第百九十三話 ヴァレンティナと

 撮影を終えた輝星は、"オーデルバンセン"の上甲板で体を休めていた。火照った身体に潮風が当たり、気持ちが良い。傾き始めた太陽に照らされた青い水平線をぼんやりと見つつ、小さくため息を吐く。


「お疲れのようだね、我が愛」


 ヴァレンティナが小さく笑いながら、輝星の隣に腰を下ろす。そういう彼女も、疲労の濃い表情をしていた。姉と想い人の嬌態を目の前で見せられて、精神的に疲れるなという方が無理がある。


「まったく、災難だね。キミも、わたしも。まさかこんなことをやらされるとは」


「ホントだよ……」


 輝星は口をへの字にして、隣のヴァレンティナに目を向ける。彼より二十センチは背が高い彼女は、座ってもやはり大きかった。撮影時の余韻が残っているのか、いまだに頬は赤い。


「そういえば、ディアローズはどうしたんだい? 姿が見えないが」


「なんか、取っていきたいものがあるからってどっかいっちゃった」


 この艦はもともとディアローズの乗艦であり、彼女の私物も艦内に多く残されている。何を取ってくるつもりかは知らないが、輝星は気にせず放置していた。


「流石に自由にさせ過ぎじゃあないかい? 武器とか、あるいは奴隷の首輪を無効化する道具とか、そういうものを隠し持っているかもしれない」


「まあ、大丈夫でしょ」


 ディアローズはこの頃、とても充実した日々を送っているように見える。それをひっくり返してまで、こちらを裏切ることはないだろうと輝星は考えていた。


「それよりさ……せっかく穏当な関係に戻ったんだから、呼び捨てにするのはやめてあげられないかな? 別にもう、敵じゃないんだし」


「……一度は完全に決別した身だからね、ケジメはつけるさ。向こうだって、今さら馴れ馴れしくしたって困るだろう」


「ディアローズは、そんなの気にしないと思うけどね。たまにヴァレンティナの話をすることもあるけど、恨んでいる様子はなかったよ」


 なにしろ、自分と一緒にヴァレンティナも結婚させてくれと頼みこむくらいだ。ディアローズはああ見えて案外、妹のことを大切にしている。


「……」


 しかしヴァレンティナは、無言で肩をすくめるだけだった。どうやら、これ以上言ってくれるなということらしい。


「しかし随分と仲良くなったものだね、あの女と。ファーストコンタクトがあれだけ酷いというのに、今では普通に話をする仲だ。わたしは少々驚いているよ」


「まあね。でも、あの時はともかく今のディアローズはかなり付き合いやすいよ。頭は良いし、気も効く。たまに無茶ぶりをしてくることはあるけど……」


「ふうん。では、ディアローズのことが嫌いなわけではないんだね」


「むしろ、結構好きだね」


「……」


 彼の言葉を聞いて、ヴァレンティナはなんとも複雑な表情をした。傷ついたような、発情したような、ヘンな顔だ。輝星は小首をかしげたが、あまり深く聞くのも気が引けて何も言わなかった。


「……そういえば、ヴァレンティナはこの戦いが終わったらどうするの?」


 ふと思いついたように、輝星は聞いてみる。ヴァレンティナの暴走を誘発するため、ゆさぶりをかけておいて欲しいとディアローズに頼まれていたことを思い出したからだ。


「そんなこと、聞くまでもないだろう? 母上を倒せば、諸侯や宮廷貴族たちが相争って内戦と化すはずだ。わたしに呼応してくれた将兵たちを率い、これを鎮圧する」


 まっすぐな目つきで、ヴァレンティナは語った。空に浮かぶ太陽(恒星アルプ)に手を伸ばし、ぐっとつかみ取るような動作をする。


「そうすれば、皇帝の……至尊の冠はわたしのものだ。戦争も虐殺も起こさない、平和な国を作ることが出来る」


「そうか……」


 どうやら、彼女の目標は以前と変わっていないようだ。確かに、今の帝国はまともな国とは言い難い。あちこちの国に侵略戦争を仕掛け、民間人を虐殺している。それを止めるという彼女の願い自体は、応援できるものだ。


「でも、悪いけど俺はあなたに協力できない」


「……なぜ?」


 シュレーアやディアローズたちと結婚することを決めたからだ。身を固めることにしたのに、家族を放り出して戦争に行くことはできない。大きな理想よりも、手の届くところにいる大切な人を優先したいというのが、輝星の正直な気持ちだった。


「ヴァレンティナの理想は、素晴らしいものだと思う。だけどその願いは、俺が持つには大きすぎるんだ。一傭兵として手伝うならまだしも、あなたが俺に求めているのはそういう関係じゃないんでしょ?」


「そ、そうだ。わたしはキミに、生涯の伴侶として……いや、違うんだ。わたしは別に、我が愛に責任を負ってほしいわけじゃあ……」


「皇帝の夫になっておいて、その言い訳は通用しないでしょ? それに、政治はあんまり関わりたくないんだ」


 キッパリとした輝星の口調に、ヴァレンティナは黙り込んでしまった。輝星もまた、それ以上は語らず目をそらす。なんとも気まずい空気が、周囲に漂う。


「待たせたな! いやー、久しぶりすぎて秘密金庫の開け方を忘れておったわ」


 そこで突然、楽しげな声が二人にかけられる。いつの間にか輝星たちの後ろに忍び寄っていたディアローズが、二人の肩をべしべしと叩いた。


「どうした二人とも、そんな辛気臭い顔をして。腹でも減ったか?」


「ッ……!」


 ぐっと歯を食いしばったヴァレンティナは姉の手を払いのけ、無言で立ち上がると速足でどこかへ行ってしまった。そんな彼女の背中を、ディアローズは愉快そうに見送る。


「愚妹め、イイ感じで焦れて来たようだな。下ごしらえは万全と見える」


「……聞いてたの?」


「まあな」


 あっけらかんと答えるディアローズに、輝星は肩をすくめた。なんとも性格の悪い姉である。

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