37話「領域」


「――昨日は悪かったな、真白台」

「いえ、事前に聞いていましたし、何の問題もありませんよ」


 会長の家に招かれた翌日。

 俺の姿はいつも通り地区センターの地下にあった。

 今日も最早日課になりつつある、真白台との勉強会のためだ。


「それに毎日付き合わせてたら、せっかくの夏休みなのにセンパイに申し訳ありませんから。あたしのことは気にしないで、予定があればそちらを優先してくださいね」

「心配には及ばない。なんせ俺は基本的には暇だからな」

「…それ、自慢することじゃないと思うんですが」

 

 クスッと笑いながら席に着く真白台。

 そういえば彼女と会うのはあの夏祭り以来だ。

 あの時は色々あったが、最終的には無事に終わって何よりだった。


「あれ、そういえば今日は桃園さんは一緒じゃないんですね」

「ああ、春菜ならもう良いってさ。なんかよく分からないけど、こないだので満足したらしい」

「そうですか。あたしとしてはせっかく出来た友達なんで、また遊べたらなと思うんですが」

「また今度連れてくるよ。…よし、それじゃあ今日も始めようか」

「はい、よろしくお願いしますねセンパイ」

 

 そこからはいつも通りの流れだった。

 真白台が問題を解き、分からないところがあれば俺がその部分を解説する。

 とは言っても今日の科目は現代文だ。

 そもそも問題を解くのに時間が掛かるので、真白台が解いている間は待つしかない。

 問題自体はこないだ先に貰っていたし、既に読み込んでいるので解説も問題なく出来る。

 邪魔をするわけにもいかないので向かい側の真白台の様子を眺めることにした。

 遠くからでもすぐに分かる特徴的な銀髪と灰色の瞳。

 そういえば、彼女のこの髪の色は元からなのだろうか。

 顔立ちはどう見ても日本人だ。

 会長のように親の片方が外国人ということはないだろう。

 今まで気にした事はなかったが、改めて考えれば興味深い疑問ではある。

 しかしもし本人が気にしていたりしたら、それは聞くべきことではないとも思う。

 そこから先は完全にプライベート。

 他人が勝手に入って良い領域ではない。


「……プライベート、ね」

 

 プライベート。

 その言葉で、俺はつい昨日のことを思い出してしまう。

 結局、昨日会長は30分程して、俺たちのところに戻ってきた。

 そこからの会長はいつも通りだった、ように俺には見えた。

 そうやって何事も無く会議は終わり、夕方前には解散になった。

 でもあの後、最後まで会長は大塚さんが買って来たドーナツに手をつける事はなかった。

 あんなに自分で大好きだと言っていたはずなのに。

 会長に最寄り駅まで送って貰った俺たちは、そこで会長と別れた。

 笑顔で俺たちを見送ってくれる会長は、やっぱりいつも通りで、俺は余計に分からなくなる。

 そんな俺に気が付いたのか、白川先輩は呟くように言った。


『……紅音はね、いつもああなんだ』

『白川先輩…?』

『四宮くん、この先は彼女のプライベートに踏み込むことになる。君は気が付いたのかもしれないけど、ただの興味本位だとしたらやめておいた方が良い』

『…プライベート、ですか』

『僕にはね、弱い僕にはその覚悟も、資格もなかった。ただ、彼女が少しでも安らげるようにこの生徒会を維持することしか、出来ない』

『そんなこと…』

『君も、慎重に考えた方が良い。半端な気持ちじゃ迷惑になるだけなんだ、僕たちはね』

 

 そうやって白川先輩は悲しそうに笑った。

 先輩が何を言いたかったのか、俺には分からない。

 でも先輩が言った‘プライベート’というのは、そんな軽い物ではないように思えた。

 相手は日本でも有数の大企業を経営する社長の娘。

 俺たちとは住む世界が違う。

 確かに半端な気持ちで首を突っ込んで良い相手では、ないのかもしれない。

 俺は彼女にとって、ただの後輩でしかないのだ。


「――センパイ?」

「……あ、悪いな。終わったか」

「はい。…大丈夫ですか、センパイ?」

 

