第18回 二作目の出版へ向けて~その二~

 多忙な中、嬉しい知らせが飛び込んできた。

 急性白血病で入院していた父が、退院できるほどに回復してきた、というのだ。

 いつ命を落としてもおかしくなかった上に、抗がん剤による治療で苦しい思いをしていた父が、頑張り抜いて、とうとう安定した状態へと戻りつつあった。


 その話を聞いて安心した私は、もはや心配することはなしと、昼間のサラリーマンとしての仕事を終えた後は、全力で執筆活動に集中することが出来るようになった。


 バージョン4の原稿は『天破夢幻のヴァルキュリア』が出来上がるまでの様々なプロトタイプの中でも、特に異色の内容だったと思う。


 作中に登場する仙人の道具「宝貝(パオペイ)」が、このバージョン4では世間に当たり前に浸透している設定となっていた。

 その上で、機械仕掛けの敵も登場するなど、どこかサイバーパンクの要素も取り入れており、これはこれで面白い世界観だったとは思うが、いかんせんゴチャゴチャし過ぎていたきらいはあったと思う。


 話の構成も、まとまりに欠けていた。

 燕青を主人公としつつも、中盤から林冲がメインになってくる場面もあり、さらにはラスボスにも焦点を当てるなど、話の軸が一つの作品の中で三つも出来上がる始末となってしまった。

 このあたりは、当時の私の技量が本当に未熟だったとしか言わざるを得ない。


 原稿のデータを見てみると、バージョン4に取りかかり始めたのが2014年8月4日で、担当編集に提出したのが同年の11月8日と、恐ろしく時間がかかっている。バージョン4を書いていた時のことはあまり憶えていないが、かなりの難産であったことが窺える。


 当然、そんなしっちゃかめっちゃかな原稿にOKサインが出るはずもなく、担当編集からはダメ出しを喰らってしまった。


 そして言われたのが、「プロットからのやり直し」である。


 これにはさすがに参ってしまった。原稿の書き直しどころか、また一からプロットを作り直すことになってしまったのだ。一年かけて書いてきたというのに、企画段階に戻るということが如何にショックか、こればかりは同じ立場になってみないと誰にもわからない苦しみであろう。


 そして、2014年の電撃文庫忘年会には声がかからなかった。

 忘年会に招かれる条件は、ただ一つ、その年に本を出したかどうか、である。出していれば招かれる。出していなければ招かれない。大御所の先生方や、受賞作家の方々はもしかしたら別かも知れないが、とにかく私は、忘年会に呼ばれなかったことが、非常に残念でならなかった。悔しくもあった。


 自分だけが仲間はずれにされているような孤独感。

 その寂しさに耐えられなかった私は、二人の作家に「自分達だけの忘年会をやらないか?」と声をかけた。


 同期デビュー組の、猪野志士さんと、久楽美月さんだ。


 猪野志士さんは『魔法幼女と暮らしはじめました。』、久楽美月さんは『青と黒の境界線』で2013年にデビューしたものの、私と同じく、2014年はまったく本を出せていなかった。

 要は、忘年会に誘われなかった者同士で、お互いに慰め合いながら酒でも飲もう、という趣旨で、私は二人を誘ったのである。

 二人とも快諾してくれた。


 年の瀬も迫る12月某日、我々三人は、まず後楽園にあるスパ施設ラクーアへと行った。ひとっ風呂浴びてサッパリした後は、追加料金を払って入れる癒しの空間「ヒーリングバーデ」に入り、生ビールとつまみを頼んで、ゆったりとした時間を過ごした。とにかく色んなことを語り合った。創作論から、いま現在手掛けている原稿の話、そして面白いアニメや漫画についての他愛もない話……。


 ラクーアを出た後は、渋谷まで行き、さらに飲み直しとなった。「おやひなや」という、香川のB級グルメ骨付き鶏が目玉の飲み屋で、よくタレが染み込んだ噛み応えのある親鶏に舌鼓を打ちつつ、またも酒をかっくらう。あれこれ愚痴も語り合う。


 さらに「おやひなや」を出た後は、私の家に行き、お菓子を食べながら、また他愛もない話で盛り上がった。まるで学生時代のようなノリだった。

 久楽さんは翌日用事があるとのことで、途中で帰ったが、猪野さんは遠方から来ているので、そのまま私の部屋に泊まることとなった。

 怖い系の映画が苦手という猪野さんに、無理やり怖い映画を見せるというドSなことをしたりして、ひとしきり楽しんだ後は、次の日は休みということもあって、ゆっくりたっぷりと睡眠を取った。


 今にして思えば、この時三人だけでやった忘年会は、過去最高に楽しかった忘年会だったと思う。


 仲間であり、ライバルでもある三人。誰が先に二作目を出すか、誰が一番売れっ子作家となれるか、そんなことを無邪気に語り合って、明るい未来を夢見ていた。


 だが、現実には、三人ともまだ一作しか出せておらず、全員打ち切り作家の烙印を押されている状態であった。


 その当時、一番原稿が進んでいたのは、私だった。だから、先に二作目を出せるのは逢巳だろう、ということになっていた。


 三人だけの忘年会の後、やってやるよ! と私は決意を新たにしていた。

 まずは渾身の二作目を出してみせる。そしてそれを人気シリーズとして確立させる。自分が率先してその姿を見せることで、猪野さんも久楽さんも夢と希望を抱き、同じように傑作を生み出してくれることだろう。

 だから、頑張らねば! と思っていた。


 しかし、プロット修正案はなかなか通らなかった。


「あなたは一体何を書きたいんですか」


 と怒られてしまうくらい酷いプロットを出してしまったこともあった。


 年が明けても、プロットを出して、出して、出し続けて……


 ようやくOKが出たのは、2015年2月も半ばになってからのことだった。

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