7ー6
割と風が強かったので辞書がいい仕事をしてくれた。
ニ、三、四時間目と特に何もなく平和に過ごせた。
これも日頃の行いの賜物だろう。
ほんとなら風でプリントが吹き飛んで「あーあー、低田ー」となるところだったに違いない。
俺はこのプリントとなんの関係もないけどね!
しかし今やスマホで検索できる時代に、鈍器としての役割しか全うできない辞書を活躍させるという名采配が光った。
おかげで楽しい昼休みだ!
これを越えたらもう絶望しか残ってないけどね!
そして例の件についても意思が固まった。
大丈夫、バレてないだろうと。
人間なんて喉元過ぎれば熱さを忘れる生き物なのだ。
これだけ時間が空いたのなら大丈夫っしょ? イケるイケる。
なんせ昼は豪華飯。
これさえ食べたら後は野となれ山となれだ! この文章をよく考えると死んでる、やめとこう。
とりあえず昼食だ、それが全てだ。
席を立って昼食戦線に俺も加わる。
と言っても、食堂は食券制で今日は品切れを考慮しなくて済むお札持ちだ。
札が三枚もあれば鬼も誤魔化せる。餅に挟んで食べれる。
なんて万能感なんだ……。
今なら使えない神を駆逐して俺が神になれる。
自分に陶酔しながら悠々と食堂に入る。
中央の席に高城さん。
ごめんよ、ゴッド。
謝るから許して。
今更出ていくのも不自然なので券売機の列に並ぶ。
横目でハングリースパイダーを確認。
華やかな面々と食卓を囲っている。
そうか、食堂勢だったか。
よく考えてみると昼休みにあの物置部屋で出くわしたことはない。高城さんが教室か食堂で昼を食べていたのは間違いないところ。
しかし食堂のイメージはなかった。
迂闊だった。
まさか弁当箱を持参するなんて……!
高城さんを囲む面々は食堂のお盆を持っているが、高城さんは黒塗りの重箱をテーブルにセッティング。
中が九つに分かれている。
一人別世界。
ボンヤリとシェフの
羨望やら非難やらの視線を一人占めするミス我が校は……何やら思わしくない様子。
珍しい。
そのどこか困った顔で笑う様子は、手の掛かる子供の躾に悩むママさんのよう。
(これほど
とか思ってるわけじゃないと信じたい……。
「ん? 地震ですかな?」
ハハハ、貧乏揺すりさ。
前の生徒の制服を掴んで震えていたら伝達したようだ。すまん。
なにせこちとら隠れる身としては、全身を晒すのに躊躇する。
頑張ってくれ、肉盾くん!
ガタイがよくて鈍そうなお相撲さんっぽい生徒が前に居て良かった。凄い目立つけど。
肉壁くんがゆっくりと慎重に吟味して食券を買っているので、高城さんを観察する余裕ができた。
高城さんの周りを囲んでいるのは……この学校にしては意識が高い系の人たちだ。
生徒会役員や動画配信で有名な奴、読者モデルなんかもいるぞ。
皆どこかで見たことあるような顔だ。
そんな奴らが高城さんに必死に話を振って繋がりを得ようとしている。
高城さんどんだけなんだよ……。
それに対して静かに微笑んでいる高城さんは――
ちょっとオコなんじゃないの?
なんで誰も気付かないのだろう……。
態度で『黙って食え』と言っているようにしか見えない。
先入観があるからだろうか?
あの清廉潔白な黒い笑いには裏しか感じることがない。
周りはあの短い返答を相槌のように感じているのだろうか?
あれは『そうなの? じゃあ死んで?』と言った類の返事だとしか思えない。大丈夫、生徒会長? 明日物言わぬコンプラになってない?
しかし……。
そっかー、高城さんも大変なんだな。
ここで高城さんに声を掛けて、あの状況から彼女を救えば『この人……もしかして私のことを理解してくれてる?』なんて主人公一人勝ちからの学園恋愛ドラマが始まるわけですね。
美人な彼女をゲットできる一生に一度のチャンスがカム・オン。
なるほど。
完璧に把握。
うん。
俺は高城グループに背を向けて、券売機のボタンを押した。
無理だから。
そういうのは主人公がやってくれるよ。頑張れ主人公応援してる。
カウンターで食券を番号札と交換して、なるべく高城グループから離れた端の方の席を陣取る。
陽キャお断りな陰キャ食堂勢は大体が端の方の席につくので不自然じゃない。
食堂は広く、学生全員が収まる席数があるため満席で込むなんてことはない。
無駄である。
もう端から端に行くまでが運動だ。この学校の無駄設備はとにかく広けりゃ問題ないとばかり。だから管理が追いつかないんだよ。管理人なんてモンスターが生まれるんだよ。
まあ全体の半分は椅子が上がっていて使用されていないんだが。
しかしスペースがあるため、陽キャ勢と陰キャ勢で分かれる食堂。
どういう戦況なのかといいますと。
我々陰キャが陽キャを完全に囲っていて勝利間違いなしといったところですな!
これが噂の包囲○滅陣!
どの辺が有利なのか? 陽キャの近くの陰キャ勢は、その声量に中てられて黙々と食事するので早く食べ終わるところとかかな?
持っている番号札のランプが赤く光ったので、受取カウンターに向かうために席を立つ。
頼んだメニューは、うどん――ペタ盛り天ぷら全部乗せである。
エビイカちくわ、芋に野菜、天ぷらが本体なの? と問いたくなる一品だ。
おつゆが放つ黄金の輝きは、金髪とは関係ない。関東風。麺にコシがあって歯応えもバツグン。全部売り文句である。
実際の予算なら小ネギしか乗ってなかったことを考えると贅沢さが分かるというもの。
ゲットしたうどんをトレーに乗せて席に戻る。
「「いただきまー……」」
声が重なる。
ふと背中合わせの席を振り返れば――肉盾くん!
