39話 信頼を積み上げましょう


 スライムの養殖と並行して、私はいくつかの活動を行っている。

 その一つを行うため、公爵邸の離れに設けられた一室に、私はマスクを装着し座っていた。

 公爵家の女中頭・ヴァイダさんを部屋に出迎え、彼女の話を聞いていく。


「—――――わかりました。では引き続き、薬を一日二回、朝と夜の食事の後に飲んでおいてください」


 魔術で作った痛み止めを、ヴァイダさんへ手渡す。

 ヴァイダさんは現在四十代で、関節痛に悩まされていたのだ。


「えぇ、ありがとうございます。お嬢様のお薬のおかげで、足腰もずいぶんと楽になってきました。まるで十歳以上、若返った気分ですよ」


 膝を叩き笑いながら、ヴァイダさんが薬を受け取った。

 彼女に薬を飲んでもらって三か月ほど。

 痛みはゼロとはいかないまでも、だいぶ和らいでいるようだった。


「経過順調、っと。……今日の患者は、ヴァイダさんで最後だったかしら?」

「はい。本日もお疲れさまでした」


 リオンが紙カルテを整理しながら答えた。

 私が行う診察を、リオンは横で記録してくれている。

 他にも、処置に必要な道具を素早く渡してくれたりして、とても助かっているのだ。


「今日は22人だったかしら? 最近はだいぶ、患者が増えてきたわね」


 私はここのところ週に2回、外来診療……のようなものを行っていた。


 私は自分の魔術の特性を、「薬が作れ、薬の使い方がわかるもの」と公にしている。

 加えて公爵令嬢と言う肩書もあり、12歳の私の診察でも、それなりに信用されているようだ。

 

「イリス様の薬は、とても好評ですからね。近頃は遠方からも、噂を聞き付けた人がやってきています」

「ありがたいことね」


 外来診療はまず、屋敷の使用人に対して行っていた。

 福利厚生の一環ということで、値段は無料に設定してある。

 前世の知識を思い出し診察を行い、症状に応じて薬を飲んでもらったのだ。

 

 最初は半信半疑だった使用人たちも、薬の効果を実感してからは、進んで診療を受けるようになっている。

 今では持病を持つ使用人のほとんどが、定期的に診療に来てくれているのだ。


 使用人たちの次は、その家族や知り合いが診察室を訪れることになった。

 そちらからは代金をもらっているけど、平民でも十分払える金額にしてある。

 目的は金銭ではなく、私の作った薬の信頼を積むためだった。


 私は今12歳だ。

 ゲーム通りならあと1年半ほどで、ペストの流行がやってくるはず。

 やるべきことは山積みだった。


「……そうだ、リオン。マスクとビニール手袋の補充はしてある?」

「完了しておりますが……」


 マスクをしたリオンはどこか歯切れ悪かった。


「リオン、どうしたの?」

「このマスク、僕や使用人まで使うのはもったいない気がします」


 もったいない。

 リオンがそう言い出すのも自然だった。


 ビニール手袋、そしてマスクのゴム紐部分は、スライムから作られたものだ。

 コスト削減に勤めてるけど、前世で大量生産されていたものには遠く及んでいない。

 そんなマスクとビニール手袋を、診察を手伝ってくれるリオンや使用人たちに毎回使わせているのだ。

 

