第二百七十一話 敗走皇帝

 それから数時間後。皇帝は、蒼い顔をしながら氷山の稜線の隙間を縫って飛んでいた。愛機"ラー・グルム"は傷まみれであり、付き従う手勢も決して多くない。小型巡洋艦数隻に、あとは近衛隊が少々といった具合だ。生き残っている部隊は他にもいるかもしれないが、皇帝と合流できたのはこれだけだ。

 皇帝自ら指揮する部隊とは思えないほど、ひどい有様だった。隕石の落下を目視した段階で即座に逃げに転じた皇帝だったが、味方は完全に散り散りになり、配下の大半は生きているのかいないのかすらわからないような状況である。


「ぐ、ぐぬう……」


 歯を食いしばりながら、皇帝は唸った。こんな戦力では、とてもではないが皇国軍に太刀打ちできない。できることならさっさとこの惑星から飛び立ち、本国へ帰りたい。

 無論皇国軍とディアローズに復讐してやりたい気分はあったが、実現不可能な妄執にとらわれて退き時を謝るほど皇帝は愚かではなかった。皇国軍に帝国本国まで追撃するだけの能力はないのだから、安全な場所でじっくり戦力を再建し、再度侵攻すればよいのだ。

 だが、いまとなってはそれもままならない。高度をあげれば、それだけ敵に見つかりやすくなってしまう。とてもではないが、現状の戦力でこの惑星から脱出するのはムリだ。


「近くに味方の部隊はいないのかっ!?」


 とげとげしい声で、皇帝は先行する味方"オルビット"級小型巡洋艦に聞いた。偵察巡洋艦として建造されたこの艦は、ストライカーなどとは比べ物にならないほどの索敵能力を持っている。通信能力も高いため、味方を探し出して集結を促すには、ちょうどいい艦艇なのだが……。


「だめです。粉塵のせいで光学観測はほとんど役に立ちませんし、電波障害もいまだに収まっていませんから……」


 無線から返ってきた声は、ノイズまみれで酷き聞き取りづらかった。大気中に漂うドライアイス粉末が、レーザー通信にまで悪影響を及ぼしているのだ。

 それを聞いた皇帝は、大きく舌打ちした。それから、自分の護衛を務める近衛隊たちへと目を向ける。巻き上げられた粉塵のせいで、空は真っ黒にそまっていた。カメラを暗視モードにしなければ、すぐ近くを飛んでいるストライカーすら目視することはできない。


「二十数機か……」


 近侍を務める機体の少なさに、ため息交じりにつぶやく皇帝。精鋭ぞろいの近衛隊とはいえ、この数では大したことはできまい。

 期待できるのは、新四天だけだ。幸いにも、攻撃に出していた"天剣"・"天雷"は、隕石の落着前に撤退命令を出したため比較的早期に合流することが出来ていた。この四人のクローン兵たちこそが、今の皇帝に残されたの唯一の切り札といっていい。


「とにかく今は、味方との合流を急ぐべきだが……ええい、忌々しい!」


 ある程度戦力を立て直さなければ、この惑星からの脱出はままならない。しかし味方を探すために、数少ない護衛の戦力を分散するのは絶対に避けたい。ひどいジレンマだった。


「北西に艦影を確認!」


 その時、近衛兵の一人が緊迫した声で叫んだ。皇帝の背筋に、冷たいものが走る。


「敵か、味方か!?」


 それが肝心なのだ。敵であれば、現有戦力だけで何とかしなくてはならない。しかし、電波状況が悪すぎて味方識別装置IFFによる判断は信用できない。そのうえ、真っ暗闇と言っていいひどい視界状況だから、目視による確認すら難しいと来ている。

 こんな時は、自ら接近して確かめてみるほかない。報告を上げた近衛兵は、僚機をともないそろそろと不明艦アンノウンへと近づいていった。


「"プロシア"級が四隻、味方です!」


 歓喜交じりの近衛兵の声に、皇帝はほっと胸を撫でおろした。"プロシア"級高速戦艦はヴァレンティナ麾下の艦隊にも配備されているが、それは二隻のみだ。四隻で隊列を組んでいるのなら、それは味方と考えていい。

 が、そんな安堵は突如発生した爆音にかき消された。一瞬遅れて、臓腑が縮み上がりそうなほど重苦しい衝撃が続く。明らかに、砲撃の発砲・着弾音だ。両者がほぼ同時に聞こえたことから、発砲者はすぐ近くにいるとみて間違いない。


「な、何事だ! 誰が撃った!」


「ぷ、"プロシア"級です! "プロシア"級がこちらに砲門を向けて……」


 次の発砲音が聞こえてきたのと、無線が途切れるのがほぼ同時だった。撃ち落とされた。そう直感する。皇帝は慌てて機体を上昇させ、こちらにむけて発砲を続ける敵艦に通信を繋いだ。


「貴様ら、誰に向かって撃っているのかわかっているのか! 今すぐ射撃を止めねば、反逆とみなすぞ!」


 普段ならば即ギロチンものの行為だが、味方の少ない現状では今すぐ処刑という訳にはいかない。こちらを敵と誤認しての攻撃であってくれ内心祈りつつも、皇帝は気丈に問いただした。


「ふん、バカ娘の親はやはりバカか。わかって撃っているに決まっているだろうが!」


 しかし、返ってきた答えは無情なものだった。無線の向こうから聞こえてくる声は、ノイズまじりでもはっきりわかるほどの嘲りの色があった。


「貴様には、ほとほと愛想が尽きた! 皇帝の首級クビならば、向こうに寝返る手土産としては上等だろう。大人しくここで死ね!」


「な、な、な、なんだとォ……!」


 ここに来ての反乱である。皇帝は目の前が真っ暗になった。

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