Episode 9-3 腕試し
何とも妙な話になったものだ――教会の裏庭に出た又三郎は、思わずため息をついて小さく被りを振った。
数歩離れた先には、何やら妙に楽しげな表情のロルフと、何とも複雑そうな表情のシャーリィが佇んでいる。その更に後ろには、静かにこちらの様子を見守るイザベラと、心配そうな表情を浮かべたナタリーが立っていた。
そこへ、ようやく洗濯物を干し終えたティナが、ひょいと顔を覗かせた。
「ちょっと、マタさん……この異様な雰囲気って、一体何?」
「よう、お嬢ちゃん。悪いがそこに立てかけてある
又三郎が答えるよりも先に、ティナの姿に気付いたロルフが快活に笑った。ティナは訳が分からないといった表情のまま、言われたとおりに二本の箒をロルフへと差し出した。
箒を受け取ったロルフは、右の腰に佩いた剣を引き抜くと手早く箒の穂先部分を斬り払って、柄だけの状態にしたうちの一本を又三郎に投げて寄越した。
「悪ぃな、姉ちゃん。後でちゃんと弁償するからよ」
唖然としているナタリーに向けて軽く片目を閉じると、ロルフは剣を鞘に納めて又三郎に向き直り、左手に箒の柄を握った。
「流石に真剣勝負って訳にはいかんだろうから、とりあえずこいつを使っての手合わせでいいだろう?」
投げ渡された箒の柄の長さや握り具合を確かめながら、又三郎が尋ねた。
「手合わせとやらの勝敗は、どう決めるのか」
「相手から寸止めで一本取ること、って辺りでどうだ?」
「心得た」
シャーリィがロルフの傍らを離れ、ティナの隣に立った。未だ事情が呑み込めていないティナが、シャーリィの側に寄って尋ねた。
「ねぇシャーリィさん、マタさん達の手合わせって、一体どういうこと?」
「そうね……これってもうほとんど、ロルフの遊びみたいなものかも」
又三郎が、霞の構えを取った。対するロルフは、無造作に箒の柄を左手で持ったままだった。
「こっちはいつでもいいぞ。そら、掛かってきな」
ロルフがそう言い放ったが、又三郎は箒の柄を構えたまま、身動きが出来なかった。隙だらけの構えのように見えて、打ち込むための隙がまるで見当たらない。
何とも嫌な雰囲気だ――胸中でそう呟いた又三郎を、ロルフの打ち込みが不意に襲った。
「そっちにその気がねぇなら、こっちから行くぜ」
瞬く間に間合いを詰められ、二度、三度とロルフが又三郎を打ち据える。その打ち込みを辛うじて防いだ又三郎は、一度間合いを取り直して、正眼に構えを変えた。
ロルフの太刀筋に剣術の
剣術というものが存在しないこちらの世界に来てからというもの、内心では剣で後れを取ることなどはないと思っていた又三郎だったが、目の前の男は予想以上に腕が立った。
一方のロルフは、怪訝そうな表情を浮かべた。
「何だよおい、以前会った時とはまるで別人だな」
今度は又三郎から攻めかかるが、そもそもロルフにはこれといった構えがないので、払い技も巻き技も出せず、打ち込みを無造作に払われるだけでなかなか攻めきれない。かといって、こちらの担ぎ技に相手が怯むという訳でもなく、ただやみくもに打ち合う回数だけが増えていく。
「剣の筋はなかなかのもんだが、威圧感がまるで感じられん。拍子抜けだな」
又三郎の打ち込みをすべて
又三郎の頬を、汗が一筋流れた。しばらくの間、次の一手の読み合いが続いた。
「えっと……アタシもマタさんが戦うところを見るのは初めてなんだけれど、あのロルフさん相手に打ち負けてないって、なかなか凄くないですか?」
二人のやり取りを、固唾を飲んで見守っていたティナが呟いた。彼女の隣にいたシャーリィは、腕組みしながら小さく苦笑した。
