第11話 同僚の結婚式と槍の又左
季節は初春、永禄四年。
領地開発、家臣の登用と教育、常設軍の増強と訓練、沈没船の積み荷の引き揚げ、各種商売や銅銭の交換などで光輝達は忙しい日々を送っていた。
開墾した新田の塩分の抜くために植えた脱塩大麦もよく育ち、初夏に刈り取ってから、集めた農民達に土地を分け与えて稲作を始める予定であった。
定期的に清州にある商家において茶会も行われ、一益と藤吉郎、小一郎も茶道に慣れてきたようだ。
「新地殿、実は相談がありまして……」
そんな中で、光輝は藤吉郎からある相談を受ける。
「婚姻の宴への参加ですよね? 今日子と伺いますとも」
「楽しみねぇ」
藤吉郎が浅野長勝の養女で杉原定利の娘ねねと結婚するので、その祝いの席への参加を頼まれたのだ。
今日子は、夫婦でそういう祝いの席に出席した経験がないので、とても楽しみにしている。
お祝いに何を贈ろうとかと、時間が空けば懸命に選んでいる最中だ。
「ご夫婦で出席いただけるとかで大感謝なのですが、実はある人物を臨時で雇っていただきたいのです……」
「ある人物ですか?」
「はい、後日紹介させていただきます」
藤吉郎からそんなお願いを受けた後日、彼とねねとの婚姻の宴が開かれた。
二人はまだ身分も高くないのであまり格式ばったものではなく、光輝と今日子も気楽に参加できていい祝いの席であった。
「新地殿、本日はありがとうございました」
「妻のねねと申します。高価なお祝いをありがとうございます」
ねねは、光輝と今日子にお祝いのお礼を述べた。
二人は何を贈ろうかと散々に迷い、ご祝儀に金子を、あとはそれほど高くない天目茶碗と茶道具一式、他にも夫婦で使う生活道具なども贈っている。
「滝川様にも、わざわざお越しいただいて」
「何、私と藤吉郎は今日子殿の弟子同士だからな。気にしないでくれ」
一益も藤吉郎と一緒にお茶を習っている縁で、夫婦で式に参加していた。
「藤吉郎、又左の事を頼むのか?」
「はい、さすがにもうそろそろ殿もお許しになると思うのですが……」
一益が言う又左とは、前田又左衞門利家の事である。
信長の小姓から赤母衣衆筆頭にまで出世したが、桶狭間の前年に信長の異母弟で同朋衆の拾阿弥と諍いを起こし、拾阿弥を斬殺したまま出奔してしまう。
利家は浪人暮らしを余儀なくされるが、密かに桶狭間の戦いに参加して兜首を三つ、先日の織田信清討伐でも多くの戦功を挙げている。
「私もそう思うがなぁ……こればかりは殿が決める事で」
「まつ殿と生まれたばかりの娘がいるので、新地殿に何とかしてもらえないかと……」
藤吉郎と前田利家は、とても仲がいいようだ。
浪人中で生活が苦しい友人を救おうと、光輝に頭を下げたのだから。
「別にかまいませんよ」
「本当ですか! いやあ、ありがたい」
「それで、その又左殿は何か得意な事とかは?」
「槍の名手で、『槍の又左』などと殿からは呼ばれておりますな」
「それなら、臨時でうちの家臣達に槍を教える仕事というのはどうでしょうか?」
そんなやり取りがあり、光輝は新地に利家とその妻まつ、娘の幸姫を呼び寄せた。
「暫くお世話になります。この御恩は忘れません」
浪人する前は傾き者として有名で、血の気も多いという評判だったが、苦労したせいか光輝が感じる利家像は律儀な青年という感じであった。
「うちの家臣達に槍を教えていただきたい」
「承知しました」
こうして、前田利家は新地家の臨時槍術指南役に任命された。
仕事は、家臣や警備隊の面々に槍を教える事。
報酬は日当制で、それが終わると警備隊の訓練にも参加していた。
「次! 射撃訓練!」
「茂助殿、私も参加して問題ないのでしょうか?」
利家は、槍術の指南が終わると警備隊の訓練に参加できるのを喜んだ。
訓練は今日子がマニュアルを作成したとても効率的なもので、とても勉強になったからだ。
ただ、さすがに種子島の射撃訓練に出るのは悪いと思って、警備隊の隊長を務める茂助に聞いてみる。