「確かに安いものではないけど、病気を広げないためには重要よ。それに普段の診察から使って慣れておかないと、いざという時に使えないと思うし」


 いざという時――――ペストなど感染症の流行が起こった時。

 その時になって初めて、マスクや手袋、防護服を手渡され使用しろと言われても、戸惑う人がほとんどだと思う。

 感染リスクが低い今の内から使用し、慣れていってほしかった。


 ペストの原因、ペスト菌を侵入させず、全て予防し発症させない。

 それが理想だけど、公爵領にペスト菌が入り込んできたらビニール手袋や、魔術で作った抗生物質の出番だ。


 ペスト患者に私の薬を飲んでもらうには、実績と信用が必要になってくる。

 そのための外来診療であり、他にもいくつか、衛生環境向上のための活動を続けているところだ。 


「さてと、今日は少し、周りの様子を見て回りましょうか」


 前世の知識で再現した品物を、使用人たちに試してもらっている。

 洗濯室をのぞくと、年かさのメイドが顔を上げた。


「おや、イリス様、どうなさいましたか? お預かりしていた白衣の洗濯なら、もう少し時間がかかりますよ?」

「洗濯板をどれくらい使ってもらえてるか、ちょっと確認しに来たの」


 メイドたち数人が、溝の刻み込まれた洗濯板を手に衣服を洗っている。

 つい先日まで洗濯はもみ洗いか、足で踏んで行っていた。

 時間がかかる重労働で、洗濯を専門に行うメイドがいるくらいだ。


「洗濯板、こいつはいいですね。慣れてしまえば力も入れやすく、洗濯がはかどりますよ」


 ごしごしと服を洗いながら、メイドが笑い声を上げた。

 

 よしよし。おおむね好評のようだった。


 シンプルな構造の洗濯版だけど、人力で洗濯をするなら、かなり便利な道具だ。

 確かヨーロッパでは18世紀に発明され、日本では明治時代頃から使われていたらしい。

 こちらの世界にはまだ存在していなかったけど、この調子ならすぐ普及しそうだ。


 洗濯は清潔を保つために欠かせない行動だ。

 洗濯板が広まればより手軽に洗濯を行えるようになり、衛生水準もより上がってくはず。


「洗濯板は問題なし。次は、っと……」


 洗濯室を後にし、屋敷の裏手にある小屋へ向かった。


 小屋では石鹸の製造を行っている。

 私の魔術によるものではなく、人の手で作る石鹸だ。


「どう? 石鹸作りは順調?」

「イリス様! おかげさまで捗ってますよ」


 小屋に顔を出すと、顔なじみになった石鹸職人が出迎えてくれた。

 彼らは元々私とは別口で、伝統的な手法で石鹸を作っていた職人だ。

 私が売り出した石鹸に押され、家業が傾きかけていた石鹸職人を援助し、協力体制を結んだのだった。


 公爵家が売りだした石鹸は当初、ほぼ全てが私の魔術で作った石鹸だった。

 儲けは大きかったけど、それでは私の魔力の大部分が石鹸作りに消費されてしまうし、作れる量にも限界がある。


 石鹸作りは本来、魔力を使わなくてもできる作業だ。

 私にだってある程度の、石鹸にまつわる前世の知識があった。


 知識を元に実験を繰り返した結果、効率的な石鹸作りの方法を発見。

 それを石鹸職人たちに伝え、彼らの知恵と職人技を借り更に改良することで、低コストでの石鹸作りに成功している。


 これからの石鹸作りは、一部の高級品以外、石鹸職人たちに任せていくつもりだ。

 ここ2年で、貴族や富裕層への石鹸の普及には成功したので、次の狙いは平民だ。

 公爵領内では石鹸にかける税金を低く設定し、平民への普及の後押しをしているところだった。

 

 石鹸の普及を第一に考え低価格に設定しているため、平民相手の石鹸販売は収支がとんとんになりそうだ。

 貴族相手の石鹸づくりで儲けた大金があるから、金銭面はしばらく大丈夫だけど……。


 ペストの流行を、どこまで防げるかが怖いなぁ。 


 ゲームの中で語られていた、ペストの影響はとても大きかった。

 攻略対象の一人は母親と姉妹を亡くしているし、国全体でかなりの死者が出ていた。

 うちの公爵領でも大流行し、公爵領の経営を傾ける原因の1つになっていたようだ。


 この世界では、お父様の鉛中毒が治り優秀な領主になっているおかげで、公爵領の状況はゲーム中より良いはずだ。

 フロース辺境伯の信頼も得られたから、辺境伯領での流行も防げるかもしれない。


「ペストの大流行まで、あと1年半か……」


 できることをコツコツと、やっていくしかないよね。

 少し忙しくなってきたけど、頑張ることにしよう。

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