第九十一話 人望無き次期皇帝

「ま、そうはいってもね……わたしもあの女とオトモダチってわけじゃないから、詳しくいろいろ知ってるわけじゃないのよね」


「帝国は皇国ウチと違って大国だからな。大貴族同士だからって、深いかかわりがある訳じゃなさそうだな」


「そりゃあね?」


 サキの言葉に、ミランジェは皮肉めいた笑みを浮かべた。ノレド帝国ほどの大国になれば、公爵や侯爵もかなりの数が居る。まして、ミランジェは侯爵本人ではなくあくまで次期当主に過ぎないのだ。ディアローズと顔を合わせるのは、せいぜい戦場やパーティーの時くらいだろう。


「まあ、でも、ディアローズは良くも悪くも目立つ女よ。直接話す機会が少なくても、嫌でもあの女の話は耳に入ってくるのよね」


「無敗の姫だとか、そういうふうに呼ばれているとは聞いたことがある。そりゃあ目立つだろうね」


「ま、この間は負けたがな!」


 茶々を入れるような声音でサキが笑った。ルボーアでの大勝は、敗北続きの皇国軍人にとっては胸のすくような出来事だったからだ。


「まあ実際、戦上手なのは確かよ。ただ、それ以外にもいろいろ逸話があってね……」


 言いながら、ミランジェはテーブルに乗ったバスケットからワイングラスを取り出した。そしてニヤリと笑いながら、グラスを輝星の方に向ける。


「ま、酌の一つでもしなさい。情報料よ」


「はいはい」


 輝星は苦笑して、バスケットからワインボトルを出す。そして栓を抜こうとコルク抜きを掴んだが、即座にサキに奪い取られた。


「ケガしたら困るだろ」


「か、過保護ォ! 俺だって栓くらい抜けるんだけどぉ!?」


「ホントかぁ?」


 にやにやと笑いながら、サキはさっとボトルまで取ってしまった。そのまま慣れた手つきでコルク栓を抜き、ボトルを輝星に帰す。


「ほらよ」


「んもー、すぐそういうことする」


「何でもいいから、早く頂戴な」


 くすくすと笑うミランジェがグラスを押し付けてきたので、輝星は渋々ワインを注いだ。赤い液体がグラスに満ちると、部屋に芳醇な香りが漂い始める。満足げに頷いた彼女は、もう一つグラスを出してサキに渡した。


「流石、わかってるじゃないか」


「一人で呑んでもつまらないからね」


 さすがにサキはお酌を輝星に要求することはなかった。手酌でグラスに注ぎ、ミランジェと軽く乾杯してから口を湿らせた。ちなみに、酒を飲めない輝星は一人レモン水を飲んでいる。


「ま、本題に戻るわね。帝国じゃ有名なディアローズの二つ名があるのよ。どんな名前だと思う?」


「二つ名? ……わからないな」


「"忠犬"よ。皇帝陛下のイヌ」


 そう言ってミランジェはくつくつとくぐもった笑い声を出した。


「皇帝陛下のいう事には何でも従うイエスマン。残虐な作戦だろうが、無茶な作戦だろうが、異論は一切挟まない。忠実なワンちゃんってわけ」


「意外だなあ。噂を聞いてると、傲慢不遜なタイプかと思ってたんだけど」


 忠臣にしては、周囲の評判が悪すぎる。もちろん無茶な作戦に付き合わされる部下からすれば堪ったものではないだろうが……。


「それはその通りなのよ。とにかく、自分の思った通りに事が進まないのが大っ嫌いなタイプで……それを邪魔するものは、敵であれ味方であれ容赦はしない。その上、捕虜や失敗した部下を鞭でいたぶるのが大好きなサディストでもある。タチが悪いにもほどがあるわ」


 嫌悪感に満ちた目でミランジェは吐き捨てた。貴族などというものは多かれ少なかれ傲慢な部分があるものだ。しかし、ディアローズの振る舞いは度を過ぎていた。


「でも、皇帝陛下の命令だけは必ず聞くのよ。どんな小さなことでも、どんな屈辱的なことでもね。口の悪い連中は、皇帝の足を舐めて皇位継承権を手に入れた女なんて呼んでるわ」


「プライドも糞もねー奴だな。無茶ぶりされたストレスを部下で解消してるんじゃないか? そいつ」


 小ばかにしたような口調でサキが言う。グラスのワインを一気に飲み干し、さらに続けた。


「矜持を捨てた貴族なんて、もはや貴族でもなんでもないんだよ」


「そーよ! その通りなのよ!」


 ミランジェは即座に同調し、ワインボトルを引っ掴んでサキのグラスにお替りを注いだ。


「あんた、平民出身の癖にわかってるじゃないの! 皇国なんか捨ててうちに来なさいな!」


「はははっ、ありがてぇけど流石にな。故郷はそうそう捨てられねーよ。家族も居るし」


「残念ねぇ」


 嘆息しながら、ミランジェは自分のグラスに手酌でワインを注ぐ。そして空になったボトルをバスケットに戻した。


「結局ねえ、何が言いたいかっていうと……ディアローズは恥知らずのサディストで、何をしでかすかわからない危険人物って事。そのくせ、戦争だけは上手いからもう手に負えないっていうか」


「戦争ねえ。ストライカーの腕はどうなんですかね? あの"天轟"と比べて」


「いや、流石に四天と比べちゃだめよ……でも、決して油断できる相手じゃないのは確かよ。あの女、イヤらしいことにストライカー戦でもしっかり成果上げてるから。そこらのエースよりはよほど手強いはずよ」


「ふーむ……」


 ヴァレンティナと同じか、もしくはそれよりやや上程度の腕前だろうか。輝星は腕を組んで唸った。単体で相手をするなら当然負ける気はないが、汚い手段を躊躇なく使うタイプならそれなりに警戒する必要はある。四天やらと組んでまとめて仕掛けてくれば、かなりの強敵になるのは間違いない。


「ま……わたしは腐っても帝国の貴族だから、皇国なんかに負けたくはないけどね。でも、一緒に飲み食いしたあなたたちが死ぬのは勘弁願いたいわ。あの女に後れを取って、死なないでね」


「当然ですよ。俺は"凶星"、凶兆の星です。相手が誰であれ勝ちますとも」


 ミランジェの言葉に、輝星は自信ありげに返すのだった。


 

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