52話「陵南祭へようこそ」


 9月も終わり掛けた週末。

 秋空が晴れ渡るそんな日に、陵南祭は開催された。

 祭りとはいっても公立高校の学生が行う範囲のものだ。

 大体どんな出し物や出店があるかなんて、高校生を経験してきた大人からすれば予想はつく。

 それでも以前、担任の依田ちゃんが言ったように皆で力を合わせることに意味があるのだと思う。

 そりゃあ、黙ってたって文化祭は次の月曜日には終わっているわけで、手を抜こうと思えば幾らでも出来る。

 でも逆を言えば幾らでも力の入れようがあるわけだ。

 そうやってクラスメイトたちと掛け替えの無い時間を過ごすことが、将来への大事な経験になる。

 それを大人は知っているからこそ、頑張れと、団結しろと俺たちに言ってくるのだろう。

 身をもってその大切さを、自分になかったものを痛感した俺が言うのだから間違いない。


「お姉さん、いいじゃんちょっとくらいさぁ?」

「そうそう、こんな縁日なんてお姉さんも退屈でしょー?」

「け、結構です。遊ぶ気がないなら、出て行ってください…」

 

 だから本来なら多少無礼なお客さんがいても、そこは慈悲の心で許すべきなのだろう。

 余計なトラブルを起こしては、皆の掛け替えのない思い出にもひびが入るというものだ。


「ね、ねぇアンタ助けに行きなさいよ…。桃園さんのこと好きとか言ってたでしょ!」

「い、いや別に…。お、お前いけよ!友達だろ!?」

「い、嫌だよ…」

 

 だからこそ遠巻きにそれを見るしかないクラスメイトの気持ちも分からんでもない。

 自分に害が及んでいるわけではないし、何より怖い。

 自分とは全く違う人種との邂逅は、いつだって未知であり恐怖なのだ。


「だからさぁー、遊ぶって言ってるじゃん!お姉さんと!」

「や、やめてください…!」

「そんな格好しちゃってさぁ?誘ってんだーーぶはぁ!?」

「お、おいお前――ぐはぁ!?」

 

 だが大事な妹がよく分からん軟派男に因縁を付けられている、となればそんな話は全くの別物だ。

 俺は迷わず持っていた水風船を、チャラついた2人組の顔面にぶつけて行く。

 思わずうずくまった2人組の隙をついて、怯えていた春菜の腕を引っ張ってこちらに引き寄せた。


「あ、ありがとうお兄ちゃんーー」

「話は後だ。はい、これ予備な」

「へ?」

「多分もう少しだから。時間稼ぐぞ」

 

 両手いっぱいに水風船を渡された春菜はぽかんとした表情で俺を見ていた。

 縁日に合わせて着ている淡い桜色の浴衣は、以前の夏祭りの時に着ていたものだ。

 あの時も思ったが、やはり明子さんが見立ててくれた浴衣はよく似合っていた。

 よく分からん男たちが春菜に寄って来る気持ちも、ほんの僅かだが分からないこともない。

 ほんの僅かだが。

 それでも大切な妹に手を出そうとしたこの野蛮人共を許せるほど、俺の心は広くはないのだ。

 心の中で皆に謝ってから、俺は思い切り二人の顔面に向かって水風船の投擲を始めるのだった。


「お、おいっ!ごはぁ!?」

「ま、まった!ちょっとまーーぶへぇ!!」

「きみたちが おぼれるまで なげるのを やめないっ!!」

「お、お兄ちゃん!?」

「おっ、補給サンキュー!おらぁ!!」

 

 しばらく俺の投擲の勢いになす術もなかった二人組だったが、ついに残弾が尽きてしまった。

 そして怒り狂いながら俺に掴みかかってくる男たち。


「覚悟しろよこのクソ野郎がぁ!!」

「ちょっと面貸せやぁ!!」

「ぐっ…!!」

「や、やめて!!」

 

 万事休すかと思われたその時――


「どうやってーーぐはぁ!?」

「なにをーーごはぁ!?」

 

 俺たちの目の前でがなり散らしていた二人は、一瞬で投げ飛ばされ視界から消えていた。

 気が付けば教室から吹っ飛ばされ、廊下でもんどり打っている。

 衝撃を吸収出来ずまともに地面に叩きつけられたようだ。

 素人目に見ても、あれは相当痛そうだった。


「全く…倉田が急いで呼んで来るから何かと思えば……またお前か、四宮」

 

