43話「嫉妬」


 次の日の昼休み。

 あたしはいつものように、校舎裏まで向かっていた。

 この学校には専属のコックたちが腕を振るう、自慢の食堂がある。

 なので学生の殆どはその大きな食堂で昼を過ごす。

 勿論、あたし自身は入学してから一度も訪れたことはない。

 メニューのほとんどが3桁後半から4桁の値段がする学食に、あたしが行けるはずもないのだ。

 それならば教室でお弁当、と考えたこともあったがそれはそれで良い虐めの対象になってしまう。

 彼らにとってあたしは良いストレス発散。

 それはそれで勘に触る。

 そもそも特進クラスにはあたし以外、お弁当を持って来ている生徒なんていなかった。

 やはり場違いな存在。

 そんな空気をひしひし感じながら食べるお弁当が、美味しいわけはないのだ。


「……暑い」

 

 教室を出てから約5分。

 ようやく目的地に着いたあたしは、いつものようにハンカチを敷いて階段に座り込む。

 この校舎裏は本館からも遠く、人が滅多に来ないあたしだけの場所だ。

 入学してすぐに避難先を探したあたしが、半月ほど掛けて見つけた秘密の場所。

 虚しいと感じたり、悔しくて涙を流しながら、お弁当を食べた日もあった。


「いただきまーす」

 

 でも今はむしろ清々しくも感じる。

 昨日のテスト結果の時の、天王寺さんたちのあの驚いた表情は今でも忘れられない。

 こういう時だけは自分の‘能力’に感謝する。

 それに、もうあたしは独りじゃないのだ。

 昨日電話で報告した時、センパイはまるで自分の事のように喜んでくれた。

 それが、本当に嬉しかった。

 こんなテスト一つであんなに褒めてくれるセンパイの声が、あたしに勇気をくれる。


「ふふっ」

「あ、真白台さん、ここにいた!」

「……手塚くん」

 

 ぼーっとしていたのか、声を掛けられるまで彼の存在に気が付かなかった。

 手塚慎太郎。

 学級委員で、ふとした偶然からあたしのこの場所を知っている、唯一の人だった。

 あたしの弁当をちらっと覗きながら、彼は遠慮がちに隣に座ってくる。


「今日も美味しそうだね、真白台さんのお弁当。毎日自分で作ってるんでしょ?」

「そうだけど。というかあたし、座って良いなんて一言も言ってないけど」

「あ、ごめん…。じゃあ、座って良いかな?」

「……勝手にすれば」

「ありがとう。じゃあ、俺も昼飯にしようかな。ここ、本当に落ち着く場所だよね」

 

 手塚くんは、笑顔であたしに話しかける。

 一体何故か分からないが彼は偶然出会った日以来、たまにここにやってくる。

 いそいそとビニール袋からサンドイッチを取り出す手塚くん。

 この学校には購買部もあるが、ほとんどの生徒は学食を利用する。

 手塚くんだってその一人のはずだった。


「……で、今日は何の用?」

「え、別に用なんてーー」

「そういうの良いから。貴方がここに来る時は、決まってるでしょ」

「あー、そうだね…。やっぱり真白台さんには誤魔化せないなぁ」

「朝のこと、気にしてるなら大丈夫だから」

「…ごめん。真理亜も、悪気があったわけじゃないんだ。その、昔から勝気な性格で、きっと真白台さんに負けた事が悔しくて、それでーー」

「だから大丈夫。気にしてないから。それに、貴方が謝る事じゃない」

「……俺は、アイツの幼馴染だし、学級委員だから」

「……損な役回り」

「はは、そうかもね」

 

 やっぱりそうだった。

 手塚くんがここに来る時は、決まって天王寺さんに代わって謝りに来る時だった。

 今も、今朝のことを謝りに来たのだ。

 あれくらい、いつもやられていることとそこまで変わらないのだから、気にする必要はないのに。


「…でも、ありがとう。クラスにも貴方みたいにまともな人がいるって分かってるだけで、心強いから」

「真白台さん…。ごめん、皆も本当は良い奴なんだけど……」

 

 良い奴、か。

 きっと手塚くんの世界ではそうなんだろう。

 彼は少女漫画に出て来る男の子みたく、クラス中の人から好かれているのだから。

 だから、クラスから弾かれているあたしを放っておく事が出来ないんだ。


「手塚くん、本当にあたしのことは気にしないで。これでもあたしなりに上手くやってるから」

「でもーー」

「ありがとう。気持ちだけで、本当に十分だから」

「……分かった」

 

 手塚くんはまだ何か言いたそうだったけれど、それ以上食い下がる事はなかった。

 彼がもっと非情な性格だったら、あるいはこんなに悩ませる事はなかったのかもしれない。

 そういう意味では、あたしも彼に迷惑を掛けているということになるのだろうか。

 そう考えると滑稽で、思わず苦笑してしまう。


「どうしたの、真白台さん」

「ううん、何でもない。はい、これ」

「え、でもこの卵焼き……」

「食べたかったんでしょ?ここまで来てくれたお礼」

「本当に、良いの?」

「食べないならあたしがーー」

「いただきます!」

 

