第十一話 一万のカルテ

◇◇◇◇◇


「ロイドさん! お掃除とお洗濯終わりました! お昼ご飯はどうしますか?」

「お願いしちゃおっかな」

「オーケーです! ホットサンドメーカー使ってサンドイッチ作りますね!」


 私が作業服として与えたメイド服を着て元気に働く香澄ちゃん。ちなみにメイド服はコスプレ用ではなく本物のやつだ。何をもって本物とするかだが、単純に値段的に。オートクチュールだし。もしかすると、メイド服が私の家の中で一番高価な物かもしれない。


 元気溌剌に家事をこなす香澄ちゃんの姿には、引きこもりの面影すらない。一体どうしてこんな子が突然学校に行かなくなってしまったのか、本人にそれとなく聞いてみた事はあるけれど、香澄ちゃんのお母さんが仰ってたように「突然」だった。香澄ちゃん自身も、はっきりとした理由が分からないくらいで。


 でも、今はとても元気だ。学校にも行ってる。それで良いのではないか。


 ……本当にいいのか?


 私はそれをもっと深く知るべきではないのか。でなければ、私は一生……


「──ロイドさん、ロイドさん? 大丈夫ですか?」

「……ん? あ、うん、大丈夫だよ。ちょっと考え事してただけ」

「具合が悪くなったら言ってくださいね? ずっと動かないから一瞬女神像に見えましたよ」

「多分最初で最後に聞く褒め言葉だよ」

「何かあったらすぐにお知らせくださいって、マネージャーの橘さんにも私お願いされてるんですから」

「私の信用の無さ!」

「今日は夜の六時から配信ですよね? 夜ご飯は早めにとりますか?」

「お、お願いします」


 いつの間に橘さんと繋がりが出来ていたんだ。それに完璧なスケジュール管理はもはや秘書だ。給料を上げるべきかもしれない。考えてみれば、最初のうちは何人か家政婦さんを雇おうと考えていたのだ。それを今は香澄ちゃん一人で頑張ってる。大変ではないだろうか?


「他の人? ……いえ、いりません。大丈夫ですよ。毎日全部のお部屋をお掃除してる訳ではありませんから。一度も入った事のない部屋の方がまだ多いかもしれません」

「確かに、そもそも一度も使ってない部屋ばっかりだもんね。私も全部の部屋は把握してないし」

「……ただ、一つ気になる部屋があって」

「気になる部屋?」

「はい。実は、一つだけ厳重に鍵が掛けられた部屋があるんです。そこはロイドさんしか入れなくなってるんだと思います」

「本当? でも、私もその部屋の鍵なんてどこに置いてるのか分かってないしなー」

「ああ、いえ、鍵といっても電子の方で。つまり、その、八桁のパスワードみたいなんです」


◇◇◇◇◇


 香澄ちゃんの言う通り、普段は見もしない廊下の奥の死角にその部屋はあった。明らかに他とは違って光沢のある重厚な扉で、ゼロから九の数字を八桁打ち込む事でロックが解除されるみたいだ。


 問題はその数字を、私が知らないという事だけど。八桁といえば西暦の暦あたりが無難とは思うが。


 単純にブルートフォース作戦を仕掛けようにも一億パターンはある。手探りでは無理だといえる。


 埒外に高性能な電子機器でもない限り。


「いけちゃうんだウチのパソコン! なんて偉い子! 大好き」


 原理は知らないが、近づけただけで解読を始めた。褒めたら何か解読スピードが上がった。今日もメタリックピンクがふつくしい。


 三分と経たない内に八桁の暗号がパソコンの画面に映し出され、扉の鍵が開く。


 数字をよく見て、暦だと当たりをつけた私の勘は多分当たっている。その日付は私がこの体を得た日の事だったから。そして多分……香澄ちゃんが引きこもりを始めた日。もちろんそれも勘でしかないけれど。


 どうしてそれを鍵にしたのか、不思議に思いながら部屋に入ると、シンプルにテーブルが中央に一つあるだけの、他に何もない空間だった。


 いや、テーブルの上に無数に紙の束がある。近づいて内容を確認する。一枚一枚。日本語ではなく、最初はどういう物か理解できなかったそれも、私は多分これじゃないかという予想を立てる事ができた。


 これはカルテ・・・だ。ほとんど読めないけど、日付だけは分かる。一体何枚あるのかと予想もつく。


 きっと、1万のカルテなのだ。対価の神様が言う通りならそれは前世(?)の私が救った数……


 不可解なのは、カルテの日付が全て未来でしかない事だ。それも一年や二年ではない。例えるなら、今から最短で医師免許を取りに行って間もなくの未来。


 あぁなんという事だ。私はただ死んで美少女の体を与えられたのではない。このカルテを作ったのが私だとして、医師免許の推測が正しかったとして、導かれる答えはたった一つ。


 前世の私が過ごしたはずの時間は、この体が与えられた時を境に逆行しているのだ。どうしてそんな事を対価の神は行ったのか。きっとそれは、私の願いに通じていると思う。


 その願いを私は知る事が出来ないけれど。


 今、私が最も気にしなければいけないのは、目の前の1万人の命だ。これはもはや救った命ではなく、救わなければいけない命だ。1万の予言の書と言っても過言ではない。中には救えなかった命になってしまうものもあるのかもしれない。


「中々に憎いお土産を残してくれたものですね全く」


 まだ見もせぬ神に聞こえるように、そう独りごちる。好きにしろと言われた気がした。

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