第37回 ドタバタ新婚生活(幽霊も出たよ!)

 X社の編集からのメールは簡素なもので、内容的にはなかなか良いと思われるが、登場人物の言動に一部引っかかる面がある、それと主人公とその血の繋がっていない弟との間に恋愛要素を入れられないか、というものだった。


 それくらいならすぐに直せるだろう、と思い、気軽に返信した自分だったが、しかし、新婚生活とはそんなに甘いものではなかった。


 何せ、ある程度合意の上で結婚したとは言っても、それまで全く異なる過程で育った男女が、いきなり一つ屋根の下で共同生活を送るわけである。トラブルが起きないわけがない。


 色々なことで衝突した。それこそ皿洗いの仕方から、洗濯の仕方、ゴミの出し方、お風呂やトイレ、あらゆることで感覚の違いが浮き彫りになり、しょっちゅうぶつかることとなった。が、その全てにおいて、自分が負けていた。それは惚れた側の弱みでもあったが、またお嫁様の気が強かったこともある。


 そもそも、相手は自分よりも十歳も下なのだ。ここでお嫁様のことを立てられなくて、何が男だ、夫だ、という想いもあった。


 ただ、そういう風に自分を抑え込んでしまうのは、私の悪い癖でもあった。今でこそ日常の一部として当たり前になっていることだが、当時はあれこれ言われるのにまだ慣れていなかったから、どこかで無理が生じていた部分もあったと思う。

 会社でこってりしぼられ、クタクタになってから帰り、夕飯を食べてからすぐに打ち倒れるように眠りにつく日々。またもや小説を書いている余裕など無くなっていた。


 余裕が無かったのは、小説だけではなかった。拳法の道場にしても、代表者として運営に携わることが困難になりつつあった。実家にいた当初は道場まで歩いて二十分くらいだったが、結婚して引っ越してからは、電車で一時間もかかるようになってしまった。

 それでもなんとか時間を捻出して、頑張って通ってはいたが、当然新婚生活の時間がその分少なくなるので、お嫁様からはしょっちゅう「私は拳法と結婚したんじゃない」と文句を言われていた。

 代表者として、毎回の練習に顔を出す義務はある。しかし、それをすると新婚生活を犠牲にしなければいけない。その板挟みでかなり悩んでいた。


 とは言え、それらのことでフラストレーションを感じていたかと言えば、無理はしていたと思うけれど、まったくイヤではなかった。

 それくらい新婚生活はいつも刺激的で、新鮮で楽しいものであった。(というか、いま現在で結婚してから三年目に入ろうとしているが、いまだに退屈知らずの日々を送っている)


 特に新婚当初で印象的だった出来事は、「幽霊騒動」と「酔っ払いとの対決」である。


 ※ ※ ※


 「幽霊騒動」は、文字通り、住んでいるマンションに幽霊が出る、というものだ。


 仕事中に入ってきたLINEは、こんな感じだった。


「この家さ 幽霊多分いるw」


 なんぞ、と思って詳細を聞けば、


「ここ最近なんか変な事多くて シャワーしてる時人影見えたり、さっきシャワーしようと思ったら水道から水漏れてたり。お湯ならわかるけど水って私たち使ってないじゃん?」


 とのことである。


 どうやらお嫁様は「見える」タイプの人間のようで、昔彼女が家族と住んでいたマンションでもガラス扉に見知らぬ子供が映っているのが見えたり、あるタレントが自死した日にその本人が夢に現れて「私はもうこの世にいないから」と告げてきたり、とにかく不思議な経験を頻繁にしているらしかった。


 幽霊が出るからどうにかして、と言われても、自分はゴーストバスターでもないのにどうすりゃいいんだ、と困り果てた末に、とりあえずググってみた。すると、出てきた。幽霊対策が。

 どうやら空気が濁っていると、幽霊が出やすくなるらしい。なので、追っ払うには、空気清浄機が効果的、とのことだった。

 その日のうちに、私は家電量販店へ行って、空気清浄機を購入した。さっそく脱衣所に設置して、空気を清らかにすると、幾分か雰囲気がマシになったような気もした。

 お嫁様はそれ以来、幽霊のことについて何も言わなくなった。


 ※ ※ ※


 また、「酔っ払いとの対決」は、さらにぶっ飛んでいるものだった。


 ある日、二人で並んで夜道を歩いていると、道の反対側のマンションから怒鳴り声が聞こえてきた。

 見てみると、酔っ払いの老人が、警備員に羽交い締めされた状態で、暴れている。

 それに対して、中国人と思われる中年男性が、金切り声で叫んでいる。

 明らかに喧嘩だ。それも今にも殴り合いになりそうな危うい雰囲気。二人ともそのマンションの住人なのか、警備員が必死で止めに入っている。


 酔っ払いの老人は、こんなことを喚いていた。


「お前らは目障りなんだよ! この国から出ていけ!」


 ヘイト発言である。聞き苦しいこと、この上ない。私は眉をひそめながら、喧嘩の様子を横目で見つつ、無視することにした。警備員が間に入っていることもあるし、何よりも下手に関わってお嫁様を危険に晒すわけにもいかない。


 と、その時だった。


「警察呼びますよ!」


 道の向こう側にまで聞こえる大声で、お嫁様が警告を発した。びっくりしている私を尻目に、彼女は道を渡り、酔っ払いの老人の前に立ちはだかった。


「あなたがそうやってヘイトなことを言うから、あの人だって興奮するんでしょ! 同じ日本人として、恥ずかしい!」


 毅然とした態度で言い放つお嫁様に対し、酔っ払いの老人は圧倒されたか、さっきまでの勢いはどこへやら、


「お姉ちゃん、あんたは関わらなくていいよ……帰んな……」


 としおれた調子で答えてきた。すっかりタジタジな様子だった。


 そうこうしている内に、警察もやって来たので、我々はその場を離れることにした。


 それにしても、我が身を恥じる思いだった。お嫁様のことを見誤っていた。危険に晒したくないと考えて、その場を離れようとした自分だったが、お嫁様の正義感はそんなちっぽけな自分の思惑を上回るほど強いものであった。


 ※ ※ ※


 まるで物語のようなドタバタした新婚生活に追われている内に、いつしか年も変わり、2019年となった。


 年が変ってからようやく、私は改稿した原稿を、X社の編集へと送ることが出来た。先方から受領メールも来たので、あとは、内容を確認した結果、どのような返事が来るか、というところだった。


 やがて2月も半ばを過ぎたところで――ある大きな話が飛び込んできた。

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