「殿からは、本人が希望すればご自由にと言われています」
「種子島は貸与だとしても、弾と火薬は高いと聞くが……」
そんな高価な物を、新地家の正式な家臣でもない自分が使ってもいいのかと、利家は悩んでしまったのだ。
「殿が構わないと仰るのですから、お気にせずに参加していただきたい」
「それはありがたい。では、遠慮なく」
利家は、高価な火薬を大量に使って射撃訓練をおこなう新地軍に驚愕した。
まさか、一日に数百発も種子島が撃てるとは思わなかったからだ。
そしてそんな濃密な訓練を続けた結果、新地家鉄砲隊の腕前は劇的に上がっていて、これも利家を驚かせた。
気がつけば、そう日数も経っていないのに自分の腕前も上がっている。
鉄砲は信長が積極的に購入していたが、実際に撃つ機会など実はそうなかったからだ。
「まあ、これだけ訓練すれば当たり前だよな」
鉄砲隊の整備が進まず、その練度がなかなか上がらない理由の一つに、火薬が高すぎてなかなか射撃訓練ができないからというのがあった。
弾込めと照準合わせまでは訓練できても、あとは火縄に火をつけずに引き金を引いて終わりというところが多いからだ。
それなのに、新地家では毎回射撃訓練をして実際に的を狙う。
轟音が常に響くなかで馬を傍に置いているので、大きな音が苦手なはずの馬も次第に慣れてきたようだ。
馬は臆病な生き物なので、鉄砲に驚かない馬を数十頭も所持している新地家は凄いと利家は思う。
「鉄砲の射撃音に慣れた馬は貴重なので、もっと大量に購入していますが」
新地家は、金にものを言わせて馬も大量購入していた。
『でも、小さくないか?』
『この時代の日本の馬は、こんなものみたいだよ』
もっとも、購入させた光輝と清輝は日本の馬の小ささに驚いていたが。
「隣に強敵がいるからか……」
新地の西、津島の南市江島の鯏浦を拠点にする服部左京進が信長に抵抗している。
今は信長との全面抗争を恐れて静かにしているが、短期間で急に開発された新地が気になるようで、小舟を使って夜間に間諜を絶えず送り込んでくる。
利家も、夜に警備隊が数名の間諜を捕え、殺す様を目撃していた。
「これからはわからないな……」
新地の開発に目途がついたので、新地家は北部にある蟹江城の攻略を狙う。
かの地を治める服部左京進が現在蟹江城を再構築中で、もう少しで完成の予定であった。
その隙を狙って攻め落とす計画だと、利家は光輝から聞いている。
「戦になるとなれば、殿のためにも私も出陣するべきか……」
利家は、またもうすぐ戦になると心の中で予感するのであった。
「新地軍! 出陣!」
もうすぐ裏作の麦の刈り入れという時に、光輝は軍勢を動かした。
その数は五百人。
数は少ないがすべて常備兵で、短期間ながらも厳しい訓練を重ねた精鋭であった。
彼らは、無駄口一つ利かないで蟹江城までの道を進む。
「戦争になるだか?」
通り道にある服部左京進が支配する村の住民達は、戦の被害を恐れて戦々恐々とする。
下手をすると、この軍勢に村を荒らされると思っているからだ。
ところが、彼らの予想を覆す出来事が起こる。
「余っている米や麦があれば、相場の倍で買おう。味噌も買うぞ」
「相場の倍ですか?」
「そうだ、銭なら沢山あるぞ」
光輝が大量の銭束を、それもすべて永楽通宝を見せると、農民達はこぞって余っている食料を売ってくれた。
「我らの兵糧なのだが、運ぶ者が欲しいな」
「軍役でしょうか?」
村長は、恐る恐る光輝に聞く。
これから収穫で忙しいのに、軍役で働き手を奪われてしまうと思ったからだ。
「日当と飯は出すから、何名か融通してくれないか?」
「すぐに人を出します!」
一つの村につき数名の若者が、荷駄車と共に現れて新地軍が購入した食料を運び始める。
軍役は嫌だが、報酬をもらえる労働なら喜んで参加するというわけだ。
