Interlude 4 幸せのかたち
「悪いが今は、お前の相手をする気分じゃない」
教会への道の
いつものように、辺りに人影はなく、まるで時間が止まった世界の中にいるようだった。
無貌は少しの間、じっと俺を見ていたが、やがて静かに口を開いた。
「お主も今回ばかりは、流石に堪えたようだな……まあ、どこの世界でも遊女の身の上など、大抵は様々な事情があるものだが。お主は色々と、深入りをし過ぎた」
俺を見る無貌の目には、いつものような愉悦の光は見られなかった。珍しいこともあったものだ。
無貌がちらりと、横目で俺を見た。
「お主は実際のところ、あのウェンリィという娘のことを、どう思っておったのだ」
無貌の問い掛けに対して、俺は返答に困った。
「どう思っていたのか、と言われてもな」
彼女の置かれた境遇も、教会のナタリー殿や孤児達と同じく、決して恵まれたものだとは言えなかった。ただ懸命に、今を生きる為に生きている。そんな感じだった。
出来れば彼女にも、幸せな人生が訪れてくれればなどと思ってはいた。だが俺が誰かに手を差し伸べられる総量など、たかが知れている。目に映る全ての者を救うなどという傲慢は、口にするつもりはなかった。
「神を名乗るお前ならば、あるいは何とか出来た話ではないのか?」
俺の問いに、無貌は被りを振った。
「いくら
「そうか」
「だが、我は『無貌』だ。前にも言ったように、我には『定まった姿』も『定まった名前』もない」
そういうと無貌は、微かな笑みを浮かべた。それはいつになく、穏やかなものだった。
「あの娘を救うことは出来ぬが、あるいはお主の魂ぐらいであれば」
「……何?」
「我が持つ力の片鱗、
そう言った無貌は、右手の人差し指を天に向かって指した。
次の瞬間、無貌の身体が眩い光に包まれ――その光が消えた後には、つい先日まで見慣れていた姿がそこにあった。
「……ウェンリィ殿、か?」
何とも信じがたい光景だった。再び会えるとは、夢にも思っていなかった。
俺の目の前に現れた彼女はおぼろげな姿で、ばつが悪そうに笑った。
「ごめんね、マタさん。私、死んじゃったのよね」
「……」
「あの日の夜は、本当にごめんなさい。たぶん私、マタさんをとっても困らせちゃったと思う」
そう言ってうつむいた彼女に、俺は被りを振った。
「それがしの方こそ、そなたを傷つけてしまった」
「ううん、それは違うのよ、マタさん」
彼女が、いつもの優しい笑顔を浮かべて言った。
「今まで生きてきて色々と大変なことだってあったけれど、最後にマタさんと出会えて私、本当に良かった。マタさんからはいろんな思い出を貰えて、とても嬉しかった」
あんなささやかなことだけで、彼女はそこまで喜んでくれていたのか――己の不覚を感じながらも、視界がほんの少しだけ
「私の心残りは、あと一つだけ」
彼女が両手を広げ、俺の身体をそっと包んだ。そして、俺の耳元で彼女が
「マタさん、どうか幸せになってね。だってマタさんには、ちゃんと帰れる場所があるんだもの……きっと幸せになれるはずよ」
俺はともすれば震えそうになる声を押し殺しながら、尋ねた。
「そなたの幸せは、どうなる?」
「マタさんの幸せが、私の幸せ。人を好きになるって、要はそういうことなのよ」
そう言ってくすっと笑った彼女の姿が、徐々に薄れていく。
「だからお願い、この間も言ったことだけれども……今すぐでなくていいから、貴方にとって大事な人を、どうか好きになってあげてね」
そう言い残した彼女の姿は、最後に金色のまばゆい
思わず拳を握りしめた。爪が
「我が無貌を名乗る
俺の背後から、無貌の声が聞こえた。静かな抑揚のない声だった。
「お前が俺に見せた、ただの幻だったということはないのか?」
俺は背を向けたまま、無貌に尋ねた。
おそらくは鼻白んだのだろう、無貌が不機嫌そうに鼻を鳴らすのが聞こえた。
「流石に我とて、このような場面でお主を弄ぶつもりはない」
「……」
「あの娘の魂を、我が身を通じて呼び寄せて、お主と最後の話をさせただけだ。あの娘の願い、せいぜい聞き届けてやるが良かろう」
「俺の時のように、ウェンリィ殿を蘇らせることは出来ないのか」
俺はそう尋ねずにはいられなかった。だが、無貌の返事は素っ気ないものだった。
「出来るはずもなかろう。そう
「そうか」
「だが、我にも一つ、未だ理解できぬことがある……お主は何故に、あの娘の死をそこまで悲しむ? あの娘のこと、実は憎からず思っておったからではないのか?」
意味ありげに笑った無貌の問いに、俺は答えた。
「お前がいつか、俺に言った事だったな……俺の本質は人斬りだ、と」
「それが、どうした?」
怪訝そうな、無貌の声。俺は言葉を続けた。
「誰かの幸せを願うことは出来る。誰かの死を
「だから人を好くこともなく、守るものも持たない。己の道は剣の道、そう言いたいわけか?」
無貌が吐き捨てるように言った。
「
思ってもみなかった無貌の言葉に、
「お主も随分と、へそ曲がりをこじらせておるな。もう少し素直に生きてみても良さそうなものだが」
「黙れ」
「お主のその在り方は、我に言わせればただの
怯懦と言われるのは、我慢がならなかった。反射的に鯉口を切り、背後の無貌に向けて刀を抜き撃った。
だが、やはりいつものごとく、手ごたえは無かった。
「都合が悪くなると、刀を振るって誤魔化すか。まるで子供だな」
荒い息を吐く俺を、無貌が嘲笑した。
「もう一度だけ言おう……お主にあの娘の死を悼む気持ちがあるならば、あの娘の最後の願い、聞き届けてやるが良かろう」
そう言うと、無貌はいつものように指を鳴らした。
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