第94話

「え、うーん……カオルがになってくれるなら、良いよ?」


 カミーユ・ルソーは、顔や耳を赤く染めながら薫を見つめ、胸の前で手を組み閉じたり開いたりしている。

 他人の機微に鈍い薫も、ボッチが精一杯の勇気を振り絞ったのだろうと解釈し、簡単に了承した。アプリ任せにした薫は、後悔することになった。

 横着せずにフランス語を学んでいれば、翻訳が間違っている事に気付けたし、翻訳アプリに頼る事もなかったので、凡ミスを避けられたに違いない。



 カミーユ・ルソーが己のダンジョンコアを仕舞うと、ダンジョン化が解除されたようでモンスターたちも全て消え去った。現在、2人がいる空間も暫くすると消滅すると説明するカミーユ・ルソー。


「ありがとう。今後は、あまり人目に付かないところで頑張って。ばいばい」


 薫がそう言ってボリス大使たちの元へと戻ろうとすると、カミーユ・ルソーに待ったをかけられた。


「酷いよカオル。彼女を置いて何処へ行くの? 一緒に連れてってよ」

「彼女? (こいつって女の子だったのか) 一体いつ僕の彼女になったんだ?」

「今さっき彼氏になってくれたじゃない。……さっきの言葉は嘘だったの?」


 カミーユの眦にたまった涙はあっという間に決壊し、ぽろぽろと頬を伝って床へと落ち始めた。薫は泣いているカミーユを無視して、友達・彼氏・彼女とブツブツと呟いて、1人確認作業をする。そして、カミーユの言っている事が正しいことを認識した。


 カミーユは女の子であるようだが、スカートは穿かないようだ。部屋に脱ぎ散らかされているのは全て長短のパンツばかりだからだ。スカートがあったならば、薫も少年と思い込むことはなかったであろうに。

 薫は溜息を吐きそうになるも飲み込み、泣いているカミーユに対処することにした。


 薫は泣き止めと言葉を掛けながら、彼女の体を柔らかく包み込むように抱き留め背中を擦る。ポンポンと叩くことも考えたが、力加減を間違えては不味いので除外した。己の手から伝わるカミーユの背中の感触は、ごつごつしている。肉がとても少ないのだ。偏食にしても痩せすぎである。

 薫がそんな思考をしていると、カミーユの空間が狭くなってきたので、薫は空間収納(∞)に別の空間を作り出して2人で移動した。


 薫はカミーユの背中を擦りながら、自分の事を説明することにした。自分には現時点で、自称嫁が2人と婚約者が1人いること。今のカミーユに、女性的な魅力を感じていない事と好意もそれほど持っていないこと。先ほどは、友達と勘違いして了承したこと。それでも、自身の言葉には責任を持つ気持ちはあると。


 するとカミーユは、自分の事を話し始めた。


 カミーユは、10歳の頃、実の父親にレイプされた。それが母親にばれて離婚、カミーユは母親と共に暮らし始めた。そして、カミーユが12歳の時に母親が再婚。しかし、その再婚相手の義父によって再びレイプされたカミーユ。その関係は、義父の巧みな偽装により約1年間も続いた。


 2人目の義父が出来たのは、昨年の夏。その義父は誠実で優しく紳士であったそうだ。だが、同年代の不良グループにカミーユの秘密がバレて、娼婦紛いの事をさせられる様になった。自身の男運のなさを呪い死を覚悟した時に、モンスターが発生し全てを消し去った。優しい母親と義父までも。


 生きる希望を失くしていたカミーユは、躊躇せず人を消し去る薫の動画を見て自由に生きようと思ったらしい。そして、難民キャンプであのウイルスに罹患し回復に時間が掛かったものの、運よく生き残れたそうだ。まさか自分の上げたあの動画を見て、生きる希望を得る者がいるなんて、やはり人の受け取り方も色々あるんだなと、薫は思った。


