Episode 4-8 凶刃

 シンシアの付き添いが、十回目になっていたある日のこと。


 又三郎は屋敷の門の前を行ったり来たりしながら、シンシアが出てくるのを待っていた。習い事が終わる予定の時刻から、既に四半刻(三十分)程が過ぎている。


 この屋敷に通い出してから、最初の数回は予定の時刻通りに屋敷から出てきたシンシアだったが、ここ最近は予定の時刻よりも遅れて屋敷から出てくることが多い。


 これまでのところ、これといって怪しい者と出くわすようなことはなかった。これだけ長い間、何事もなかったということは、シンシアの後をつけている者がいるという女中の話は、単なる思い違いだったのではないだろうかとも思う。


 短時間で楽に金を稼げる今の仕事に多少の未練はあったが、いつまでもシンシアのお守りを続けるという訳にもいかないだろう――シンシアを自宅へと送り届けたら、一度ウィリアムと話をしてみるべきかと、又三郎は思った。


 それからしばらくして、ようやくシンシアが屋敷から出てきた。


「待たせてごめんなさいね、マタさん。ちょっと手間取っちゃって」


 シンシアが、小さく舌を出して笑った。最初の頃に比べると随分と又三郎に馴染んだようで、最近では歳相応の娘らしい仕草をしてみせることが多い。


「まあ、待つのも仕事だから、それは構わないが」


 そう言いかけて又三郎は、ふと思った。屋敷に来るまでの道中よりも、シンシアの笑顔がより一層輝いて見える。


 これまでにも何度か、そう思ったことがあった。最初は再び通い始めた習い事が楽しくて仕方が無いのだろうと思っていたが、最近ではシンシアの雰囲気そのものが、随分活き活きとしているように感じられる。


「マタさん。私の顔に、何かついています?」


 シンシアがそう言って、顔を赤らめた。


 又三郎はいや、と一言答え、シンシアを促して共に歩き出した。真夏の夕刻で辺りはまだ明るいとはいえ、帰りが遅くなると、またぞろウィリアムが心配することだろう。


 住宅街の一画を抜けて大通りまで出るには、まだ少し距離があった。又三郎はその時、自分達の背後から同じ方向へと歩いてくる何者かの気配に気が付いた。殺気というには程遠かったが、決して良い気配ではない。


 ふと立ち止まり、又三郎は振り向いた。シンシアの姿は、すぐさま己の背に隠した。


「失礼だが、我々に何か用かな?」


 そこには、目を除いた頭全体を布で覆い、片手剣を手にした二人の男が立っていた。どうやらくだんの女中が言っていたことは正しかったらしい。シンシアが小さな悲鳴を上げた。


 男達は無言のまま、じりじりと二手に分かれて又三郎達を囲んだ。


「シンシア殿、そこの建物を背にして、絶対にその場から動かないように」


 又三郎はそういうと、シンシアを背に守りながら男達との間合いを測った。それぞれ、やや遠い間合いだ。鯉口を切り、すらりと刀を抜いた。


「お主ら、何の理由があって我らに剣を向けるのか?」


 刀を正眼せいがんに構えた又三郎が、静かに言った。男達は剣を構えてはいるものの、ちらちらとお互いに目を向け合っている。二手から囲まれても全く動じない又三郎の様子に、何やらためらっているようだ。


 又三郎の方から、先に動いた。向かって左側に立っている男に走り寄り、驚く相手の小手を峰撃ちでしたたかに叩く。くぐもった苦痛の叫びと共に、男の手から剣が落ちた。相手が右手首を押さえて前のめりになったところで、そのこめかみを刀の柄尻つかじりで短く鋭く打ち据えると、男はその場に昏倒した。


 又三郎はすぐさまもう一人の男に向き直り、素早く間合いを詰めた。相手の右肩を打ち据えようと刀を振りかぶったところで、相手の男が剣を捨て、両手を上げて叫んだ。


「待った! 参った、降参だ!」


 相方をいともあっさりと打ち倒されて、瞬く間に戦意を喪失したのだろうか。こちらを見る男の目が、明らかに動揺している。


 余りにもあっけない幕切れに、又三郎は何やら肩透かしを喰わされた気分になった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る