二十五話 翠の国の二人・樹上橋
だんだんと道が暗くなっていく。太陽はまだ地平線よりも高い場所にいる。マルカブたちの方が、少しずつ降りているのだ。
西の岬は、翠の国の中心部よりも高い丘の上にある場所だ。西の岬へ続く樹上橋は上への階段を作られることなく、そのまま途中で地上へと降りることになる。その先には何年も前に建てられた玄の国の施設があるのだが、現在は利用する者が極端に少ないため、手入れもあまり行き届いていなかった。マルカブが来てからは、西の岬へ行く樹上橋も、そこを降りてからの道も、少しは道として使えるように掃除されるようになった。もちろん、それをしているのはマルカブ本人であるが。
軋む橋の上を、マルカブとセレンは歩いている。先ほどは枝葉が目の高さと同じ位置にあったが、今は真上を見上げなければ枝葉は見えない。鬱蒼とした、より草木の匂いが濃い道だ。
「このへん、いかにも森って感じだな」
「はい。こっちの道は、人通りも少ないですから」
「獣とかは?」
「あ、たまに……でも、あれ、見えますか?」
「ん?」
マルカブが指を差したのは、樹上橋の真ん中、その上。頭上より少し高い位置に、透明なガラス玉のようなものが浮かんでいた。その中で、橙色のような暖かい色がチラチラと光っている。
「おお?なんだあれ!さっきはあんなの無かったのに……」
振り返ると、樹上橋の上に一定の間隔で点々とその光は灯り始めていた。まるで周囲が暗くなるのを待っていたかのように、不安定だった光は徐々に安定した輝きを見せ始める。玉のようだった形は開いて、光が花のような形に成っていく。
「あれは導の光と呼ばれる、お花の一種なんです」
「花?」
「はい。昼間は透明で見えないんですが、夜になるとああして光って見えるようになるんです」
「へえ……けどこれ、なんでこの橋の上にばかりあるんだ?」
「導の光は太陽の光を栄養にして、空に咲く花なんです。といっても、木よりも高い位置に咲くことはあまりありません。見えない根っこが地面に続いているのだとか……」
「陽の光を集めようとするから、木よりも低くて光が届く樹上橋の上に集まってくるってことか」
道の先にも、木々の合間を縫うように導の光が咲き始めている。それが道を示すように連なっているのを見ると、その名前にも納得する。
「一部は妖精族の方が移動させたり、咲きすぎたものを採取したりしているんですが、大体はセレンさんが言った通りですね」
「なるほど……うん?で、今の話って獣に関係あるのか?」
「あっ、えっと、翠の国に住んでいる獣さんたちは、太陽の光に弱いんです。だから獣さんたちは地上から樹上橋へ来ることはありません。この導の光は、太陽の光と同じように獣さんたちの苦手なものなので……」
「ああ、獣避けの代わりになってるってことか」
セレンは導の光に手を伸ばした。その手は届かないが、何かに反応したのか光がユラユラと揺れる。マルカブはそれを見て少しハラハラとした様子で「と、取っちゃダメですよ?」と優しく注意した。
「うーん、根っこってどこなんだろうなって思って……揺れたってことは触ったのかな」
「人の手では触れられないって聞きましたけど……あの、もしかしてセレンさんって……」
マルカブがそわそわとした仕草でセレンを見る。その眼差しはどこか期待の色が混じっているように感じた。そしてその目でじっと見つめたまま、マルカブは訊いた。
「妖精さん、ですか?」
「……はあ?」
セレンはポカンと口を開けた。マルカブは口元を両手で覆って、失言してしまったのかと不安そうな顔をする。しかしそれとは反対に、
「オレが……妖精……くっ!アハハ!ハハハハハ!」
セレンは腹を抱えて笑い出す。マルカブはそんなセレンに対し、目を白黒させて戸惑いながら「す、すみません!」と訳も分からず謝った。
「ハハハ……!はぁ、オレのどのへんが妖精っぽいと思ったんだ?」
セレンは笑いすぎて出た涙を手の甲で拭いながら尋ねる。マルカブは言ってもいいものかと視線を彷徨わせていたが、セレンが「怒らねえから言えって」と促す。
「えっと……セレンさんの目とか……」
「目?ああ、これな!」セレンは自分の目を指で示す。「たしかに、あんまりフツウな感じじゃないかもだけどさ、オレはフツウの人間だからな?妖精ってのは面し……ウケたけど。え?それだけで?」
