第38話ボルストン城

 北の大国ボルストン。


 この大陸における四大国の一つである。


 ボルストン王国は、サルサーレ領を含む七つの広大な領地を治めるが、その土地の殆どは山脈であり、一年の半分が雪に覆われ、決して恵まれた土地、環境ではない。


 それでも、この国を大国たらしめるものは、ひとえに魔法による発展であろう。


 魔法を司り国家を支える魔法省。

 魔法の深淵を追究する魔法研究院。

 賢者や聖女を多数輩出する魔法学院。

 国民の生活を豊かにする様々な魔具を開発、製造する魔導工房。


 魔法によりこの国は他国を圧倒してきた実績がある。


 そして今、首都ボルストンの城には、先日誕生したばかりの導きの巫女エナの予言により、待望の勇者を召喚する事に成功していた。



 ——ボルストン城・謁見の間



「よく来てくれた勇者カインよ!

 やはり我が北の国に生を受けておったか!

 お告げ通りだ」


 国と同じ名の王ボルストン七世が、謁見の間に通された勇者と呼ばれた青年に呼び掛ける。

 勇者の登場に満面の笑みを浮かべ、嬉しさが声にも表れている。


 青年はその凛々しい顔を上げ、王にうやうやしく挨拶をする。

 剣と盾、鎧には土が付着し、横に置いた大きい背鞄からは何とも言えぬ異臭が漂う。

 ツンツンに立った短い金髪や日に焼けた顔は土埃で汚れ、未だ冒険の途中で立ち寄ったといった風貌だ。


 その汚さ、不潔さを見て、大臣達はヒソヒソと批判や非難の陰口を叩いている。


 自信に満ち溢れた表情をしている金髪の青年は、謁見の間にいる面々をぐるりと睨むように見回すと、王に向かい声を張り上げる。


「今!

 南の大国では既に魔族に占領された領地があると言う!

 東の帝国はそれを好機とし、その南を攻めようと戦争の準備をしている噂もある!

 私が仲間を置いてわざわざ召喚に応じたのは、帰郷などと言う呑気な理由ではなく、王に直にこの北の国はどうするつもりなのか問う為!」


 勇者の言葉に神官や大臣達がざわつきだす。


 胸に届く程の立派な黒髭をさすりながら、深い皺があってもなお鋭い眼光を放つボルストン王は悠揚迫らぬ態度で勇者を見据える。


「ほう、既にそこまでの情報を掴み、動いておったとは……

 問いに答えよう。

 まず、国家の防衛が第一は、必然である!

 国無くして民は守れぬからな。

 我が国が現段階で出来る事は、東の帝国に対する警戒と警告、其方の仲間になるべき伝説の英雄達の捜索、魔法省の惜しみない協力だ。

 無論、神託の導きに従うのみだが」


 勇者カインは得心いった様子で頭を垂れた。


「ありがとうございます。

 人同士の争い、国同士の問題は王にお任せするしかありません。

 私は早急に仲間を集め、魔族を倒せるだけの力を身に付けたいと思います。

 では、旅立つ前に、ここに二人会いたい者がいるので、会わせて貰えますか?」


「あいわかった。

 来たばかりというのにもう旅立つと申すか?

 其方が会いたいと申す者は、すでに城の礼拝所で待たせてある。

 会っていくがいい」


 勇者は一礼すると、颯爽にその場を後にした。

 男ですら見惚れるその立ち振る舞いは、人類の命運を背負う重責で研磨されたものだろう。


 勇者が歩いた深紅の長絨毯は土の足跡がくっきりと残っていた……



 ——————


 その昔。


 赤子だったカインは、デカス山の麓でスーレ村の若い夫婦に拾われる。

 冬の最中、捨てられた赤子が無事な事に不思議だとは思いつつも、子供がいなかった夫婦はその子を大事に育てた。

 いつしか、村長となった夫婦に待望の娘エナが生まれる。


 三つしか年の差のない二人はとても仲が良く、何をするにも一緒だった。

 二人はお互いがとても大好きだった。


 とある日、飼っていた犬が行方不明になり、二人は雪に残った足跡を辿ってデカス山に向かう。

 カインが十三歳、エナが十歳の時である。


 足跡は血の跡となり、犬は既に狼に襲われ殺されていた。

 沢山の狼に囲まれ、必死にエナを守るカイン。

 しかし、ボス狼は手強く、カインは次第に傷付き動けなくなっていく。


 気絶するカインに覆い被さり泣き叫ぶエナ。


 その頭上に光が注ぐと、たちまち狼はいなくなった。

 フードを被った何者かが、エナの顔を覗き込み話し掛ける。

 とてもとても優しい目。

 背中から差し込む光は翼の様に広がっていた。


「もう、大丈夫。

 この子はね、勇者になるの。

 強くする為に、カインは私が預かるね。

 もし、エナが巫女になったらカインを呼んであげて。

 それまでエナを守れるくらい強くしておくから」


 エナは最初は戸惑ったが、あまりに優しい目を見ていると全てを受け入れる事ができた。


 次に目を覚ました時は、いつもの自分の布団の中。

 両親に、カインはどうしたの?と問われると、エナは、カインは勇者になるの、エナが巫女になって迎えにいくの、とずっとうわごとのように言っていた。


 夫婦はエナを送り届けた人物を思い出し、エナの言う事を全て信じ、そして、それら一切口外しない事をエナに約束させた。




 ——ボルストン城・礼拝所



 エナと別れてから五年の月日が経ち、カインは礼拝所の扉を開ける。

 期待に胸を膨らませて。


 礼拝所にいた二人の人物が立ち上がる。

 前にはボルストンの英雄にして稀代の賢者リンツォイ。

 まだ九歳でありながら類い稀なる魔力と知識によって当国最年少で賢者となった魔法研究院院長である。


 そしてその奥には、五年前に別れたきりのエナが!