 心配そうにこちらを覗き込む真白台。

 彼女だってそうだ。

 俺は真白台にとって、ただの先輩でしかない。

 他人が踏み込むべきではない領域が、人にはある。

 もしかしたら真白台にとって髪の色は、その領域に当たるのかもしれない。

 ならば俺が軽々しく聞くべきことではない。

 彼女が話してくれるのを待つのが、おそらく正解に違いなかった。


「…大丈夫だ。ちょっとぼーっとしてた。よし、分からないところがあれば解説するからな」

 

 俺は真白台や会長にとって、そこら辺の他人と同じでしかないのかもしれない。

 たとえそうだったとしても、俺は今出来ることで少しでも彼女たちを応援できればと思った。


































「じゃあ、明日はなしで良いんだな」

「はい、すいません。明日は先約がありまして」

 

 夕暮れの帰り道。

 これまたいつものように地区センターを出た俺たちを、夏の暑さと蝉の大合唱が迎えてくれた。


「全然気にするなよな。次回はまた連絡するからさ」

「分かりました。それじゃあ、また」

「おう、じゃあな」

 

 真白台の姿が遠くなるまで見送って、俺も家路へと急ぐ。

 しかしあの真白台に先約があったとは意外だった。

 いや、意外というとかなり失礼になるとは思うのだが、やはり意外だ。

 これまで彼女から友達の話を聞いたことなど、ほとんどなかった。

 まあ、それでも花の女子高生なわけで、予定の一つや二つあるのは当然だと思う。

 たまには俺自身、1日家でゆっくりするのも良いのかもしれない。


「……はぁ」

 

 今は会長のことを考えていても仕方ない。

 白川先輩の言う通り、俺たちに出来る事は限られているのだ。

 だから無理をする必要はない。

 そう頭では分かっていても、もやもやとした気持ちはまだまだ拭う事は出来ないのだった。


























「あ、もしもし。あの、真白台です」

「あー、こんばんは。真夏川だけど、今大丈夫?」

「大丈夫です、真夏川先輩。明日のこと、ですよね」

「うん。急でごめんね。ちょっと予定が立て込んでて、直近だと明日くらいしか空いてなかったの」

「気にしないでください。元々お願いしたのはあたしの方なんで。むしろお忙しいのに本当にすいません」

「…ふふ、本当に礼儀正しいね、真白台さんは」

「そ、そうですか?」

「うん。真っ直ぐで、素直で……」

「…真夏川先輩?」

「あ、ごめんごめん。それで明日なんだけどーー」

 

 危ない危ない。

 電話越しの彼女は何も悪くない。

 でも彼女の真っ直ぐさが、私には眩し過ぎる。

 こないだ偶然会った後輩。

 気になる人とお祭りに行ったという彼女の表情は、恋する乙女そのものだった。

 本人は自覚がないのかもしれないが、そんな彼女に私は興味が湧いた。

 もし私があんな風に振る舞えたら、薫はまた私の方を振り向いてくれるのだろうか。

 私は恐れている。

 今までまともに人の感情に触れて来なかった代償を、今頃になって私は払わされている。

 あの日、私は持てる勇気を全て使って薫の実家に電話を掛けた。

 そして彼が妹と夏祭りに行ったことを知った。

 後は何気ない顔をして、偶然を装って出会うだけ。

 今までそれくらいのこと、何度だってやって来た。

 でも私の足は、いざ神社に近付いた途端に1歩も前に進めなくなった。

 そしてそのまま、私は神社から溢れる光を眺めることしか出来なかった。

 とんだ意気地なしだ。

 私は宣言したはずだ。

 お気に入りだった髪型まで変えて、彼にリベンジするって、そう堂々と宣言した。

 なのに私の心はいつまで経っても臆病で、未だに彼にメール1つ出来ていない。

 怖い。

 もし拒絶されたら、私はきっともうーー


「――じゃあ、明日よろしくね、真白台さん」

「はい、お願いします。それじゃあ、おやすみなさい」

 

 電話を終えて、真っ白な天井を仰ぐ。

 彼女の話を聞いたところで、私にまともなアドバイスなんて出来る訳がない。

 むしろ逆だ。

 私は、知りたいんだ。

 どうしてそうも純粋な気持ちでいられるのか。

 私には理解出来ない。

 少しでも自分に勇気を与えるために、あくまでも自分のために話を聞く。

 本当に、自分勝手な女だった。


「……好きだよ、薫」

 

 独りだと、こんなにも容易く言える愛の言葉。

 きっとそれは薄っぺらいからで。

 応える人もいない言葉は、虚しく宙に消えていくのだった。


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