 そうやって美味しそうに卵焼きを食べる手塚くんは、やっぱりどこかセンパイに似ていた。

 穏やかな昼休み。

 いつも一人だったからか、たまにはこうやって誰かと食べるお昼も悪くないな、なんて思っていた。

 だからだろうか、あたしは遠くから暗い視線でこちらを見つめる影に、気付かなかった。


































「真白台さん、ちょっと良い?」

「……何、天王寺さん」

 

 その日の午後の休み時間。

 移動教室に急ぐあたしを、天王寺さんが強張った声で呼び止めた。

 またいつものか、と振り返ったあたしが見たのは、今までに見た事のない形相で睨みつけて来る彼女の姿だった。


「…今日、慎太郎といたでしょ、昼休み」

「……あ、あれはねーー」

「いたんでしょ!?」

「……いたけど」

「やっぱり……やっぱり!」

 

 どうやらあたしは彼女にとっての地雷を踏んでしまったようだ。

 彼女の嫉妬の炎のようなものが、まるで見えるようだった。

 凄まじい形相であたしに詰め寄る天王寺さんに、思わず階段脇まで後退りする。

 こんな天王寺さんを、今まで見た事はなかった。


「なんなのよアンタ!私よりも良い順位を取っただけじゃ飽き足らず、慎太郎まで奪おうっていうわけ!?」

「ち、違うーー」

「何も違わないじゃない!あんな美味しそうに、あんな嬉しそうに笑う慎太郎、見たことない!私にはあんな表情、見せてくれないのに……!」

「天王寺さん……」

 

 涙を浮かべながらあたしに掴みかかる天王寺さんは、どこか惨めで憎めなかった。

 彼女は大きな勘違いをしている。

 手塚くんがあたしのところに来るのは全て、天王寺さんの為なのだから。

 天王寺さんを守る為、代わりに謝ってくれるのだ。

 でもそれを彼女は知らない。

 知らない人から見れば、あたし達がそういう風に見えるのも仕方ないのかもしれない。

 きっと以前のあたしならこんな風に考えることなんて出来なかった。

 でも今のあたしは違う。

 他人の優しさや思いやりを教えてもらった今なら、なんとなくそのことが分かるのだ。


「天王寺さん、違うの。手塚くんは貴女のーー」

「もう嫌!アンタなんて大嫌い!目障りなのよ、この貧乏人!!」

「天王寺さん!!」

「消えてよ!消えろぉぉぉお!!」

「あっーー」

「……え」

 

 思いっ切り突き飛ばされたあたしは、宙に浮かんでいた。

 そのまま階段を下りることなく、何もない空中に投げ出される。

 全てがスローになっている世界で、驚いた顔の天王寺さんと目が合う。

 ああ、まずい。

 このままじゃ彼女に消せないトラウマを植え付けてしまうかもしれない。

 でも身体はいうことを聞かなくて、そのまま頭から落ちていく。

 あたしは死んでしまうのだろうか。

 下の階には、タイミング悪く何人か生徒がいて、その中に手塚くんがいるのを見つけてしまう。

 これじゃあきっと天王寺さんは言い訳できない。

 これじゃあもう手塚くんはきっとーー


「……何考えてるんだろ、あたし」

 

 こんな時に他人の心配をするなんて、あたしは可笑しくて思わず笑ってしまう。

 ゆっくりと地面が近付いて来て、激痛と共にあたしの意識はそこで無くなった。










































◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇




「目が覚めたのね、冬香!」

「……おかあ、さん?」

「良かった、本当に良かった……!」

 

 すぐ横で泣いているお母さん。

 真っ白な天井と全身の鈍い痛み。

 自分に何が起きているのか、理解するには少し時間が掛かった。

 しばらくしてようやく、あの交通事故から奇跡的に生還したのだということを理解する。


「お母さん。お父さんはーー」

 

 そこまで言って、室内が急に燃え上がった。

 あの時と同じ、何かの焼ける臭いと煙が室内に充満していく。

 あたしの髪の毛は、赤く染まっていってーー


「あ、あぁぁぁぁぁぁぁぁぁあ!!」

「冬香!?冬香!?」

「すぐに先生を呼んで!!」

 

 また繰り返される悪夢。

 一生忘れる事のできないこの脳味噌に、いつまでも‘記憶’され続けていく。

 熱い。

 熱いよ、お父さんーー




◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇






































「……寒い」

「あ、真白台さん!?大丈夫なの真白台さーー」

「うるさい……。この通り、ピンピンしてるから大丈夫」

 

 起き上がって両手を元気良く上げると、手塚くんは心から安心したような表情をした。

 真っ白な天井に、同じく真っ白なカーテン。

 どうやらあたしは保健室に運び込まれたようだった。


「ああ、真白台さん。意識が戻ったのね、良かった!」

「すいません、ご心配お掛けして…」

「頭は大丈夫?痛みはある?」

 

