42話「記憶」
「真白台さん、ちょっと良い?」
9月。
季節は夏を終え、あれほど猛威を振るった暑さもどこかへと行ってしまった。
代わりに過ごしやすい気候が最近は続き、秋の訪れをあたしに予感させるのだった。
「貴方もようやくこのクラスから落とされる覚悟が出来た、ってことで良いんでしょ」
「本当に、目障りだったものね」
「ふふ、可哀想な真白台さん」
今日もまだ朝だと言うのに、そこまで暑くも寒くもなく学校指定の合服でも十分過ごせる。
今日は早起きをして皆の分もお弁当を作ったので、少し眠かった。
ホームルームまでまだ少し時間があるので軽く寝ようと欠伸をする。
どうやらそれが彼女たちの気に障ってしまったようだ。
「ちょっと!聞いてるの!?」
「……うるさいんだけど。静かにしてくれる?」
「あ、相変わらず頭に来る態度ね、真白台さん!」
「貧乏人の癖に、生意気なんだけど!」
「貧乏がうつるから、あんまり近くに行っちゃ駄目だよ真理亜(まりあ)!」
真理亜と言われた彼女は、腕組みをしながらあたしをキッと睨み付ける。
どうやらいつものいびりが始まるらしい。
この女子グループに絡まれるのももう半年以上。
何故か入学当初から、特待生枠でこの特進クラスに来たあたしを目の敵にしている。
そして目の前の燃えるような赤いツインテールを揺らしている女の子、天王寺真理亜(てんのうじまりあ)はその中心人物だった。
あたしが特に何かをした覚えはない。
けれど、最初からあたしは彼女の虐めの対象になっていたようだった。
初めの頃こそ、理不尽な虐めに真っ向から抵抗していたが、もう半年以上だ。
相手にするだけ無駄だということ。
今更和解なんて、出来るわけもない。
「とにかく、あたしはアンタと話すことなんて、ない」
「な、何よこのチビ!アンタなんてもうこのクラスに居られないんだから!」
「今日のホームルームで、こないだの夏休み明けのテスト結果が出るわ。悪いけど、真白台さんはそこで終わりよ」
「だって真白台さん、学校の夏季講習、一回も来てなかったもんねー。あ、お金が無い人には元々無縁な話だったけど」
激昂する天王寺さんと、嘲笑うその取り巻きたち。
彼女たちの言う通り、確かにあたしは夏休み中、この桜陽附属で行われる夏季講習に一度も参加していない。
私立の中でも屈指の偏差値を誇るこの学校は、長期休暇中も学内で講習を行なっているのだ。
勿論、有料でだが。
元々カリキュラムの進みが尋常じゃないこのクラス。
生き残るためには毎回のテストで常に上位を取り続ける必要がある。
なので特進クラスの生徒にとってこの夏季講習は必修みたいなものなのだ。
特にあたしは外部から来た特待生なので、その条件が他よりも厳しい。
常に学年でもトップ10に入るくらいの成績は残さないといけない。
でも授業料が全額免除の特待生も、夏季講習は有料。
それゆえに、貧乏人がこの桜陽附属でやっていけた試しはないようだった。
そもそも、普通の貧乏人なら自分から進んでこんなところに入ろうとはしないだろう。
桜陽附属は、確かに全国でも有数の進学校である。
各界の著名人を輩出している桜陽学院大学の附属校なわけで、競争倍率も他の高校とは桁違いだ。
でも、それはある程度裕福な家庭に生まれ育ったという前提に基づいたもの。
この特進クラスにいる半数以上は、すでに将来が約束されている人たちばかりなのだ。
「だから、あたしに構わないで。別に何もしてないでしょ」
「アンタの存在がムカつくのよ、真白台冬香!貧乏人のくせにいつまでもこのクラスに居座って……おこがましいと思わないの!?」
今あたしの目の前でこうやって喚き散らしている彼女だって、大手製薬会社の天王寺製薬の一人娘だ。
性格は壊滅的なのかもしれないが、間違いなく将来この国を背負う一人になるに違いなかった。
このクラスにいると嫌でも分かる。
人間は、もう生まれた瞬間からある程度人生が決まっている。
努力で変えられるのは、その決められた人生の中だけ。
だからこそ、あたしはその幅の最大値を目指しているだけなのだ。
そんな細やかな努力、天王寺さんにとっては気にする価値もないはずなのに、なんでこんなにイラついているのか。
あたしにはさっぱり理解出来なかった。