 そして投げ飛ばした張本人である女性は、やれやれという表情で俺に手を差し伸べてくれた。

 どうやら海斗の救援は間に合ったようだ。

 少し息切れをしながら、彼女の後ろで海斗はガッツポーズをしている。

 しかし部活やってた海斗が息切れするってどんな速さで来てくれたんだよ、この人は。

 俺は苦笑いをしながらその女性、俺たちの担任である依田ちゃんの手を取った。


「た、助かりました依田ちゃ…先生」

「うん、怪我はないな、四宮。桃園も、大丈夫か?」

「…………」

「桃園?」

「は、はいっ!だ、大丈夫です!」

 

 ぽかんとしていた春菜は依田ちゃんの呼び掛けでやっと我に帰ったようだ。

 まあ依田ちゃんの‘あれ’を初めて目の当たりにしたのだ、唖然とするのも無理はない。

 でも元からいる俺たち陵南生にとっては有名な話。

 水泳部顧問にして、女性で生活指導も担当している依田雫先生。

 学生時代は柔道、合気道、空手など様々な武道を経験し、逆らった生徒は容赦なく血祭り……ではなく次の日には皆例外なく‘良い子’になって帰ってくる熱血教師。

 この学校で彼女の存在を知らない者はごく僅かだった。

 だからこそ、毎年この陵南祭では依田ちゃんは風紀委員と共に校内を巡回し、悪い芽を摘み取っているのだ。


「お、お兄ちゃん…あ、あれは…?」

「ああ、なんとか時間稼ぎしたおかげで間に合ったみたいだな。海斗には感謝しないと」

「そ、そうじゃなくて!よ、依田先生が!」

「まあ大丈夫だから。もう終わったみたいなもんだよ」

 

 俺がそう言うのと同時に、依田ちゃんは呻いている二人組の首根っこを掴んで廊下を歩き始める。

 可哀想に、彼らは一体どこへ連れてかれると言うのか。


「あ、先生ありがとうございましたー!」

「気にするな四宮―!でも教室びしょびしょだから、掃除は頼んだー!また揉めたら呼んで良いからなー!」

「はーい!」

 

 笑顔で二人組を引きずって行く依田ちゃんと、その後をおろおろしながら追いかけて行く風紀委員はなんとも異様な光景だった。

 唖然とする春菜や来ていた他のお客さんを気にせず、俺は二人組の無事を祈りこう呟いた。


「……陵南祭へ、ようこそ」

























「――ってことがあったんだ。それで少し遅れちゃってな。悪かったよ」

「……遅れたことは全然怒ってないので、本当のことを言ってくださいセンパイ」

「いやいや、信じられないかもしれないけどさ、全部本当のことなんだよ、これが」

「はぁ……まあ、気にしてないのでもういいです。せっかく招待して貰ったんですから、早く行きましょう」

 

 真白台は軽くため息をついた後、俺を置いて校内に入って行く。

 確かににわかには信じられない話なので、俺もこれ以上言及するのは止めにした。

 変にしつこく食い下がっても余計に疑われるだけだしな。


「よし、とりあえず俺たちがやってる縁日に行こうか。春菜も、真白台に会えるのを楽しみにしてたからさ」

「はい、お願いします」

 

 真白台は穏やかな笑みで俺に応えてくれた。

 陵南祭は真白台の学校とは違い、外部の人でも特に制限なく参加することが出来る。

 これが超有名私立と、ただの公立高校の違いというやつだろうか。

 それでも前回文化祭に呼んでくれた真白台を、今度は俺が招待したかったのだ。

 なので予め連絡して誘ったのだが、予定が空いていたようで良かった。

 もしかしたら厳しいかもと言われていたので、少し不安だったがこうして来てくれて素直に嬉しい。

 春菜も真白台に会いたがっていたしな。


「でも、予定が合って良かったよ。こないだ招待してくれたからさ、お返ししたいと思ってたところだったし」

「予定……」

「あれ?メールで言ってたよな、確か」

「……はい、バイトが入りそうだったんです。でも大丈夫だったんで、本当に良かったです。あたしもセンパイの高校、一度行ってみたかったので」

 

 そう言った真白台は、ほんの一瞬何か別のことを言い掛けたような気がした。

 勿論、俺の気のせいなのかもしれないが。

 そういえば真白台に会うのはあの文化祭以来だ。

 もしかしたらあの時のことを気にしてくれているのかもしれない。

 あの時、俺は少なからず真白台に迷惑をかけた。

 ならば彼女に事の顛末を話した方が良いのではないだろうか。


「……あのさ、真白台」

「どうしたんですか、急に改まって」

「その…こないだ途中で帰っちゃっただろ。それなんだけどさーー」

「その事なら、もう知ってます」

 