「ロルフの方は、明らかに手を抜いているけれどね。それにしても、マタサブロウの雰囲気が、以前に会った時とは全然違うのが気になるところかしら」
最後に会った時には、触れれば斬れそうな雰囲気がひしひしと感じられた。その雰囲気が、今の又三郎からは全く感じられない。その理由は、一体何なのか。
「んじゃまあ、次はこういうのでどうかな」
再びロルフが、又三郎へと打ちかかった。頻繁に立ち位置を変えるロルフの太刀筋が、又三郎の前後左右からひっきりなしに襲い掛かってくる。まさに疾風と呼ぶにふさわしい素早い打ち込みは、時に又三郎の背後から飛んでくることもあったが、又三郎はそのすべてを何とか防ぎ切った。
ティナが感嘆の、ナタリーが安堵のため息をそれぞれ漏らす中、ロルフがようやく楽しそうに笑った。
「へぇ……今の打ち込みを、全て防いだか」
又三郎にしてみれば、幼い頃から修練に励んだ剣術が一対多を前提としたものであったため、守りに徹することでようやく防ぎきったという感は否めなかった。軽く息が上がっているのが、その証拠だった。
気が付くと、教会の二階の窓から子供達が首を出して、二人の立ち合いをじっと見ていた。互いに打ち合っていた音を聞きつけたのだろう。皆一様に、不安げな表情を浮かべている。
「マタさん頑張れー、そんなおじさんに負けちゃやだー!」
エミリアが、大きな声で叫んだ。それに合わせて、他の子供達も口々に、又三郎を応援する声を上げた。
その様子に、ロルフは若干つんのめりそうになり、イザベラとシャーリィが小さく噴き出す。
「何なんだよ、おい……これじゃあ俺、まるで悪役じゃねぇか」
思わずぼやいたロルフに、シャーリィがにんまりと笑った。
「ねぇおじさん、もうそのぐらいでいいんじゃない?
「誰がおじさんだ、誰が!」
ロルフはまだぶつぶつと文句を言っていたが、それでも又三郎に対して、打ち込む隙は全く見せなかった。
「ったく……それじゃあ最後にもう一つ、こいつはどうかな?」
次の瞬間、ロルフは何の予備動作も無く、一瞬のうちに鋭い突きを又三郎に向けて放った。又三郎は一瞬反応が遅れたが、辛うじてその突きを擦り上げ、そのまま面打ちで応じる。
だが、その一撃はロルフの素早い体捌きで
結果、又三郎の切っ先はロルフの頸根をようやく捕らえていたが、ロルフが右手に持ち替えて振るった切っ先も同じく、又三郎の頸根を正確に捕らえていた。
「はい、それまで。とりあえず、今回は二人とも引き分けってことで」
シャーリィがそう宣言すると、その場にいた他の女達は皆、大きなため息をついた。ナタリーなどは安堵のあまりに腰でも抜かしたのか、その場にへたり込んでしまった。
「さて、これでロルフさんとマタサブロウさんのお手合わせに、一応の決着が付いたわけですが」
ずっと沈黙を守っていたイザベラが、おもむろに口を開いた。
「ロルフさん、マタサブロウさんを今回のメンバーに加えることについて、いかがなものですか?」
「そうさなぁ……まあ、今回は多少の見込み違いがあったが、これだけ剣が達者に使えるっていうんなら、特に問題はないんじゃないかね」
左の掌で顎鬚を撫でながら、からからと笑ったロルフを横目に、イザベラが今度は又三郎に向き直った。
「ではマタサブロウさん、今回の我々からの依頼について、お引き受けいただくことは可能ですか」
又三郎はやや乱れた息を整えながら、ゆっくりと言った。
「その小鬼とやらがロルフ殿ほどの強さでもなければ、まあ何とかなるとは思う」
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