 保健室の先生に促されて頭を触ると、小さなコブが出来ていた。

 それ以外は全く痛みもない。

 階段といってもよく考えれば大した段数ではなかった。

 それを走馬灯みたいなものが見えるなんて、我ながらかなり恥ずかしい。


「いえ、少しタンコブが出来ただけなんで、特に問題ありません」

「そう。救急車は……」

「大丈夫です。後で自分で病院に行きますから」

「見たところ、問題は無いようだし、本当に良かったわ」

「ご迷惑かけて、本当にーー」

「謝るのは、君じゃないよ。真白台さん」

 

 あたしと先生の話を遮るように、手塚くんがこちらに近付いて来た。

 そして後ろには、目を真っ赤にした天王寺さんも一緒だ。

 これから起こる事が何となく分かったあたしは、先生に少し離れていて欲しい旨を告げる。

 先生はあたしの体調が特に問題無いことを確認し、何かあればすぐ呼ぶようにと言って、この場を離れてくれた。


「……手塚くんに、天王寺さん」

「話は、真理亜から聞いた。本当に、すまなかった…!」

「手塚くん……」

「真理亜、謝れ」

「は、はい……」

 

 厳しい口調でそう言われた天王寺さんは、泣き腫らした顔であたしの前に引きずり出される。

 これから言われる事を、あたしは受ける権利がある。

 それで彼女を罵倒して、これまでの虐めを告白させて謝らせる。

 それはとても爽快なことに違いなかった。

 そして噂が広まれば、次に虐められるのは天王寺さんになる。

 自分がやってきたことを、そのまま返されるのだ。

 まさに因果応報。

 この半年間の復讐には、もってこいのタイミング。だからあたしはーー


「ご、ごめんなさい、私――」

「ありがとうね、天王寺さん」

「――え?」

「だから、さっきのこと。助けてくれようとして、ありがとう。間に合わなかったのは、天王寺さんのせいじゃないから。本当に気にしないで」

「ま、真白台さん?一体何を言ってるんだ?」

「あれ、手塚くん聞いてないの?階段から落ちそうになったあたしを、天王寺さんが助けようとしてくれたの。だからそのお礼」

「……え、だって…」

「多分咄嗟のことで、天王寺さんも動転してたんだと思う。でも天王寺さんが引っ張ってくれたお陰で、軽傷ですんだみたい。本当にありがとね」

「…い、いや違うだろ?真白台さんは、真理亜に突き落とされてーー」

「手塚くんは、それを見てたの?」

「見てない…けど」

「当人のあたしが言ってるんだから、それが事実でしょ。まさか、手塚くん勘違いして天王寺さんを怒ったりしてない?」

「いや、その……でも真白台さんーー」

「あたしがそう言ってるんだから、もうこの話はこれで終わり。いい?」

 

 手塚くんの言葉を遮って、あたしは強引に話を終わらせる。

 手塚くんは全く納得していない様子だったが、それでもあたしの意志を尊重して、それ以上何もいう事はなかった。


「……慎太郎、先に外で待ってて」

「真理亜――」

「お願い」

「……分かった」

 

 そして天王寺さんは手塚くんを追い出した後、ゆっくりとあたしに近づいて来る。

 その瞳は揺れていて、何かを迷っているような様子だった。


「……こんな事して、どういうつもり」

「何が?」

「恩でも売るつもりかって、聞いてるのよ。それとも、慎太郎の前だからって、良い子ぶってポイントでも上げるつもり?」

「……別に、そんなんじゃない」

「じゃあ何よ!私を庇うなんて、馬鹿じゃないの。憐みのつもり?そうやって私のこと見下して!いつも覚めた顔して!アンタなんか!アンタなんかアンタなんかっ…!!」

 

 また天王寺さんは泣き始めた。

 泣きながら、吐き出すようにあたしに言葉をぶつけていく。

 あたしはそれを黙って聞いていた。


「……ごめんなさい。ごめん、なさい。本当にごめん、なさ、い」

「……もういいから。過ぎたこと、だから」

「ごめんなさい…」

「うん、もう大丈夫だから」

 

 子供みたく泣きじゃくる天王寺さんを、あたしはそっと抱きしめる。

 なんであたしがこんなことしなきゃいけないのか、なんて思ったりもしたが、不思議と嫌ではなかった。


「ずっと、ずっとアンタが羨ましかった…。何も持ってない癖に、実力だけでここに来て、胸を張ってるアンタに、嫉妬してた…」

「うん…」

 

 あたしもだよ、とは言わなかった。

 それを言ったら負けたような気がして、そこは意地を張る。

 そうか、天王寺さんもやっぱり、ただの女の子だったんだ。

 そんな当たり前のことに、あたしは今更気がつくのだ。


「アンタなんか、大っ嫌い…」

「…安心して。あたしも天王寺さんのこと、大嫌いだから」


 少女漫画みたいな、素敵な仲直りなんかじゃ無い。

 別に今でも天王寺さんのことは嫌いだし、今までのことを許してなんかいない。

 それでもあたし達は、互いを罵り合いながら、しばらく抱き合うのだった。


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