「ああ、エナ!

 大きくなったな……」


 大賢者への挨拶を忘れる程、脇目も振らずにエナの前へと駆け出すカイン。


「カイン、久しぶり……」


 昔と変わらぬエナの優しい目と声は、スーレ村を、故郷を、カインに一瞬で想起させた。

 胸の中に優しい風が吹き抜ける。

 ああ、何もかもが懐かしい。


「あれから五年か……

 親父さん達は元気かい?」


「ええ、元気よ……」


 エナからそこはかとなく物悲しさを感じる。

 カインは目頭が熱くなっていた所為もあり、その違和感に気付くのが遅れてしまう。


 違和感……?


 いや、エナは巫女になって俺を呼んでくれた。


 会いたかった気持ちは俺と変わりない筈だ。


 将来を誓いあった仲だ、と。


 カインは綺麗でサラサラな金の髪を撫でる。

 きめ細かい指通りは少女時代のエナを思い出す。


 違和感は気のせいだ。


 勇者らしく勇気を出して、両手を広げ、更に一歩エナに近付く。


「会いたかった、エナ」


 ギュッと抱き締め、エナを全身で感じたい。

 手を回そうとしたその刹那、カインの胸を軽く、本当に軽く、エナの手がそっと押した。


 その僅かな仕草でも、カインの胸を深くえぐるには十分過ぎる程だった。


 感じた事の無い斥力。


「え、ど、どうしたんだい?エナ」


 引きつった笑顔でエナに問う。

 気が付けば肩を強く掴んでいた。

 エナの顔が歪む。

 それは痛みのせいか、それとも……


「カインさん、落ちついて」


 賢者の金属製の錫杖がカインとエナの間に割って入る。


「あ、俺の身体が土埃で汚れてるからか!

 そっか、汚いよな!ごめんな!」


 カインが鎧を必死に拭い、顔をゴシゴシと擦る。


「カイン、ごめんなさい。

 私はもうあの時の、貴方の知ってるエナじゃないの」


 賢者の錫杖を片手で制し、核心を問う。


「そんな……まさか……他に好きな人が……いる、のか?」


 正直にコクリと頷くエナ。

 カインは知っている、エナが嘘をつけるような娘じゃない事を。

 聞きたくなかった事実に打ちのめされるカイン。

 頭が混乱して、身体が宙に浮いてるみたいだ。

 足を踏ん張ろうにも、膝が、いや全身が震える。


「でも、エナは巫女になって俺を呼んでくれた……」


「それは、頼まれたから……」


「カインさん、もう止めましょう。

 彼女が困っています。

 その……五年という月日は人の気持ちが変わるには十分です」


「九歳の子供に何が分かる!」


 エナがビクリと震え、リンツォイは目を瞑る。


「すまない。失言だった。

 許して欲しい。

 ……いやしかし、エナに一体何が?

 もしや、……悪魔の術か何か?」


 尚、釈然としない勇者。

 呆れ果てる賢者。


「私は早く貴方とこれからについて話がしたいというのに。

 えらく直情的なんですね、当代の勇者は。

 ふぅ、いいでしょう。

 エナさん、もし貴女が許すならば術が掛かっていないかを、私の魔眼で鑑定してもいいですか?」


「……はい、構いません」


 賢者リンツォイは魔法の目でもって、エナを観察する。


「ふむ……最近までは何も無い……が」


「が?」


 勇者は結果が気になって落ち着かない。


「む、数日以内に、魔法を掛けられた痕跡がある!」


「何!どんな魔法なんだ!?」


 賢者に詰め寄るカイン。

 リンツォイは魔力を目に集中させ深く読み解いていく。

 礼拝所が暫し静寂に包まれる。

 そして、賢者の鑑定が終了した。


「うーん、回復魔法……だけか。

 特に悪い魔法や術が掛けられた形跡はありませんね。

 何かを感じる気がするのだけど……何もない」


 露骨に肩を落とすカインに、賢者は溜息をついて言葉を続ける。


「さぁ、もう良いですかカインさん。

 次は私の番ですよ」


 カインは頭をガシガシと搔きむしり、大きく深呼吸をする。


「わかった。

 色々すまない、賢者よ。

 エナ、また今度ゆっくり話そう」


「カイン…………」


 賢者は勇者の腕を引き、エナから遠ざけるように礼拝所から出ていった。


 椅子にへたりと座り込むエナ。

 頭の中が、幼い頃一緒に過ごしたカインとの思い出でいっぱいに満たされ、胸にズキリと痛みが走った。

 エナは自ら初恋に終わりをつげたのだ。


 悲しくなったが不思議と涙は出なかった。

 そんな自分に戸惑いを覚えた。


 そして、あの人に無性に会いたくなった。


 次はいつ会えるのだろう?

 寄り添いたい。

 あの人を癒してあげたい。

 好きの感情がどんどん膨らんでいく。


 エナは耳の魔石ピアスにそっと触れる。



 …………ああ、テツオ様。

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