第八十九話 セクハラ憲兵
「一応ねえ、殿下には止められてるんだよ。あの人のところへ行くのは」
地下要塞の廊下を歩きながら、輝星が言い訳がましい口調で言った。
「嫉妬だろ、気にすんなよ」
彼の前を歩くサキが振り返り、にやりと笑う。あの人とはもちろん、先日シュレーアとの一騎打ちに敗れて捕虜になったこの要塞の元司令、ミランジェのことだ。出会った経緯が経緯だけに、シュレーアとミランジェの仲は険悪なのだ。想い人がそんな相手の元に通っているというのは、確かに良い気分ではないだろう。
「だいたい、アイツにゃ婚約者がいるんだぜ? せっかく結婚できるってのに、わざわざ他の男に手を出す莫迦はいないっての」
男性の数が極めて少ないヴルド人社会では、貴族と言えど結婚には苦労する。男性に限って言えば、平民がいきなり大貴族の婿にもらわれていく例すらよくあるほどなのだ。苦労して掴んだ花婿を浮気などでフイにする女など、そうそういるものではない。
「確かにあの人は俺に対して普通に対応してくれるんだよね。有難いよ」
何故か持って歩いているビニール包装されたカップ麺を手の中で弄りながら、輝星が小さく息を吐く。男というだけで良くも悪くも特別視されてしまうような環境なのだから、気疲れするなというほうが無理なのだ。
「ま、あたしとしても意外とああいう手合いは嫌いじゃないんだよな。偉そうだが、美味いモンくれるし」
「殿下は俺が餌付けされてるって言ってたけどさ、どっちかと言えば餌付けされてるのは牧島さんだよね」
「ははは、ほっとけ!」
そんな風に話しているうちに、目的の場所へとたどり着いた。ミランジェが軟禁されている部屋だ。丈夫な強化カーボン製ドアの前に、ライフルで武装した衛兵が二人たっている。衛兵は鋭い目つきで輝星たちをじろりと睨んだ。
「げ、こいつらか」
小さくサキが毒づいたが、輝星は無視して彼女らに話しかける、
「すいません、捕虜に差し入れ持ってきたんですけど」
そう言って持参したカップ麺を見せた。仮にもミランジェは大貴族の大貴族の娘だ。そんな相手にこんなものを差し入れするヤツがどこの世界に居るのかと、サキが隣で妙な顔をする。
「いやー申し訳ないけどねー、我々も仕事があるからねー。軽々と通す訳にはなー」
「あ、こっちは皆さんに差し入れです」
輝星はフライトジャケットのポケットからキャンディーを引っ張り出し、衛兵に見せた。彼女らはニッコリと笑ってそれを受け取った。
「ちょうど甘いものが欲しかったんだよねー。ありがとうねー」
「お礼によしよししてあげるよ、よしよし」
衛兵たちの狙いは、無論飴玉などではない。お礼と称して輝星にハグをしてくるのだ。完全なセクハラ案件だったが、これが賄賂代わりの報酬なのだから仕方ない。輝星は人間によって強引に抱き上げられた猫のような表情で二人からのかわるがわるのハグに耐えた。
「くそっ……憲兵がこんなことするとか、世も末だぜ」
衛兵たちに聞こえないような小さな声でサキが吐き捨てた。驚くべきことに、彼女らの腕には憲兵と書かれた腕章がついていた。本来ならば不埒な輩を取り締まるのが仕事の役職なのに、この有様である。
「えーっと、面会だっけー? ちょっと待ってねー、確認してくるから」
しばしハグを堪能したのち、衛兵の一人が部屋の中に入っていった。それと同時にサキは輝星の袖をつかみ、スススとドアから離れていく。そしてそっと彼に耳打ちした。
「やっぱ次から強行突破しねぇか? あいつら、調子に乗りすぎだぜ。切り捨てた方が世のためだ」
「このくらいで通してくれるなら安いもんだって」
深刻そうな声音で聞くサキだったが、輝星は首を左右に振った。うんざりはしているが、大金を要求されたり直接的な行為を強要されているわけではないのだ。このようなことは実際頻繁にあるため、慣れてしまっているというのもある。
「そうはいっても男がさあ……」
「だいたい、ここに誘ったのは牧島さんじゃないの」
ピシャリと輝星が言った。サキは渋い顔でうなる。
「担当がこいつらじゃなきゃ、素通ししてくれるからな……今日は運が悪かった。すまん」
サキはその狼のような耳をペタンと伏せて謝った。心底申し訳なさそうな表情だ。
「そんな深刻そうな顔しないでよ、あんまり気にしてないからさ」
あまりの恐縮ぶりに、困ってしまったのは輝星のほうだ。貞淑で奥ゆかしいヴルド人男性と違い、輝星にはあまりこの手のことに対する拒否感はない。
「ただ真正面からこういうのをぶつけられるのは、ウッてなるけどね」
「ううーん……」
サキは腕組みをして唸った。やはり、今回の件は自分が情けない。次同じようなことを要求しているのを見たら、そいつをぶった切ってやろう。そんなことを彼女は考えていた。もちろん、口に出せば止められるのは分かっているので輝星には言わない。
「入っていいってさー」
そこで、部屋から衛兵が出てきた。どうやら確認が終わったようだ。
「まあ、そんなことはさておきメシだよメシ。牛丼以外の!」
重くなった雰囲気を振り切るように輝星が元気な声で言い、ドアに向かって歩き始める。サキもそれに続いた。
「……」
すれ違いざまに、サキが衛兵を睨みつけた。だが、彼女は余裕の表情でそれを受け流す。憲兵だけあって、面の皮が厚いことこの上ない。
「ちっ」
舌打ちをしてから、サキは部屋に入るのだった。
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