気付かなかったぞ! いつの間に?!
彼もこちらを……いや正確には俺の手元を見て驚いている。
同じメニューだ。
不意に交錯する視線。弾け飛ぶ火花。
……そうか、いい度胸だ。
まさか俺にペタ盛りで挑んでくる奴がいるなんてな……昔じゃ考えられないぜ。
なんせ初注文。
過去がない。
こんだけ図体のデカいお相撲さんを見逃したのも、ペタ盛りが想像以上だったためである。驚いたよね。現実逃避するぐらい。
カウンターでは人垣が割れてモーゼをかませるぐらいデカい器だった。物が出てきた時、食堂に戦慄が駆け抜けた。
ほんとなんなんだろうね、うちの学校。
食欲的にもイケるっしょ? なんて甘い考えが軽い後悔に変わる程に衝撃。なんで器が鍋なのか。トレーが特製だよ? 不思議。
「人は……見掛けによりませんね」
肉盾くんが話し掛けてきた。ニヒルな笑み付き。
盛り上がるタイプらしい。
君は見掛け通りだねと返すべきか……陰キャ席にいるので意外と繊細かもしれないから返答には注意が必要だ。
「侮ったか……勝負の前に言い訳など」
とりあえず乗っておこう。俺もニヒルに返す。
「そうですね、後は結果で語りましょう」
「既に見えている。楽しめるのは過程のみ」
「ほざく」
「いざ」
互い片手を拝むように、利き手で箸を持つ。
「「いただきます!」」
弾けるように互いが席に向き合う。
現実と向き合う。
つまり大食いチャレンジっぽいうどんと向き合う。
ふざけてんなぁー……。
天ぷらが本体だということから察せられるかもしれないが、サービスとばかりに山を作ったそれらは数がおかしい。
いや重さもおかしいな。
このうどんおかしいな。
食堂経営者の頭が一番おかしいな?
学食にチャレンジメニューを入れるんじゃない。
天つゆが掛けられたそれを切り崩して口に入れていく。
美味いかよちくしょう。
確かにお腹いっぱい食べたいとは願った。
でもお腹はち切れる程とは言ってない。
言ってない。
そもそも食い切れるのか、これ?
大丈夫……大丈夫だ! 俺の腹の容量はエンプティに近い。なんなら金髪が昨日食べた分がマイナスだ! イケる!
どういう計算なのか俺にも教えて欲しい。
自分を騙すしか方法がない。
チラリと肉盾くんを見れば、彼も『え、これマジ?』とばかりに野菜天を食べて逃避していた。はやまるな! それを食べたらオアシスが残らないぞ!
どう考えてもこの天ぷらの量はおかしい。見本と違う。ああ、サービスだったな。
きっとここで言うサービスっていうのはサービス残業とかのサービスだ。
もうサービスなんて信じない。
遠退き掛ける意識を歓声が引き戻す。逝かせてくれ。
こちらは普通に食べ進めているだけなのに何を盛り上がっているのか? 食い倒れるモブが面白いとか? まさかね。違うよね?
歓声の元は俺じゃない。つまり――肉盾くんか!
再びの敵状視察に肉盾くんは――もう麺に突入していた?!
バカな!
いや天ぷらはまだ大量に残っている。それもうただ美味しく食べようとしてない? 完食じゃなくてさ。
そうだね。
両者ギブアップっていう結果は見えてたからね。
もう過程を楽しむしかないもんね。
肉厚なカボチャが俺を阻む。ちくしょう……! ちゃんと中まで火が通ってやがる!
天ぷらの山の頂上に達する。山なのに口の中は海鮮でいっぱいだというのだから人生ってやつは。へへ、目が霞んできたぜ(食事中)。
もうダメかも、と思ったその時! 俺の視線の先には食堂のおばちゃんが!
おばちゃんが視線で伝えてくる。
(頑張んな!)
俺が答える。
(鬼かよ)
するとおばちゃんはエプロンのポケットから何かを取り出した。
キュンは勘弁願いたい。
どうせワンパターンなんだろ? お残しを許さない系の何かなんだろ?
しかしおばちゃんが取り出したのは――その場に適した胃薬だった。
目から涙が溢れ出す。
の、残していいと言うのか! 食堂のおばちゃんなのに!
な、なんて優しさなんだ……。
なんで胃薬が常備されてるのかは置いておいて。
俺、頑張るよ!
おおおおおおおおぇ!
口の中いっぱいで叫べないからとりあえず心の中で悲鳴を上げておく。
するとどうだ。
天ぷらの山が消えたじゃないか。タネも仕掛けもないんだよ。残念なことに。
残すところの麺を『これは飲み物』とばかりに啜る。
啜る啜る、ただ啜る。もうそういう機械だと思え。
沸き立つオーディエンス!
その動画をどうするのか訊きたい!
「「「おおおおおおおお?!」」」
ボッ
麺を啜り切り拳を突き上げた。
盛り上がりは最高潮!
陽キャも陰キャもこぞって撮影だ! やめたまえ。
健闘を讃えようと振り返れば肉盾くんが倒れていた。保健室に運んだげて。
「勝った……」
勝利は虚しい。
だって無くなってしまった肉盾くんの向こうから、隠していた筈の誰かさんが覗いていた。
俺の肉盾はどこに?
こっちが騒ぎ始めたから注目が逸れたのか、煩わしさに悩むことなく食事を終えられた高城さんが、先程までと違い穏やかな笑みで、
こちらを見ていた。
目が合ったからか指先だけの拍手をされた。可愛いかよ。
……やっちまったな、これ。
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