「本当にムカつくわ、アンタ。こうなったらーー」
「――そろそろやめにしないか、真理亜」
そんな不毛な喧騒に、割って入ってくるのはいつもの男子。
このクラスの学級委員であるその男子は、あたしを庇うようにして天王寺さんの前に立つ。
それが、1番彼女をイラつかせるなんて、彼は夢にも思ってないのだろう。
「し、慎太郎(しんたろう)……」
「いい加減にしろよ。朝からクラス中に響く声で、しかもまた真白台さんを罵って」
「で、でもーー」
「彼女がお前に何かしたのか?」
「い、いやしてないけど…」
「こないだも言った通りだ。このクラスで虐めは許さない。真理亜、いい加減にしろ」
「聞いて慎太郎!慎太郎はこいつに騙されてるーー」
「真理亜」
「……わ、分かったわよ!慎太郎の馬鹿っ!!」
顔を真っ赤にしながら取り巻きと引き返して行く天王寺さん。
もうこれも、この半年で何度も行われたやり取りに、今更クラスの誰も反応しなかった。
少し天王寺さんたちの方を見た後、慎太郎と呼ばれた男子はあたしに申し訳なさそうな顔をする。
「ごめん、真白台さん。いつも遅くなって…」
「別に、頼んだわけじゃないから」
「はは、相変わらず手厳しいな、真白台さんは」
頭を掻きながら苦笑いする彼、手塚慎太郎(てづかしんたろう)。
彼も例に漏れず父親が大手運送会社の社長であり、俗に言う御曹司というやつだ。
しかしそれを全く表に出さない物腰柔らかな態度と、整った外見から、入学当初からかなり女子受けが高い。
おそらく、天王寺さんは手塚くんのことが気になっている。
だからこそ、こうやってあたしを守ることが余計にイラつくんだろう。
お互いを名前で呼び合う二人は、浅からぬ縁があるのだろうがあたしには関係ないことだった。
「……でも、ありがとう。おかげで少し寝られるし」
「良かった。じゃあ今度、また真白台さんのーー」
「調子に乗らないでくれる?あれは、本当にたまたまだから」
彼が言い掛けた事を他に聞かれないように、言葉を被せる。
本当に自分の‘価値’が分からない人だ。
その姿は、どこかセンパイに似ていてあたしは思わずまたため息をつくのだった。
「はーい、ホームルーム始めるから席に着けー」
いそいそと入って来た担任の一声で、皆一斉に自分の席に戻る。
手塚くんはまだ何か言いたそうだったが、そのまま席に戻って行った。
「よし、今日は初めにこないだやったテスト結果から返して行くぞー」
「……っ」
来た。
あたしが今一番気にしなければならないこと。
夏休み明けのテスト結果。
本来、天王寺さんの言っている事は正しい。
このクラスであたしだけ、夏季講習を受けられなかったのだ。
進学校の有料授業と一学生の自習。
どちらが効果があるのか、聞かなくても分かる。
本来なら、だ。
「何名か、後で面談するからな。クラスの入れ替えもあるかもしれないから肝に命じておけ。それじゃあ、返していくぞー」
担任の言葉を聞いて、天王寺さんがあたしの方を睨み付ける。
今に見てなさい、と言わんばかりの表情だった。
手塚くんがもう少し鈍感じゃなければ、あたしもここまで憎まれる事はなかっただろうに。
テスト結果を返されてある者は喜び、ある者は落ち込む。
ここにいると嫌と言うほど思い知らされる。
所詮、この世は競争社会なのだと。
でもこの夏休み、センパイたちとの出会いがあたしを大きく変えてくれた。
もうあたしは独りじゃない。
この学校では孤独でも、あたしには笑い合える仲間がいる。
その気持ちが、あたしを導いてくれる。
「手塚。うん、今回もよく出来てるな。総合で3位だぞー」
「あ、ありがとうございます」
担任の言葉にクラス中が湧く。
流石手塚くんといったところか。
「次、天王寺―。天王寺もよく出来てるな。4位だぞー」
「…次は負けないからね、慎太郎」
「俺も負ける気はないよ、真理亜」
「はいはい、二人ともこれからも頑張ってなー」
クラス中が二人の健闘を讃えるように拍手をする。
学年でもトップクラスの学力を持つ二人は、素直に凄いと思う。
自分の生まれに頼らず、しっかりと努力している証拠だった。
「……まあ、このクラスから相応しくない‘誰かさん’には早々に出て行ってもらおうかしらね」
