤーは両手を広げ、肩をすくめた。
「なに、今まで通りだよ。君が二人のうちの一方と行動を共にしている間、もう一方は変装して我々スタッフの中に紛れて行動している。君はあくまでも、皆の目に留まる『ジャニス・コール』を守ってくれればいいんだ」
そう言うと、マイヤーはぱん、と一つ手を叩いた。
「二人に関する話は、もうこれぐらいで良いだろう。明日は休養日だが、まだ公演は続く。ジャニスもジェニスも、早く寝てしっかりと身体を休めなさい」
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