36話「秋空紅音の事情」


「それでは、こちらの部屋で少々お待ち下さい」

 

 そうやってメイド姿の女給は恭しく一礼をした後に、静かに扉を閉めて出て行った。

 残された俺たちは、特にする事もないので通されたまま、各々の席に座る。

 本革で出来ているであろう質感の椅子は、座っただけでそれが最高級品であることがすぐに分かった。

 目の前のテーブルも大理石で出来ており、目の前のコップ1つ見てもおそらく将来俺たち庶民が手にすることはない逸品だ。

 天井を見上げると大きなシャンデリアが存分にその異質さを主張している。

 この部屋に通されるまでに通って来た廊下一つ見ても、ここがいかに異質な存在か。

 それが十分に分かる作りになっていた。


「会長の家に来るのは初めてかい?驚いただろ、この感じ」

「…正直、落ち着きません」

「あはは、間違いないね。僕も初めて来た時は驚いたから。まあ、その内慣れるから大丈夫だよ」

 

 そう言いながら向かいに座る白川先輩は、お茶請けとして置いてある、これまた高そうな包みに入った高級そうなチョコレートを口に放り込む。

 その慣れた手つきからするに、もう副会長である彼は、少なくない回数この場所に来ていることが窺えた。


「情けないですね、四宮君。これくらいのことで怖気付くなんて、貴方それでも生徒会の一員ですか」

「…じゃあ何でさっきから大塚さんは、キョロキョロ辺りを見回してるんだよ。紅茶にも一切手を付けてないみたいだし」

「べ、別にキョロキョロなんてしてません!紅茶はこれから頂こうと思ってたんです!」

 

 白川先輩の隣にいた大塚さんは、そう言って俺を睨み付けながら一気に紅茶を飲み干した。

 熱かったのだろう、思わずむせる彼女を苦笑いしながら白川先輩が介抱する。

 どうやら大塚さんはこちら側の人間のようだ。

 慣れていない人が、俺たちの他にもいたことに少し肩の力が抜けた気がした。


「お兄ちゃん、この椅子ふかふかだよ」

「そうだな」

「お兄ちゃん、この紅茶すっごく美味しいよ」

「そうか」

「お兄ちゃん、このチョコレートほんっとにーー」

「あのな、春菜。少しは落ち着け」

「わ、わたしは落ち着いてますけど」

「…包み食ってるぞ、チョコじゃなくて」

「っ!?」

 

 隣にいる妹はこれでもかと言うくらい、緊張しまくっていた。

 それもそのはずで俺たちは今、おそらくこの街、いやこの県で最も高級であろう家にお邪魔しているからである。

 そして俺たちを呼んだ張本人、秋空紅音は未だ姿を表していなかった。

 俺たちがこの大豪邸に着いてから約30分。

 つい先程、ようやく広大な庭を抜けて通されたこの客間で俺たちは会長を待っているわけだ。


「それにしても、秋の文化祭のことなら、わざわざ会長の家でやらなくても良かったんじゃないですかね」

「まあ、会長は元々イベントとかが大好きな人だからね。大方、初めてここに来る君たちの反応を、見たかったんじゃないかな?」

「さいですか…」

 

 どう考えても住む世界が違う。

 俺たちに気兼ね無く接してくれる会長。

 しかし彼女はこの国で業界最大手とも言われる秋空グループの御令嬢なわけで。

 当然俺たちと同じ世界に生きる人間では、本来ないのだ。

 この家に着いた時、最初に俺はそのことを改めて思い知らされた。

 そして今こうして彼女を待っている時でさえ、痛い程そのことを考えさせられるのだった。



























「ごめん、遅くなっちゃって!中々お仕事が終わらなくってさー。本当、お待たせしちゃったねー」

 

 客間に通されてから10分程して、会長は俺たちの前に現れた。

 長い金髪に澄んだ青い瞳に、日本人離れしたスタイル。

 黒いノースリーブのシャツに、真っ白なスカートがよく似合っている。

 これが俺たち陵南高校の生徒会長であり、この家の令嬢である秋空紅音だ。

 夏休みに入ってから約2週間。

 学校が終わってから7月の終わりまで彼女に会うことがなかったが、改めて見るとやはり異質な存在だった。

 そして当の本人は、満面の笑みで俺たちと挨拶を交わす。


「仕事、ですか」

「あー、言ってなかったっけ。私、ちょくちょく親の仕事手伝ってるんだよねー。今日も言われちゃってさ、仕方無く手伝ってたんだ」

「会長はこう見えても秋空グループの次期社長候補なんだよ。周りからは先見の明があるって言われていてね。社長であるお父さんからの信頼も特に厚いんだ」

「そうなんですか」

「英、オーバーに言い過ぎだから!たまに手伝ってるだけで、大したことはしてないよ。そんなことより、今日は急に呼び出しちゃってごめんね。時間も勿体無いし、早速始めちゃおっか。みやちゃん」

「はい会長。皆さんに事前に資料は配布しております。こちらが会長の分です」

「ありがとー。流石みやちゃん!それじゃあ、早速だけど今年の文化祭についての会議を始めまーす」

 