 カミーユは最初、小さな民家をダンジョン化して生活していたそうだ。しかし、パリを見下ろせるモンマルトルの丘にダンジョンを作ったら最高だろうと思い、バジリカ大聖堂をダンジョン化したそうだ。

 どうやら迷宮主のダンジョン化は、迷宮化防止結界を無効化してしまうようだ。まあ、1か所しかダンジョン化出来ない様なので、カラクリさえ判れば見付けるのは容易いと思った薫である。


「私の体は散々穢されて汚れちゃってるの。薫は私に生きる希望をくれた存在なのに、騙すようなことをして御免なさい。どこかでひっそりと静かに暮らすことにする」


 カミーユは、涙を流しながらも器用にはにかんで見せた。


 薫はカミーユに触れている事を利用して、融合スキルで作り出した絶対隷属眼の精神同調だけを使用した。カミーユに敵意や害意は感じられないが、話している内容が真実か嘘かを確かめるという、軽い試みだった。


 薫の精神を、圧倒的な負の感情が覆いつくそうとする。恐怖・怒り・絶望・猜疑心・苦痛・憎悪・自棄・破壊衝動、その中に1つだけ、春の陽だまりのように暖かい心が暴走を食い止めている。強い感情に引っ掻き回されそうになるが、全状態異常耐性スキルがしっかり仕事をして、薫の心を平静へと導いた。


 このダンジョンのモンスターは、攻撃力がほぼない代わりに防御力が高い。それは、人を極力殺さない気遣いからであった。だが、敵意なしにすれば変に思われるために、人を襲うように作られている。モンスターの数が異常に多いのは、SPなどの獲得もあるが、ダンジョンコアの発見を遅らせる事が主であったようだ。


 薫は生まれて初めて激しく他人に感情移入したし、こんなにも心が強い人間がいる事に驚き感動した。自分がこの様な仕打ちを受けたならば、躊躇うことなく復讐するし、何の関係もない他者へも憎悪の矛先を向けた可能性もあると、薫はそう自己分析した。


 カミーユは、1つだけ薫に嘘を吐いていた。バジリカ大聖堂をダンジョン化した目的は、辛く嫌な思いを沢山した場所でもあるが、母親と2番目の義父との思い出の土地でもあるこのパリを一望する事の出来る場所を、自身の墓として選んだからだ。

 何しろ、彼女の【状態】は末期となっているのだ。彼女は、万病薬(極)を購入するだけのSPを貯められなかった。


 確かに薫の動画で自由に生きる希望を得たようだが、新人族として生まれ変わった肉体でも、病魔は克服できなかったようだ。彼女は新人族になれただけでも、奇跡だったのだろう。


「ルソー、君の病を僕に治させてくれ。ダンジョンを元に戻してくれたお礼だ」


 薫の言葉を聞いたカミーユは、驚き目を瞠るが、すぐに納得したといった表情になると、両手を胸の前でクロスさせ、ぎこちない笑顔を向けた。


「カミーユって呼んでよ、カオル。お礼は彼氏になってくれただけで十分。その薬は、困っている別の誰か」


 薫はカミーユが話している途中で、再度絶対隷属眼スキルを使用した。今度は完全に。対象者を1秒間支配した薫は、万病薬(極)を使用した。

 薬の効果を確認した薫は、彼女の体に残っている痕を消し去ることにした。


「お菓子の屑が付いてる、清浄。うん、きれいだ。僕の家には色々あるから、好きな所に住めばいいよ。自称嫁と婚約者を見ても心が折れなければ、彼女を名乗っても構わないし。でも、もうちょっと肉を付けてね」

「ぐすっ。ダイエットしてただけだもん……本当に、いいの?」

「ルソー……カミーユこそ、パリを離れても平気なの? 僕の家はパリから遠く離れた日本なんだけど?」

「カオルと居られるんだもん、平気だよ」

「そっか、分かった。暫く日本に着くまでここにいてくれ。僕は依頼が終了したことを話してくるから」

「うん、いってらっしゃい。カオルが帰ってくるのを待ってるから」

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