 意を決した俺を遮った真白台の言葉は、意外なものだった。


「……知ってる?」

「はい。もう青子さんから、全部聞いてます。だからセンパイが話す必要はないですよ」

「そ、そうか…」

 

 そう言って真白台は何事もなかったのように、俺の隣を歩き始める。

 そうか、確か真白台は青ねえの友達だって言っていた気がする。

 でもただそれだけで青ねえは話すだろうか。

 青ねえにとっては誰かに話したい事では、間違いなくないはず。

 それを真白台に、そんな簡単に話すだろうか。

 おかしい、何かがおかしい。

 でも何がおかしいのかが分からなくて、俺は真白台に聞けずにいた。

 そしてそうしている内に俺たちは教室にたどり着いてしまった。


「いらっしゃいませ……あ、真白台さん!」

「お久しぶりです、桃園先輩。会いに来ちゃいました」

「あれー?真白台さんじゃん、久しぶりー!ってそんなでもないか」

「いらっしゃい!薫が連れてくる知り合いって、真白台さんのことだったんだ。あのおチビちゃんたちは?」

「倉田先輩、佐藤先輩もお久しぶりです。弟妹たちは今日はお母さんが見ててくれてます。さすがにまだ連れては来れないので」

 

 そして真白台は春菜たちの輪の中に入っていく。

 本当は聞きたいことがあったが、どうやって聞けばいいか分かるはずもない。

 真白台が何も言わない以上、俺が変に踏み入らない方が良いのかもしれない。

 しばらく考えて、俺は春菜たちの輪の中に入ることにした。


「――じゃあ、さっきセンパイが言ったことは本当だったんですか…」

「わたしも見た時はびっくりしたけどね。でも目の前で見たから、信じるしかないというか」

「あはは。最初は誰でも驚くよなぁ。俺も去年初めて見た時には、自分の目を疑ったもんだからなぁ」

「あ、センパイ。さっきはすいませんでした、疑ったりして…」

 

 俺に気が付いた真白台は、素直に謝ってくれた。

 いつも通りの、生真面目な彼女だった。

 やはり俺の思い過ごしだったのだろうか。


「ああ、別に気にするなって。誰だって聞いただけじゃ信じられないだろうし」

「でもさ、薫も格好良かったよ?ねえ、海斗」

「そうだな。悠花の言う通り、あんなに水風船を投げたやつ、この学校にはいないんじゃないか」

「おいおい…。俺だって精一杯頑張ったんだ」

「だから褒めてるじゃない、格好良いって。ねぇ、春菜?」

「……うん、格好良かった、かな」

 

 佐藤が冗談めかして言った言葉に、春菜は顔を真っ赤にして俯き気味に答えた。

 まあ二人きりならまだしも今は皆がいる前だ。

 お礼を言うのも恥ずかしい気持ちは、俺にも分かる。

 しかし佐藤と海斗はそれを別の意味で捉えたようだった。


「……本当に、罪作りな男だな、親友よ」

「結婚式には呼んでよね、二人とも」

「ええっ!?」

「あ、あのなぁ!そんなんじゃないって…大体俺たちは兄妹だからーー」

「――でも血は繋がってない、ですよね?」

 

 さらに真っ赤になる春菜と、悪ふざけをする海斗たち。

 それを止めようとする俺の言葉を遮ったのは、冷たい声だった。

 思わず振り向いた俺が見たのは、今まで見た事のないくら無表情でこちらを見る真白台の姿だった。


「……真白台?」

「ふふ、そうなんですよね。そんなこと、分かり切ってたのに」

「おい、真白台――」

「――すいません、ちょっとトイレに行きたくて。すぐに戻りますから」

「あ……」

 

 それだけ言うと一礼をして、真白台はあっという間に教室を出て行ってしまった。

 彼女のあんな表情、見たことがなかった。

 氷のような冷たい瞳に、俺は思わずその場から動けずにいた。


「…真白台さん、どうかしたのかな」

「っていうかトイレの場所分かるのか?初めてだろ、この学校」

「……わたし、追いかけてくる!」

 

 春菜はそう言って真白台を追いかけて行ったが、しばらくして諦めて戻って来た。

 

 ――結局幾ら待っても、真白台が帰ってくることはなかった。


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