 そこからはいつもの生徒会とほとんど同じだった。

 違うのは議題くらいか。

 基本的には副会長である白川先輩が進行役、細かい補足などを大塚さんが行う。

 俺と春菜は書記として、ホワイトボードや会長が貸してくれたパソコンに、どんどん会議の内容を打ち込んで行く。

 こんな作業も6月から1ヶ月程続ければ段々慣れてくるものだ。

 そして会長は基本は茶々を入れたりして副会長に注意され、たまに的確なことを言ったりする。

 案外バランスが取れたチームだった。

 まあ、ほとんどは白川先輩のおかげだと思うが。

 貰える予算や規模、開催日時など大まかな部分が決まった頃、会長の提案で一度休憩を取ることにした。

 なんだかんだ、始めてからもう3時間近く経っており、休憩には丁度良い時間だ。


「――あーあ、疲れたー!おやつにしよ!」

「はいはい、今用意しますから待ってくださいね。雅?」

「はい、ちゃんと買って来てますからね」

「きゃあ!これこれ!やっぱりおやつはドーナツに限るー!」

 

 大塚さんがテーブルに出したのは、大手チェーン店のドーナツの箱だった。

 中を開けると色々な味のドーナツがこれでもかというくらいぎっしりと入っている。

 大塚さんはそれを素早く取り分けていった。

 高級そうなお皿に乗った、どこにでも売っているドーナツがなんだかとてもミスマッチに見える。


「意外、だよね」

「そうですね」

「会長は、こういうのが大好きなんだよ。食べ物も、フランス料理とか高級中華とかじゃ無くて、駅前のラーメン屋さんの味噌ラーメンが、一番好きなんだ」

「へー、そうなんですか」

「ちょっと英!わざわざ薫くんたちにそんなこと教えなくても良いでしょー!」

「あはは、変わってるよね。間違いなく日本でもトップクラスのお嬢様なのに」

「…そういうのは、関係ないから。私はせめて食べ物くらいは、自分に嘘は付かないって決めてるの。美味しい物は、絶対に美味しいしーー」

「――紅音、ちょっと良いかな」

 

 コンコンと、遠慮がちなノックと共に低い男性の声が聞こえた。

 その瞬間、会長の笑顔がほんの少し強張ったように見えたのは、気のせいだろうか。


「…どうぞ」

「すまないね、突然。紅音の友達が来ているというから、是非挨拶しなければと思ってな」

 

 会長と同じ、金髪に青い瞳の男性がゆっくりとこちらに近付いてくる。

 言われなくても分かるが、おそらくこの人が会長のお父さんだ。

 それはつまり秋空グループの社長ということを意味する。

 思わず立ち上がろうとした俺たちを制止して、彼自身も空いている席にゆっくりと腰掛けた。


「気を使わないでくれ。今日は遊びに来てくれて本当にありがとう。紅音は引っ込み思案でね、あまり家に友達を呼んだことはないんだ。だから、これからも仲良くしてやってくれ」

「…はい、勿論です。こちらこそ、紅音さんにはいつもお世話になってます」

 

 代表して答える白川先輩を見ながら、俺は違和感を覚える。

 ――会長が引っ込み思案?

 少なくとも俺が知っている彼女は天真爛漫で、誰とでもすぐに仲良くなれる、そんな人だ。

 お父さんの言っている人物像とはかけ離れている気がした。


「それは良かった。…ところで、紅音。これは?」

「…はい、私がお願いして、買って来て貰いました」

「そうか。‘良い’友達を持ったな、紅音」

「あ、あのーー」

「ちょっと、一緒に来なさい。皆さん、すまないね。少し紅音を借りるが、ゆっくりしていってくれ。さ、紅音」

「…はい、お父様」

「それでは失礼するよ」

「皆、ごめんね。少し外すけどゆっくりしてて。ドーナツは、食べちゃって大丈夫だから」

 

 そう言って会長は、父親と共に部屋を後にした。

 その時、俺は確かに見た。

 いつもは感情を滅多に出すことのない白川先輩が、悔しそうな表情をしているのを、見た。


「……会長もああ言っていることだし、皆で頂こう」

「白川先輩…」

「じゃないと、会長に悪い。さ、雅も桃園さんも」

 

 白川会長が促して、俺たちはようやく休憩を再開する。

 それでもどこかもやもやする気持ちは、結局消えることはなかった。




























「――失礼しました」

 

 一礼して、部屋を出る。

 分かっていたことだった。最初から、分かっていたこと。

 だってこの結果は視えていた。

 私は大好きなドーナツを、結局食べることは出来ない。

 あの人がいる限り、私は決して自由になることはない。

 分かり切っていたはずだ。


「……本当に、馬鹿」

 

 期待してしまった。

 もしかしたら、彼ならと。

 彼なら未来を変えられるのではないかと。

 そんなはずないのに、勝手に期待して勝手に失望している。

 私は最低の女だ。

 彼は全く悪くない。

 未来が見えないのと、未来を変えられることとは、全く別物だ。

 そんなこと、分かり切っていたはずなのに。


「……誰か、助けて」

 

 私の絞り出した叫びは、誰にも聞こえることはない。

 これは運命なのだ。

 あの人は私を‘道具’としてしか見ていない。

 自分の言いなりになる、商売道具。

 前はお母さんで、今は私。

 ただそれだけなのだ。

 ただ、それだけ。


「…ごめんね、薫くん」

 

 届くはずのない懺悔を、それでも私は彼にした。

 せめて心配させないように、自分を演じる。

 それが私の‘会長’としての務めなのだから。

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