「蟹江城を取って服部左京進を追い出し、日光川以東の地をことごとく尾張の守護である織田上総介様のものとする予定だ。上手くいけば、今年の年貢は半分にする布告を出そう」
「本当にございますか?」
「ああ、この地を預かる予定の新地光輝が保証する」
「新地様? あのお金持ちのですか?」
新地家は何もない湿地帯を短期間で開発し、これだけの鉄砲を持った軍勢を整えた。
情報伝達速度が遅い農民でも、服部左京進とどちらに付くのが得か瞬時に理解できた。
「あと、この地を押さえた後に日光川の治水工事をおこなう予定だ」
「賦役でしょうか?」
その年の税が半分でも、賦役が多ければ意味がないと村長は表情を曇らせる。
「いや、飯と日当を出すから、空いている者は是非参加してくれよ。農閑期には沢山人が集まる事を期待する。それとな、この布告をなるべく多くの者に伝えて欲しいのだ」
人手がほしいので、他の村にも伝えておいてくれと光輝は村長に頼んだ。
「畏まりました」
この瞬間から、蟹江付近の住民で服部左京進を支持する者はほぼ皆無となった。
「殿、蟹江城は再構築の最中ですな」
行軍を続けて蟹江城に到着すると、拡張工事や増築が行われていた。
ここを拠点に、信長が支配する津島を圧迫するのであろう。
密かに斎藤義龍と組んでこの策を実行しているようであったが、連れている兵力は少ないようだ。
服部軍は二百名くらいだという報告で、残りは賦役に駆り出された近隣の農民達であった。
「上手く、服部左京進の手勢だけ追い出さねばな」
「殿、どうやってですか?」
「それはな……」
光輝が、茂助に作戦の概要を説明する。
茂助が光輝の指示通りに五百名の軍勢を前に出し、食料を運んでいる荷駄隊はかなり後方で待機させた。
「敵だ! 織田方の軍勢だぞ!」
当然、その姿は蟹江城にいた服部軍には筒抜けになっていて、彼らは慌てて主君の元へと駆け込んだ。
「軍勢だと? どこの連中だ?」
「方向から考えますに、新地家のものかと」
「あの連中か!」
いきなり湿地帯に姿を見せて拠点と領地を作ったと思ったら、こちらが送り込んだ間諜を何十名も殺してくれた。
服部左京進からすると、光輝は討つに値する敵であった。
「打って出るぞ!」
「数が違いすぎますぞ」
「同じか、こちらの方が多いではないか」
「我ら以外は賦役で来ている者達なので、戦力にならぬかと……」
家臣の一人が、服部左京進に自分の見解を述べる。
「ならば、城に籠れば勝てるであろうが!」
城の工事終了間近であり、篭城策を取ればそう簡単には負けないはずだ。
服部左京進はそう判断するが、次の瞬間、突然轟音が鳴り響く。
「種子島か!」
一度に五百丁の鉄砲の発射音を聞き、賦役に参加していた者達が恐怖で我先にと逃げ始める。
光輝の命令ですべて空砲であったが、一度にこれだけ大量の鉄砲の発射音を聞いた事がなかった農民達には絶大な効果があった。
「バカ者! 逃げるな!」
服部左京進は懸命に逃げる農民達を押しとどめようとするが、誰一人成功せずに彼の家臣達だけが残ってしまう。
「百七十四名対五百ほどか……」
加えて、敵軍が持つ鉄砲の数である。
決して無能ではない服部左京進は、瞬時に勝てないと判断して即座に蟹江城を捨てて撤退に入る。
「殿、追撃をしましょう!」
「一豊、注意事項を忘れるな」
「はい、服部左京進『だけ』は決して討つなですね?」
「ああ、他は一人残らず討って構わない」
逃げる服部軍は新地軍の執拗な追撃を受け、服部左京進が日光川を褌一丁で泳ぎ逃げるまでに百五十七名もの兵を失ってしまう。
そして、その百五十七名は現在は麦刈りの最中なので、全員服部一族とその郎党達ばかりであった。
「このままでは、市江島まで失ってしまうではないか……」
多くの家臣と郎党を失った服部左京進は、以降市江島の守りを固めて打って出る事はなくなった。
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