「あ、いえ、今のことも……導の光は妖精さんしか触れないって聞いたので」
「あー、オレが手を振って花揺らしたからか」
セレンは再び手を上げて、導の光に向かって手を振る。ユラユラと揺れているのは、やはり風のせいではなさそうだ。
「魔力を放ったからそれに反応してるんじゃねえの?」
「え?魔力……?」
マルカブはセレンの体の周りをまじまじと見つめた。どう見ても魔術陣が発現しているように見えない。例え術を使用せず魔力を放出するだけでも、陣は顕在化するはずだ。そういえば、さっき獣人を氷で足止めさせていた時もセレンは魔術陣を出さなかった。
「セレンさんは、魔術陣を出さなくても術を使えるんですか?」
「あー……ああ、まあそうだ」
「す、すごいです!セレンさんは魔術がすごく得意なんですね!」
マルカブは目を輝かせ、憧憬の目でセレンを見た。セレンはどう返すべきか、ほんの少し迷ったように目を泳がせてから「ま、まあな!」と胸を張った。
「けど、オレの本領は剣術で発揮されるからな、魔術はオマケだ」
言いながらセレンは腰に下げた長剣の鞘を叩いた。魔術陣を発現させずに魔術を扱うという高度な能力をオマケと言い切るなんて、とマルカブは目を丸くする。
「さっきも相手が武器持ってたら剣で応戦したかったとこだ」
「あ、あわわ……街中で武器を使うのはダメっていうのが、ここの暗黙のルールみたいなものなんです!警邏隊の方が使う杖みたいなのだけ例外で……!」
「へえ、そんなルールがあんのか」
あの獣人たちが武器を持っていなくてよかったと、マルカブは心底思った。もしあそこでセレンが剣を抜くような事態に発展していたら、自分たちも警邏隊に追われることになっていただろう。
導の光を辿るように歩いていると、セレンが思い出したように言う。
「あの獣人、また会ったらさっきみたいなことになりそうだよな」
「……たぶん今頃、警邏隊の人たちに連行されていると思います。以前も何度か、ああいったことをしていましたから……」
途端に元気をなくしたように肩を落とすマルカブ。セレンは到底理解できないと言うように肩をすくめて溜め息を吐く。
「あんなことして何になるんだろうな。オレには分からねえよ。それとも、よっぽど玄の国に恨みがあんのか?」
セレンの言葉に、マルカブが肩を震わせる。空を見上げて、導の光を目に映した。
「きっと……そうなんだと思います」
「そうって、恨みがあるってことか?」
マルカブはそっとうなずく。
「昔……かなり前のことなんですが。各種族に関する調査を玄の国の研究機関が行なっていたんです。その調査っていうのが、あまり、その……人道的なやり方ではなかったとかで、それを軍の総統さんが主導していたと……」
「総統って……アル先生が?」セレンの眉間に皺が寄る。
「あっ、いえ……わたしは噂で聞いたくらいでよく知らなくて……」
「先生が……アルフェがそんなことするわけない!どうせ大袈裟に話を脚色して言いふらした奴がいるんだろ!」
セレンは首を振って否定した。
マルカブは先日初めて会ったばかりのアルフェの顔を思い浮かべる。子どもの容姿だが、物腰の柔らかい態度でありながら何事にも動揺しない平静さを持ち、明らかに見た目とは裏腹な中身を持っていることは、マルカブにも分かることだった。
ただ、その強固な盾の裏側に何があるのか、それは何一つ分からなかった。それでも、「世界を救う」という彼のその言葉に嘘があるようには思えない。
「そう、ですね。わたしも、そう思います」
「……どうせあいつらはアルフェのことなんかろくに知らない。知っていたら……」
と、セレンは目と口を閉じた。そしてまた首を振って、軋む橋の上で立ち止まる。もう目の前で橋は途切れ、そこからは土と草の地上だった。
「この話はここまでだ。分かったか?」
「え……は、はい」
「よし」
セレンは一歩踏み出した。踏まれた土がザリッと音を立てる。導の光が折れた看板を照らしている。セレンは振り返って、立ち止まっているマルカブに向かって声をかけた。
「道!オレは分かんねえんだから、早く来いよ!」
辺りはすっかり暗くなっていた。だが、花から溢れる光のおかげで道を見失わずに済む。マルカブは躊躇うことなく道の先へ踏み出した。
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