わざと遠回りしてあたしの席を通り、天王寺さんはそう呟いた。
この性格さえなんとかなれば、あたしもこの学校で生きやすくなるのだが。
ぎゅっと握った拳が、少し震えているのを感じた。
あたしの学力は、正直夏休み前まではクラスで中の下くらいだった。
大丈夫。
あたしには自分にしかない‘能力’がある。そして、専属の家庭教師がいるのだ。
センパイのことを思うと、自然と震えが治まっていく。
「――次、真白台―」
「……はい」
少し間を置いて、あたしはゆっくりと席を立った。
そして担任が差し出す答案と、順位が書いてある紙を受け取ってーー
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
熱い。
熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い。
焦げ臭い匂いが、辺りに充満していた。
手を動かそうとして激痛が走る。
右腕が、全く動かせなかった。
変な方向に曲がっているその腕を見て、思わず叫ぼうとしてーー
「ごほっ!!」
思い切り煙を吸って蒸せる。
コンクリートには真っ赤な血が溢れていて、あたしの髪の毛にも染み込んでいる。
痛い。
痛いし、怖い。
そしてゆっくりと顔を上げたあたしは見た。
「…………あ」
車を運転していた、あたしのお父さん‘だった’ものを、見た。
見てしまった。
二度と忘れることの出来ないその脳味噌に、記憶してしまった。
「あ、あぁぁぁぁぁぁぁぁあーーごほごほっ!!」
熱い。
熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い。
真っ赤に燃える炎と、自分の父親の血が、ゆっくりと身動きの出来ないあたしに近付いてーー
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「――いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあ!!」
椅子から派手に転がり落ちて、思い切り尻を打ってしまった。
その激痛で自分が夢を見ていたことを理解する。
夕焼けに染まった教室には、あたし以外誰もいなかった。
「はぁはぁ……」
心臓の鼓動はいまだ、うるさいくらい跳ね上がっている。
バイトまで時間があったので少し教室で寝ようとした結果が、この有り様だ。
深い眠りに入ってはいけないことは分かっていたのに。
どうらや気が抜けて、少し安心してしまったようだ。
「……最悪」
もう一度周囲を見回して、誰にも見られていないことを確認する。
こんな醜態、クラスメイト、特に天王寺さん辺りにでも見られたらなんて言われるか。
それを考えると大きなため息が思わず漏れた。
今日の一件でまた、彼女はあたしを目の敵にするに違いない。
これ以上、その材料を増やしたくないのだ。
「……帰ろう」
誰に言うわけでもなく、ポツリと呟いてあたしは教室を後にする。
玄関口の前にはでかでかと今日返されたテストのトップ10の順位と名前が、学年ごとに載っていた。
1年生の欄を見上げると朝の結果通り、4位に天王寺さんの名前。
3位に手塚くんの名前が載っていた。
そしてその上には2位の文字と共に、こう書いてある。
真白台冬香、と。
「……本当に、やったんだ、あたし」
いまだ現実として受け止めるには衝撃的なその順位を、もう一度見たがやはり事実は変わらないようだった。
もっとも本人であるあたしよりも、担任からそれを聞いた天王寺さんの驚きの方が大きかったようだが。
とにかく、あたしは特待生としてまたこの学校に残ることが出来たのだ。
それは全て、あの人、四宮薫センパイのおかげ。
「良かった…」
この結果を伝えたら、あの人は喜んでくれるだろうか。
そのことを考えると、さっきまでのあの忌まわしい記憶のことを、少しだけ忘れられる気がした。
決して忘れることは出来ない。
そんなことはずっと前から分かっているけれど、今はセンパイの声が聴きたいと、そう思った。
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