第百三十七話 助命の理由
その夜。輝星はシュレーアを伴い、"レイディアント"の廊下を歩いていた。夜間照明の淡い光に照らされた廊下には、人気はほとんどない。眠そうに目をこすりながら、輝星は大きく背伸びをした。
「ああー、まったく……出撃もしてないのに、随分疲れた」
もちろん、ディアローズの件のせいだ。人の生き死にのかかった話し合いなのだから、精神的に疲れるのも当然のことだろう。
「すいません、ご面倒をおかけして」
そう言って苦笑するシュレーアの表情には、疲れらしきものはない。責任者として輝星とは比べ物にならないほど面倒な案件を抱えているだろうに、タフなものだ。ディアローズの件にしろ投降した帝国軍の件にしろ、彼女が処理するべき問題は山のように積みあがっているはずなのだが……。
「とはいえ、このままいけば彼女は死刑を避けられません。それを回避するには、それなりの手順を踏む必要があるのです」
「あの人、一応帝国の次期皇位継承者な訳だけど……それでも処刑しなきゃダメなの? 返還を餌にして賠償金を釣り上げるとか、そっちの方がよさそうに思えるけど」
次期皇帝を殺したとなれば、帝国側の反発は必至だ。それにより戦争が泥沼化してしまえば、犠牲者はさらに増えてしまうだろう。輝星としては、安直に処刑するというのはあまり賢い選択だとは思えなかった。
「とはいえ、人が大勢死んでいる以上誰かが責任を取らねばならないのです。帝国側に詰腹を切らせることができなければ、国民の不満は私や私の家族……ハインレッタ家や皇国軍へと向かいます。それは、絶対に避けなければなりません」
「感情の問題か……確かにそれは難しい」
輝星は腕を組んで唸った。確かに、家族や友人を殺されて敵討ち求めている人たちに損得の話をしても仕方がないだろう。
「とはいえ、シュレーアはディアローズ……を処刑するのは反対なんだよね?」
ディアローズに様だの殿下だのつけて呼べばシュレーアが気を悪くするだろう。輝星はあえてディアローズを呼び捨てにした。
「ええ、まあ」
そうでなければ、わざわざ輝星を誘導してディアローズの助命を求めるようなことはさせないハズだ。シュレーアは小さく笑い、しっかりと頷いた。
「言っちゃなんだけど、自分を人質にしたような相手をよく助ける気になったね」
そんなことを言えば輝星とて危うく犯されかけたわけだが、彼は自分がかなりの変わり者であることを自覚している。シュレーアに同じことを求めるのは酷だろうと考えていたのだ。
対するシュレーアは、人質にされたとハッキリ言われてしまったせいで顔を赤くした。情けない姿を見られてしまったという気持ちは、たしかに彼女の中にもある。
「それは……そうですが。しかし、彼女は生かしておいた方が結果的には得です。その上、被害に遭われた輝星さんが助命を求めるのですから、私が自分の感情を優先して処刑を強行させるなど、あってはなりませんよ」
「……なるほど」
輝星はその言葉を聞いて優しく微笑んだ。何にせよ、ディアローズを助ける気になってくれているのはありがたい。
「いや、被害に遭ったといっても大したことをされたわけじゃないけどね。SMゴッコみたいなことさせられただけだし」
「え、SMゴッコ!?」
突然の卑猥な単語に、シュレーアは生唾をのんだ。心臓が跳ねまわり、思わず胸を押さえる。嫉妬と興味がないまぜになった複雑な表情で彼女は聞いた。
「そ、それはいったい、また、どういうプレイを?」
「い、いや、まあ」
輝星にも羞恥心がある。思わず赤面し言葉を濁す彼に、シュレーアは感情的な様子で詰め寄った。
「お、教えてください! 大切なことなんです!」
いったい何が大切なのだろうか。輝星は口元を引きつらせた。
「なんというか、変なベッドに拘束されたり、おもちゃみたいな鞭でペチペチ叩かれたり……」
「や、やはりあの女はそのような趣味を……!?」
いかにも女王様な雰囲気を漂わせているディアローズの容姿を思い出し、シュレーアは唸った。もっとも、半泣きで土下座姿をさらした今日の彼女にはそのような威厳はみじんもなかったが……。
「いや、なんか……試しにやってみたものの、どうも趣味に合わなかったって感じだったな。結局自分でも何がしたかったのかわかってなかったみたいだし」
ディアローズが何を思って拘束した輝星をわざわざ解放したのか、彼にはさっぱり理解できなかった。ただ、ディアローズとしてはどうも女王様役は性に合わなかったようだというのは、なんとなくわかる。
「妙に混乱してる風だったし……まあ、そのおかげでヴァレンティナに助けてもらえる隙が出来たわけだけど」
「危うく傷物にされかけたというのに、妙に彼女に同情的なのはそういう理由でしたか……思ったより、危険人物ではなかったと」
「むしろ、なんか面白いひとって印象かなあ」
「むっ……」
それはそれで面白くない。シュレーアは形の良い眉をハの字にして小さく不満の声を上げた。
「なんにせよ、俺をあれだけ追い詰めて負かすような相手なんだから殺すのはあまりに勿体ないよ。性格はどうあれ……」
結局、輝星の考えは単純なものだった。有能な敵と戦うのは面白いし、それが死んでしまうのは惜しいと感じる。その戦闘民族のような感性に、シュレーアはため息を吐いた。
「まあ、いいです。なんでも……」
あきらめの声を上げたシュレーアは、小さく苦笑して立ち止まった。言いたいことは無いでもないが、目的地についてしまったのだから仕方がない。彼女の視線の先には、観音開きの丈夫な鉄扉があった。複数人の歩哨がその両隣に立ち、油断のない目つきで周囲を警戒している。
「着きましたよ。ここがあの女が収監されています」
輝星がわざわざ夜中に出歩いていた理由……それは、ディアローズと面会するためだった。
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